2021/05/12

volume 11寄稿者&作品紹介12武田徹さん

 昨年12月に武田徹さんが上梓した「ずばり東京2020」は、朝日新聞社の言論サイト「論座」で2018年8月から連載したルポルタージュに、新たな「東京コロナ禍日記」を書き下ろした1冊。タイトルからもわかるように、当初は前回の東京五輪を題材に開高健が書いた「ずばり東京」の2020年度版としてスタートさせたものの、諸般の経緯で奇しくもノンフィクション同時代史に...ええと、本日(5/11)も五輪の行方は五里霧中と言ってもいいのかな。ニュースには「さざ波」「絆」といった言葉が殺伐と飛び交っています。でっ、この先どうなるのか私にもまったくわかりませんが、しかし一昨年の10月半ばごろ、当初東京で開催予定だったマラソンがよくわからない経緯で札幌に変更されたことをどうしても思い出してしまうし、そういえば2002年FIFAワールドカップの日韓共催のころにも、この国では同じような空気が流れていたなぁ。つい最近、武田さんはクローズドなSNSで未来を予測するようなことを書いていて...うん、私もそんなふうにものごとが進みそうだと感じています。

武田さんの小誌今号への寄稿作は〈日本語の曖昧さと「無私」の言葉〉。第2号に掲載した〈終わりから始まりまで。〉から一貫して、「言葉」をテーマにした考察を試みてくださっています。今回、前半部の事例として挙げられている〝9時10分前〟ですが、もちろん私は「それは8時50分のことでしょう」と疑いすらしなかったです。「世の無常と非情」という一節、他人事とは思えず。そして作品後半では、記者経験がある哲学者・森本哲郎の〝新聞記者になって、僕がいちばん苦労したのは、文章から「私」を抹殺するという訓練だった〟で始まる一文も引用しつつ、「ジャーナリズムが自分たちの使っている言葉のあり方それ自体について意識的になること」の大切さを語っています。引用文内の〝文章から「私」を抹殺〟...これ、すごくわかりまして、自身の経験でも「私」とか「ボク」とか「俺」なしであるグレードの文章を仕上げるのって、ちょっとコツをつかまないとしんどいんですよ。ときどき「〜だと●●●は思う」みたいなので、●●●部分が雑誌名とかの原稿に出くわすと、ああ、苦肉の表現だな、と思ったり。

反動、なのか? ウィッチンケアをつくるようになってから、このような場所で寄稿者の作品を紹介するさいにも、つい「自分のこと」として語る悪いクセが付いているかもしれません、私。ですので、みなさまにおかれましては、ぜひ武田徹さんの寄稿作をダイレクトにお読みいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。



 実はジャーナリズムは人工的に日本語を変えて来た前例がある。たとえば記者がエッセーを書く場合を除いて記事を語る主語(=「私」などの一人称)を書かずに済ませようとする。取材して手に入れた事実を、事実そのものが語るような文体で書こうとするのだ。記者の主観を逃れて記事の客観性を確保するための修辞技法だが、これは日常的な日本語表現にはありえない特殊な記述法だ。

〜ウィッチンケア第11号〈日本語の曖昧さと「無私」の言葉〉(P068〜P073)より引用〜

武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈終わりから始まりまで。〉(第2号)/〈お茶ノ水と前衛〉(第3号)/〈木蓮の花〉(第4号)/〈カメラ人類の誕生〉(第5号)/〈『末期の眼』から生まれる言葉〉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》〉/〈「寄る辺なさ」の確認〉(第7号)/〈宇多田ヒカルと日本語リズム〉(第8号)/〈『共同幻想論』がdisったもの〉(第9号)〈詩の言葉──「在ること」〉(第10号)

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2021/05/11

volume 11寄稿者&作品紹介11トミヤマユキコさん

 ウィッチンケア第10号への寄稿作〈恋愛に興味がないかもしれない話〉で、自らの研究テーマを「労働系女子マンガ」だと語っていたトミヤマユキコさん。じつはトミヤマさん、今年から手塚治虫文化賞の新たな選考委員を務めていまして、先月末(4/28)に第25回受賞作が決定。マンガ大賞は「ランド」(山下和美)でしたが、ネットで公開された選評によると、トミヤマさんの推しは笹生那実「薔薇はシュラバで生まれる【70年代少女漫画アシスタント奮闘記】」。おお、まさに「少女漫画のアシスタント」という労働する女性を描いたマンガ! と納得しつつ、同作については今号への寄稿作〈俺がお前でお前が俺で──マンガ紹介業の野望〉でも言及されていたことをあらためて思い出したのでした。2020年は〝マンガ家による体験記、回想録がとても話題となった〟としたうえで、「松苗あけみの少女まんが道」とともに名を挙げ、さらに同じ系譜でもう一作ということで、庄司陽子の「ゴールデン・エイジ」を紹介していたな、と。

