「野宿野郎」編集長(仮)として、横浜にある実店舗「お店のようなもの」を拠点にさまざまな活動を繰り広げているかとうちあきさん。「ウィッチンケア」には第2号からご寄稿いただいていまして...そうだ、第2号のころのかとうさんは映画「レオン」のマチルダ(懐...)みたいな髪型でしたが、前回お目にかかったさいにはヴェリーなショートで決めていましたが、最近はご無沙汰でして現在の髪型も知らずにスイマセン。。そんなかとうさんは最近(横浜市内で)お引っ越しをされたようで、今号への寄稿作は、その「生活の変化」についての一篇です。タイトルは〈A Bath of One's Own〉。そうか、お風呂の話なのか、と読み始めると、冒頭に“先日、何年ぶりかに実家を訪れたら”とあり...ふむふむ。だがっ、しかし、そこから先に進むまえに、まず“「実の家って、なんだよ~」”という疑問が呈されます。私(←発行人)は前世紀に結婚して親元を離れ、その後2013年に親元の家をリノベして同居を始めて、その家を「実家」と呼んでおりますが、しかし加藤さん曰くその言葉は、“以前は婚姻などで他家に入ったとされる人の、元の家のことを指していた”と。なので、その言葉をテキストに使うと“げんなりしちゃう”...“さりとてほかに通りのよい言葉も思いつかず、つい使ってしまうんですけれど”なのだそうであります。mmm、「実家」。言われてみればたしかにそんな意味合いを帯びているようにも思えるけれども、私も“ほかに通りのよい言葉も思い”つかんのですわ、咄嗟には。
でっ、かとうさんの実家(←便宜上「実家」)の話なのですが、玄関を開けて居間に入っていくと、“そこには会わない年月の間分、きっちりと老いたであろう父がおり、テレビの前にごちゃっと寝そべっていました”。この御父様とかとうさんの関係性がかなり赤裸々に語られていまして、mmm、フラット目線で拝読しても御父様(おそらく昭和男児)、いまの時代はなかなか生き辛いかも、と。このあたりはぜひ、小誌を手にしてご確認ください。
そして、タイトルの〈A Bath of One's Own〉について。現在独り暮らしを満喫中のかとうさんにとって、なにより嬉しいのは“「自分だけの風呂」を手にした”ことのようです。弾むような文体でそのことについて綴るかとうさん。読み進めていくと、“そしてそして、「自分だけの風呂」のだいご味は、ずばり”...えっ!? ホント?? いや~、今作の終盤は、私的には驚愕でした。このあたりもぜひ、小誌を手にしてご確認ください。
それからいきなりですが、言いたいんです。「自分だけの風呂」ってすごいぞっ、て言いたい。振り返れば、十八歳でこの家を出て、風呂なし生活を十数年、風呂ありシェアハウス生活を十年近く。今回のひとり暮らしで、わたしは初めて「自分だけの風呂」を手にしたわけで、なんと長い道のりだったことでしょう。
家に風呂があると気楽に入れてすごいんだけど、自分だけの風呂は好きなように入れるから、もっとすごい。めちゃくちゃすごい。自由度がすごい。って感動が大きすぎて、だから、いま、ごちゃなんてどうでもいいぞって状態でもあるんです。
家に風呂があると気楽に入れてすごいんだけど、自分だけの風呂は好きなように入れるから、もっとすごい。めちゃくちゃすごい。自由度がすごい。って感動が大きすぎて、だから、いま、ごちゃなんてどうでもいいぞって状態でもあるんです。
~ウィッチンケア第14号掲載〈A Bath of One’s Own〉より引用~
かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品:〈台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)/〈チキンレース問題〉((第11号)/〈鼻セレブ〉(第12号)/〈おネズミ様や〉(第13号)