「ウィッチンケア」創刊号からの寄稿者である多田洋一さん(←私/発行人)...って、今号でもまた、一連の作業で一番野暮な役まわりの回となりました。前号では拙作〈パイドパイパーハウスとトニーバンクス〉について、木村重樹さんが書いてくださったのですが、今号も誰かにお願いしてみようかな、と思っているうちに時は流れ...はい、それでは自作自評を致します。ええと、今号掲載作〈優しい巨人と美味しいパン屋のころ〉を書く動機のひとつは、少し前に世の中で流行っていた「推し活」みたいなものが自分にはあまりピンとこない、だったと思います。誰推し!? いや、とくに。...それでも記憶を辿ってみると、たしかにメディアの向こう側の存在に勝手に思いを馳せていた頃が私にもあったなぁ、と。その一番最初で、思い切りつまずいた。あれは、いまでもまだ少し痛い。であれば、その痕跡が残っているうちにフィクションに仕立ててみようと思ったのでした。最近の「推し」っていうのは異質な「感情の揺れ方」だったのだろうなとは、薄々勘付きつつも、でもまあいいかと。
前半、“彼女”からの残暑見舞いが届く前で“僕”が語っている経歴みたいなことは、ほとんど私と重なっています。幼稚園ふたつ、小学校みっつ、中学校みっつを渡り歩いたこと、いまでは「いろんな世界を知れてよかった」と納得していますが、そのころの転校生気質が抜けなかったせいか、サラリーマンも3年が限界、以後ずっとフリーランスで、辛抱の足りない人間となりました。
とにかく、ぜひ拙作をご一読いただけますよう、よろしくお願い致します。じつは小誌創刊以来ずっと「発行人」と名乗っているからか、「あれ? 多田さんもなにか書いていましたっけ」みたいなことを言われること、いまでも少なくもなく。お願いしますよ、私がこの誌を興した理由の半分は「オレの書いたものを読んでください」なのですから。そのへんの事情は、かつて「マガジン航」さんに寄稿した《私がインディーズ文芸創作誌を出し続ける理由》をご参照いただければ幸いです。もはや少し時代がかった内容ではあるのですけれども。
そういえば僕は、彼女にファンクラブがあるかどうかなんて、考えたこともなかった。僕が彼女を好きなのは「僕と彼女とのこと」。二人だけの問題に他者の介在、許すまじ。テレビの公開番組なんかでは、よく下手くそな歌い手に「○○ちゃ~ん」なんて声援を送るバカどもが映るけれど、ああいうファン同士の連帯とか、意味がわからない。ファン同士って、じつは、本来は仇同士ではないのか、とすら思うのだけれども。
~ウィッチンケア第14号掲載〈優しい巨人と美味しいパン屋のころ〉より引用~
~ウィッチンケア第14号掲載〈優しい巨人と美味しいパン屋のころ〉より引用~
多田洋一小誌バックナンバー掲載作品:〈チャイムは誰が〉(第1号)/〈まぶちさん〉(第2号)/〈きれいごとで語るのは〉(第3号)/〈危険な水面〉(第4号)/〈萌とピリオド〉(第5号)/〈幻アルバム〉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈午後四時の過ごしかた〉(第7号)/〈いくつかの嫌なこと〉(第8号)/〈銀の鍵、エンジンの音〉(第9号)/〈散々な日々とその後日〉(第10号)/〈捨てたはずのマフラーどうしちゃったんだっけ〉(第11号)/〈織田と源〉(第12号)/〈パイドパイパーハウスとトニーバンクス〉(第13号)
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