タイトル、そして本文にも出てくる「マンガ紹介業」という言葉、トミヤマさんの仕事へのスタンスを端的に表しているなと思います。大学の先生(東北芸術工科大学芸術学部文芸学科講師)/研究者なのですから、その成果の発表ならもっとアカデミックな響きの言葉で飾っても...いやいや、きっとトミヤマさんは自分が「これだ!」と思ったマンガの魅力を、できるだけ多くの人にきちんと「紹介」することが自らの使命と考えているんだろうな。ポイントは「自分が」と「きちんと」だと推察できて...つまり「世の中で良いとされているから、そういうものとして」紹介するのではなく、自分のお墨付きとして、責任持って紹介したいと。だから、作中にある〝たぶんわたしは「紹介する」という行為に、なんらかのケミストリーを期待しているんだと思う〟という一節に共感しました(ここで言う「ケミストリー」とは、紹介者としての良い意味での「山っ気」だとも私は理解)。

トミヤマさんは4月から朝日新聞の新書評委員にも選出されて、4月10日には「女ふたり、暮らしています。」(キム ハナ)、5月8日には『友達0のコミュ障が「一人」で稼げるようになったぼっち仕事術』(末岐碧衣)を紹介。とてもお忙しそうですが、ぜひ土曜日の朝にもケミストリーを起こしてください!



 さらにつらいのは、どうにか読み終えたマンガの中から、みなさんにご紹介する作品を絞り込まねばならないということだ。たくさん連載を持っているわけではないし、媒体それぞれの性格を考えると、「エロすぎるのでダメ」「人が殺されているのでダメ」「シュールすぎてダメ」みたいなケースも当然予想される。また、「まだ1巻なのでダメ」とか逆に「巻数が多すぎてダメ」というのも実はけっこうあるのだった。うう、難しい。
 各媒体ごとにカラーがあるのは仕方がないのだが、推したい作品が選ばれないのはやっぱり悔しい。それって食わず嫌いじゃない? 騙されたと思って食べてみたら案外おいしかったってこともあるんじゃない? とか思っている。いちいち言わないけど。


〜ウィッチンケア第11号〈俺がお前でお前が俺で──マンガ紹介業の野望〉(P064〜P066)より引用〜

トミヤマユキコさん小誌バックナンバー掲載作品:〈恋愛に興味がないかもしれない話〉(第10号)

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2021/05/10

volume 11寄稿者&作品紹介10長谷川町蔵さん

 昨年2月3日の夜、私は渋谷モディをウロウロしていました。そこがかつて丸井渋谷店本館だったことを知っている身として「ずいぶんざっくりしたテナント構成になっちゃったんだなぁ」と、一抹の寂しさなど感じながら。時間より少し早く着いたので、HMV&BOOKS SHIBUYAで「ディスク・コレクション ファンク」なんて本を買うか買うまいか迷っていたら(けっきょく買った)、長谷川町蔵さんとばったり。...って、モディにいたのは長谷川さんと大和田俊之さんの「文化系のためのヒップホップ入門3」刊行記念トークイベントに参加するためだったのだから、べつに不思議でもないことなのですが、しかし、あの日の対談ではまだ「新型コロナウイルス感染症」の話題って、出ていなかった記憶。その後、バタバタと世の中がコロナモードになって、アメリカではBLM〜合衆国議会議事堂襲撃事件なんてことまで起こって。いまの状況で、あらためて長谷川さんと大和田さんの話を聞いてみたいと強く思います。

