第14号には旅や散歩に関する寄稿作が多い、とこれまでの《寄稿者&寄稿作品紹介》で何度か言及しましたが、荻原魚雷さんの一篇は、内山結愛さんと双璧とも言える散歩作品。荻原さんと内山さん...これまでお二人のあいだに共通の〝括り〟はなかなか存しなかったかと推しますが、小誌を介して「散歩」をお題とすると、繋がる。そのへんがメディア(媒介)というもののおもしろさかな、と(いやいや、もしかするとお二人に共通する「好きな音楽」とかも、あるかもしれませんが)。さて荻原さん、SNSにはまったく手を付けず、ネットの発信は《文壇高円寺》というブログのみ。そちらの今年4月6日付のエントリーで、小誌寄稿作について触れています。“今回発表した「妙正寺川」はエッセイといえばエッセイなのだけど、いちおう心境小説のつもりで書いた。そもそも心境小説とは何か。正しい答えが知りたいわけではないが、自分なりの答えを見つけたい”と。心境小説...《日本大百科全書(ニッポニカ) 》の説明がわかりやすいかな。引用すると、“わが国で大正末年から使われ始めた文芸用語。中村武羅夫(むらお)の「本格小説と心境小説と」(1924)によれば、作者身辺の事実を題材として「ひたすら作者の心境を語らうとするやうな小説」をさす”...なるほど。
たしかに荻原さんの今作、古木鐵太郎に思いを馳せたりしながらの散歩なのですが、後半になるにつれ、ご自身の人生観のようなことも語られていて、読んでいる私(←発行人)の脳内にも「現身(うつしみ)」「空蝉(うつせみ)」...みたいなワードが点滅したりしていたかも。とくにそう感じられた箇所を、文末の本文引用で記しておこうと思います。
そして本作のタイトルである〈妙正寺川〉。この川については、今号で柳瀬博一さんも別の視点で詳しく触れていまして、小誌を介するとこのお二人も繋がった。…ぱっと見で「同人誌なのかな?」と思われることも少なくない「ウィッチンケア」なんですが、いやいや、編集方針としては、ものすごく〝別人誌〟を目指していまして、それだからこその「不思議なシンクロニシティ」が、ときおり起こったりすると楽しいのです。ぜひ小誌を手に取って、内容をお確かめください!
風のよく通る道、通りにくい道があることを知った。
昔からこの世界は作り物なのではないかという感覚があって、交差点で信号待ちをしているときなんかに周囲がポリゴンのように見えてしまうことがある。たぶん寝不足や疲労などによる脳の錯覚の一種なのだろう。
自分をとりまく世界が色褪せて見える。そんな日は川を見たくなる。水の流れを見ると色彩が戻ってくる。
以前より季節の移り変わりが楽しめるようになった。町と共に生きているという喜びを感じられるようになった。ここが自分の地元なのだとおもえるようになった。
昔からこの世界は作り物なのではないかという感覚があって、交差点で信号待ちをしているときなんかに周囲がポリゴンのように見えてしまうことがある。たぶん寝不足や疲労などによる脳の錯覚の一種なのだろう。
自分をとりまく世界が色褪せて見える。そんな日は川を見たくなる。水の流れを見ると色彩が戻ってくる。
以前より季節の移り変わりが楽しめるようになった。町と共に生きているという喜びを感じられるようになった。ここが自分の地元なのだとおもえるようになった。
~ウィッチンケア第14号掲載〈妙正寺川〉より引用~
荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品:〈わたしがアナキストだったころ〉(第8号)/〈終の住処の話〉(第9号)/〈上京三十年〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈古書半生記〉((第11号)/〈将棋とわたし〉(第12号)/〈社会恐怖症〉(第13号)
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