2021/05/20

volume 11寄稿者&作品紹介19藤森陽子さん

 具体的なお話までは伺っていませんが、観光/外食産業の取材をメインの仕事にしている藤森陽子さんにとって、この1年余はさぞかし制約の多い期間だったかと想像します。新年のSNSには「人生最大に手を洗っていた」「ハンドソープと消毒スプレーのことを熟考し、成分にやけに詳しくな」った毎日、と記していたし。...あんまり詳しい話題じゃないけれど、ユッキーナのお姉さんのタピオカ屋さんが云々、とか揉めていたのは、もう一昨年ですか。木下優樹菜もタピオカ屋さんも見かけなくなって短くもない時が経って、また夏がやってくる。藤森さんが小誌前号で紹介していた台湾の伝統的なデザート・豆花(ドゥファ/トウファ)は着実な人気でファンを増やしているようで、そういうほうがいいんだと思いますですよ(それにしても台湾、いろいろな意味で注目を集めることが多かったな)。

藤森さんの寄稿作〈上書きセンチメンタル〉で一番印象に残ったのは、「最初に会った時からまあちゃんはそういう人だったから、それが彼なんだと〝そのまんま〟理解していた」という一節。幼少期〜小学校1年生ぐらいの記憶か...私の場合、事象と時間がしっかり結びついているのは小学校3年あたりからでそれ以前のは断片的にしか思い出せないのですけれども、でも子ども心にインパクトの強かった光景は、短い動画みたいに脳のどこかに焼き付いていて(たとえば道路で蛙が大量に轢かれていた、とか犬に噛まれそうになった、とか「よ」という字を書こうとして書けなかった、とか)、たぶん藤森さんの「まあちゃん」との逸話も、動画的に再生されているのではないかな、と想像したり。たしかに、小学校1年生にとっての6年生は巨大だった。大人より得体の知れない生き物感があって、危険な存在に思えた、かも。

作品終盤で語られている藤森さんの怒り、共感できました。「何かのきっかけで刷り込まれた矮小な見解を、自分の頭で考えようともせず、さも世の常識のように語る輩」...ホント、お仲間同士の〝勉強会〟にでもしておいてほしいことを「さも世の常識のように」拡散しまくっているヘンな連中、ツイッターとかにいますよね。だいたい、いつも同じようなメンツだったりして、まるで「イジメッコの小6がたむろってる」みたいに思えます。



 まるでリトマス試験紙に鮮やかな色が忽然と浮かび上がるように、まあちゃんという存在によって、ふだん覆い隠されているものが不意に露わになる。そんな周囲の感情に晒されるたび、心の表面がザラザラと削られて、真っさらだった自分の意識に何かが〝上書き〟されていった。
 偏見とか差別意識とか、そうした原始的な感情は一体いつ芽生えるのだろう。
 二十一世紀も二十年を超え、昭和から三十年以上経った今、私たちはツルツルとした小さな板ひとつで、通信も支払いも生活のほぼ全てを賄えてしまう〝近未来〟に生きているのに、相変わらずどこかで戦争は続き、人はネガティヴで粗暴な感情から一向に解放されずにいる。

〜ウィッチンケア第11号〈上書きセンチメンタル〉(P120〜P124)より引用〜

藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈茶道楽の日々〉(第Ⅰ号)/〈接客芸が見たいんです。〉(第2号)/〈4つあったら。〉(第3号)/〈観察者は何を思う〉(第4号)/〈欲望という名のあれやこれや〉(第5号)/〈バクが夢みた。〉(第6号)/〈小僧さんに会いに〉(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)/〈らせんの彼方へ〉(第10号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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