長谷川さんの今号への寄稿作〈川を渡る〉で描かれているのは、「あたしたちの未来はきっと」(小誌掲載作をベースに2017年に刊行された小説集)のなかの一篇〈彼女たちのプロブレム〉で触れられていた、ある事件の詳細。東京都町田市と神奈川県相模原市を隔てて流れる境川周辺が物語の舞台で、〈彼女たち〜〉では〝「見ず知らずの相手にクスリを盛られてラブホでマッパのまま死にかけた」という危険な伝説の持ち主〟とされていた田中真由。彼女と今作の「俺」こと寺山翔太のあいだになにがあったのかが明かされています。東日本大震災の3年後、という設定でして、作中には真由が計画停電のことを思い出して「あの時はすごく心配だったし、もう元通りにならないって思ったけどあっさり戻っちゃったよね」と翔太に語りかけるシーンが印象的。...2011年の夏は暑かった。なぜなら、国民の多くが暑くても節電してたから。2014年の夏、エアコン全開で店の扉を開けている店、東京では普通にあった。

もうひとつ、翔太の台詞として「近くに親戚のおじさんが住んでいるんだけど」という一節がさらりと盛り込まれているんですが、ストーリーと照らし合わせて「えっ、そのおじさんってもしや...」と気づいた人は、かなり幸せな気分になれるはず。ちょっと、これ以上の内容に関する説明は野暮なだけなので、みなさまぜひ小誌を手にとってお楽しみください!



「服着てるとこ、見ないでよね」
「誰が見るかよ」
 俺が大輝と映美に「大丈夫だった。これから帰る」とショートメッセージで送っているうちに真由は帰り支度を終えた。スモーキーグリーンの長袖Tシャツにスカジャンを羽織って、ボトムは黒のスリムパンツ。黒のコンバースを履いている。町田の女子高校生の間ではちょっと知られたダンス・パフォーマンス部のスターの出来上がりだ。「今ちょうどクラブ・イベントが終わって店から出てきました」みたいな澄ました顔をしている。上下スエット姿で汗だくの自分がアホらしく思えた。

〜ウィッチンケア第11号〈川を渡る〉(P058〜P063)より引用〜

長谷川町蔵さん小誌バックナンバー掲載作品:〈ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド〉(第4号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈プリンス・アンド・ノイズ〉(第5号)/〈サードウェイブ〉(第6号)/〈New You〉(第7号)/〈三月の水〉(第8号)/〈30年〉(第9号)/〈昏睡状態のガールフレンド〉(第10号)

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2021/05/09

volume 11寄稿者&作品紹介09柴那典さん

 たとえば昨年4月某日の、忘れもしない日曜日の午前中。安倍晋三前首相が自宅でステイホームする動画を見てかなり混乱した私は、音楽ジャーナリスト・柴那典さんによる《星野源「うちで踊ろう」安倍首相 “コラボ事件” に抱いた強烈な違和感》という記事を読んで、ずいぶん心が楽になりました。この一件に限らず昨年から今年にかけて、世の中でのできごと(おもに音楽関係)について、柴さん経由で知ったこと/納得できたことがかなり多かったです。今号への寄稿作〈ターミナル/ストリーム〉内でも言及されている、瑛人の「香水」がなぜあんな大ヒットになったのかとか、あるいは竹内まりやの「Plastic Love」や松原みきの「真夜中のドア/stay with me」がいまどういう経緯/感覚で聞かれているのか、とか。

じつは私、いわゆるフェス体験はほとんどなく、長く〝宅聴き音楽愛好家〟なもので、ライヴ関係の方々はたいへんだろうなと思いつつも、音楽との付き合いかたにほぼ変化はありませんでした。むしろ柴さんが今作で分析を試みている、(元号でいえば令和以降に目立ち始めた)従来型の説明ではわけのわからない「流行現象」のほうが健全なのでは? と思えたりもして。思い返せば、2010年代の半ばの(マスメディアを介した)国内音楽産業って、おもに秋元康/EXILE/ジャニーズのどれかに紐付いたものが「流行っていることになってる」タームだったような気がするんですが、そんな状況を是認しないとどこか居心地が悪い、って時代のほうが異常だったと私は思います。「たぶん、ターニングポイントは2017年だと思っている」「どうやら世界は再魔術化しているんだ」という柴さんの考察、いまのうちにしっかり読み込んでおかないと、気づいたらミーム(呪術)とアルゴリズム(魔術)に翻弄されるばかりになっちゃいますよ!

