現在「文學界」の《新人小説月評》を連載担当している宮崎智之さん。昨年秋に始まった「渋谷のラジオ」(FM87.6Mhz )での番組《BOOK READING CLUB》では、今井楓さんとともにラジオパーソナリティを務め、アーカイブはPodcast(Spotify、Apple Podcastなど)で配信中。また宮崎さんが2020年に上梓した『平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)は文庫化が決定、来月(6月10日)に増補新版として筑摩書房のちくま文庫より再刊されます。同書の解説は山本貴光さんと吉川浩満さん。増補版での新章は3篇からなり、そのうちの1篇は小誌今号にご寄稿くださった〈人生の「寂しさ」について〉を改題&大幅改稿して書き下ろしたもの、とのこと。...私(←発行人)はこのような「ウィッチンケア」の使われ方が一番嬉しいのです。まずなにか書いてみて、書いたことで発想が膨らみ(蒲田くん)、それが商業出版物として世に流通し(品川くん)、読者に届いて心と書棚に収まる(鎌倉さん)...あっ、「シン・ゴジラ」を観ていない人にはわかりにくいたとえでスイマセン。なんにしても、小誌は個人主宰誌。決して商業誌の縮小再生産というか真似事というかを目指しているわけではありません。それでも、非商業媒体ならではの可能性の萌芽が、宮崎さんの今作のように進化発展していくことは、発行人として嬉しい限りです。
作中にある“虚子の「寂しさ」は、現代にも続いている。まったく状況は違うが、僕の「寂しさ」ともつながっている”、そして“過った人生だったが、誰よりも必死で真剣だった。だからこそ、ギャッツビーはかわいそうだったのである”という一節、筆者の両作品へのそれぞれの感慨が印象的です。世間一般的には「寂しい」とか「かわいそう」って、ネガティヴな意味合いだと思うのですが、宮崎さんはそれらを肯定的に受容して、生きることの意味を見い出そうとしているようにも...テキスト(作品)の力を信じているからこそ、このような見識が持てるのだと感じました。ぜひ小誌を手にして、宮崎さんの語る「寂しさ」の実相をお確かめください。
『グレート・ギャツビー』を何度も再読してしまう理由は、このトム・ブキャナンを、僕はいつになったら許せるようになるのかということを知りたいからである。人間は弱い。それはトム・ブキャナンも同じである。だから、いつか彼のことを許せる日が来ると思っているのだけど、いまだにその日は訪れていない。
~ウィッチンケア第14号掲載〈人生の「寂しさ」について〉より引用~
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