2024/05/14

VOL.14寄稿者&作品紹介41 東間嶺さん

 「ウィッチンケア」では第4号からの寄稿者・東間嶺さん。昨年末にはたいへんな目に遭って...というのも、東間さんが主宰しアート系活動の拠点としていた、東京都町田市三輪町にあるオルタナティブ掘っ立て小屋『ナミイタ Nami Ita』が、隣接する『作庭工房』からの失火で罹災してしまったのです。それでも、今年3月からは変則的に展示会などを開催するなど復旧に努めていまして、激動の日々のなかでお原稿を送付してくださった東間さんに、改めて感謝致します。さて、そんな東間さんからの寄稿作は〈嗤いとジェノサイド〉。筆者が小誌で一貫して追っている、インターネットの闇というか問題点というかがテーマ。ネット...ご本人のSNSでの発言もかなりソリッドなものが散見され、小心者の私(←発行人)ははらはらおどおどするばかりで、どうもスミマセン。でっ、作品冒頭に登場するシンガーの動画、私もほぼリアルタイムで観ていました。作中でも音楽評論家による“このおぞましい光景はイスラエルに固有の問題ではなく人間自体の抱えるものであり、音楽の力によって生み出されたのだ”というコメントが引用されていますが、音楽は毒にも薬にもなる。ちょっと、東京オリンピックやフジロックで国歌を歌ってた人のことが頭を過ぎりました。


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本作の主人公である「わたし(モリタさん)」は、、多摩センター駅近くのサイゼリアに長居して仕事をこなしています。同じ映像作家仲間のウエハラくんから依頼された、『嗤いながら殺す/それを見る人々│インターネット空間におけるレイシズムとジェノサイド肯定の表象』という文献に合いそうな映像素材を、ネットで収集/編集するという...「わたし」の祖父は“憲兵として中国大陸への侵略に従軍し、ソ連の進軍を察して関東軍と共に開拓団を見捨てて日本へ逃げ帰って来た”人だということも語られていまして...とにかく、そういう設定での作品であります。


終盤に記された“二つの世界のあいだにわたしは存在している”という一節が心に残ります。私はたまたまわりとラッキーな時代を日本国内で過ごしてきて、だから「人類は戦争なんて20世紀で散々懲りてしまっているんじゃないか」みたいな、主語がでかくて「たまたま」しか根拠にしていない気分のまま、ここまで生き存えてきましたが、本作はそんな私(のような人)への警告なのだろう、とも受け止めました。みなさまにおかれましては本作をどのように読まれるのか、知りたくもあり、でも(以下略)。

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 「笑顔」と「嗤い」は、ここにもあるのだと、わたしはウエハラに告げる。考察し、研究する対象、つまりは「ネタ」としての虐殺の消費。イスラエル人たちの、あの笑顔と嗤いはなんなのだろう? と考える切断処理。ガザのこと以降、アウシュビッツの色々な話が空虚に感じられて、乾いた笑いが出てしまう自分がいる、とFBへ投稿していた知人の美術作家は、数日前、ウクライナで複数の子供がロシアによる民間施設へのミサイル攻撃でバラバラになったニュースには一言も発しないのを、わたしは知っている。

 ~ウィッチンケア第14号掲載〈嗤いとジェノサイド〉より引用~




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Vol.14 Coming! 20240401

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