友田さんの今号寄稿作を私はけっこう感慨深く、っぅか涙腺ジワッ気味で拝読致しました。小誌では毎号不思議なシンクロ現象が起こったりするのですが(たぶん、メディアとしてのLive性起因?)、本作、木村重樹さんの寄稿作、太田豊さんの寄稿作、そして拙作に期せずして共通したなにかが、胸に響いたのだと。その「なにか」については、敢えて語りませぬが〜。
おもしろかったのは、友田さんと私の、自身の年齢の捉え方がずいぶん違っていたことです。同世代ですが、友田さんは<齢五十の半ばとは、人間の寿命としては後半戦に突入しているが、世代としてはちょうど真ん中あたり。自分を中心に据えて年長者と年少者を両翼に乗せ、心地良いバランス感覚を楽しんでいる時期と言っていい>と書いています。一方私は「午後四時」なんて言葉を使いましたが、それでも多分に負け惜しみ感入りでして...。
もうまともな飲食店なんてオーダーストップで飲み屋しか開いてないんじゃね? ぐずぐずしてると深夜バスいっちゃうし(郊外型生活w!)、家に帰って寝んべぇよ。次の朝が来るかどうかわからないけれど...。はい、気の持ち用的にはもう21時30分あたりに都心をふらついてるだな、私は(再来年には赤いちゃんちゃん)。人間五十年...。
そんな鬱な私ですが、友田さんが近年の街並みの変遷を<代替わりの理想的な在り方>と捉えているのには共感しました。いや海ッぺりの見上げるようなマンションとかはどうなの、と思うけれど少なくとも地上げ屋とかB勘屋とかが跋扈していた時代よりは、若くてしなやかな感性の開発が進んでいるように思えることも多いし。いずれにしても、まだまだ先があると存じますので、お互い頑張りましょう〜。
そうかと言って、嘆いているばかりではない。街を歩けば、震災・戦災をかいくぐってきた古い建物を巧うまくリノヴェーションし、今の時代に活かしている場に出会うことは多い。担い手である建築家は、得てして驚くほど若い。親子ほど歳が離れた棟梁と木造家屋の再生に取り組んでいたり、伝統工芸品の職人とコラボレーションしたり、世代を飛び越えて新しい価値を創造している。若い感性のお陰で、古くなってしまった街には、行灯が一つまた一つと灯り、やがてそこには人が集まり始める。街の色気、艶っぽさというものは、こうした感性が自然発生的に増幅して生まれるのではないだろうか。街の代替わりの理想的な在り方だ。幾度となく大火に見舞われ、ダメージを受けていた江戸の町。その都度、新たな建築の技術が導入され逞しく再生する過程も、きっとそうだったに違いない。
ウィッチンケア第7号「独楽の軸からの眺め」(P162〜P165)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
友田聡さん小誌バックナンバー掲載作
「暮らしのリズム」(第Ⅰ号)/「ときどき旧暦な暮らし」(第2号)/「手前味噌にてございます」(第3号)/「東京リトルマンハッタン」(第4号)/「走れ、天の邪鬼」(第5号)/<中国「端午節」の思い出>(第6号)
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Vol.14 Coming! 20240401
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