「危ないから基本的にはあんまり大きな声で言わないつもりでいるけれど、ピザ」(〜以下略!)、という捉えかたにも共感できました。...最近、長く交流のある何人かがSNSで米国大統領を「売電」などと書くようになってて心が痛いです。いっぽう、若いころに「百億の昼と千億の夜」で免疫がついた、みたいなことを書いている知人もいて、私は後者推しですね〜。



 僕はそのたびに首を捻っていたのだけれど、2020年になって痛感したのは、ひとたび何かが流行ってしまえば、世の中の人たちのほとんどはそれを「そういうもの」としてすんなり受け入れてしまう、ということだった。自慢するわけじゃないけど、YOASOBIの「夜に駆ける」についての記事をメディアに書いたのは2020年1月のことで、たぶん僕はあの曲に最初に着目したうちの一人だと思う。瑛人の「香水」がチャートを駆け上がっていったときも、かなり初期から記事を作っていた自負がある。

〜ウィッチンケア第11号〈ターミナル/ストリーム〉(P052〜P057)より引用〜

柴那典さん小誌バックナンバー掲載作品:〈不機嫌なアリと横たわるシカ〉(第9号)/〈ブギー・バックの呪い〉(第10号)

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2021/05/08

volume 11寄稿者&作品紹介08小川たまかさん

 小誌第4号からの寄稿者・小川たまかさん。これまでは小説形式の作品を受け取ってきましたが、今回は〈トナカイと森の話〉と題したエッセイでした。拝読しながら私は、なんだか直接お目にかかって話をしたときのように言葉が伝わってくるなぁ、と感じていました。小川さんの文章はネット上にも多々掲載されていまして、日頃はたとえば《Yahoo!ニュース個人》のような記事スタイルのものに接することに慣れているのですが、扱うテーマは「性暴力」「ジェンダー」などであるものの、今作は自分語り的なせいか、脳というより心臓のほうにじわじわ効いてくる一篇。だからなのかな、お人柄の優しい部分と厳しい指摘とのバランスが、個人ブログがベースだった著書『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』よりもさらに〝声〟に近い印象を残します。

朝井麻由美さんの紹介時にも書きましたが、私は世代的に「昭和男子のなれの果て」。昨年映画「天気の子」がテレビで放映されたのを観て、ロケーション(代々木会館)がオマージュになっている「傷だらけの天使」もひさびさにアマゾンプライムで観てみました。若き日の萩原健一と水谷豊はあいかわらずかっこよかったけれども、しかし物語の背景である「昭和の社会構造」には胸がざわついてしまった。あっ、3月にはマスクをしっかり装着して「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を観賞してきまして、こちらもひさびさにDVD(個人録画)のアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」を観てみました。シンジ君はあいかわらず情けなかったけれども、しかし物語の背景である「平成の社会構造」(設定は「西暦2015年」だけど)にも、胸がざわついてしまった。...ざわつくってことは、つまり心当たりがあるわけで。今年2月にメディアで騒動となった森会長の言動はとんでもないんですが、でも私の内部にも「森喜朗さん的なるもの」は存在しているのだと思います。

作中ではいま活躍している20代の芸能人の、「森騒動」に対するコメントにも言及されています。小川さんの見立てを私なりに理解するに、この件はいわゆる老害問題/世代間問題/男・女差の問題とかではなく、社会構造の問題だと(...それにしても「わきまえる」って嫌な言葉)。ええと、私の理解が合っているのかどうか、ぜひ多くのかたに読んで確かめていただきたく存じます。タイトルから連想して「クリスマスの楽しい話?」なんて、早とちりなどしませんように〜。



さすが医大の女子受験生一律減点が明らかになっても「女は体力ないんだからしょうがないよね」って声がデカく響く社会。日本の最大のタブーは「日本には女性差別がありまぁす!」と口にすることだろう。だから男女平等を男女共同参画と言い換える。女性差別撤廃とは口が裂けても言わずに、多様性が大事、全ての人の人権が大事と言い始める。

ウィッチンケア第11号〈トナカイと森の話〉(P044〜P050)より引用

小川たまかさん小誌バックナンバー掲載作品:〈シモキタウサギ〉(第4号)/〈三軒茶屋 10 years after〉(第5号)/〈南の島のカップル〉(第6号)/〈夜明けに見る星、その行方〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈強姦用クローンの話〉(第8号)/〈寡黙な二人〉(第9号)/〈心をふさぐ〉(第10号)

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Vol.16 Coming! 20260401

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