2021/05/06

volume 11寄稿者&作品紹介06久山めぐみさん

 久山めぐみさんとは2019年11月の文フリ以来リアルでお目にかかっておらず(その節はたいへんお世話になりました!)、今号でのメール経由の寄稿依頼よりまえのやりとりといえば昨年4月、久山さんが編集者として5年もの歳月をかけて世に送り出した「変容する都市のゆくえ 複眼の都市論」刊行のさいにSNSで、ひとことふたこと。いや、久山さんとだけではなく、この1年余は小誌関係者とリアルでお目にかかる機会、ホント、必要最小限でして、はい、もちろんいわゆる「テレワーク」(←ものすごく間抜けな響きだと思う、ついでに「DX」ってのも、どうなの?)で要件や案件は伝え合えるんですけれども小誌はそうゆうのからこぼれ落ちそうなものに依って立とうとしている媒体なので困るんだよなぁ、このコロナ禍。

「ロマンポルノは女性の力を描いてきた、と書くと、能天気なテーゼに映るだろうか。」と、冒頭から挑発的な切り込み(仮説)で始まる久山さんの今号への寄稿作〈立てた両膝のあいだに……一九八〇年代ロマンポルノの愉しみ〉。前半は女優・風間舞子の身体的な特長を事例に、日活映画のロマンポルノというジャンルが内包していた二重性等について考察し──ええと、ここで〝余計なお世話的〟な編集者解説を入れておきますと、久山さんは私より大幅に若く、いま20歳くらいの人がバブル期のトレンディドラマを観賞、みたいな体験としてロマンポルノに接していると思われ/余談ついでに私(同学年で一番有名な方は皇居にいらっしゃる)にとっての「日本活動冩眞株式會社」は、自分で映画を観にいくようになったころにはすでに成人映画の「にっかつ」だった記憶──さらに寄稿作の後半では、映画内で描かれた女性の社会的な立ち位置(フェミニズムとの関係性)についても語られています。いまの世の中、コロナ禍のせいでみんなが苛立っていて、ややもするとロマンポルノというだけで安易なポリコレ的、あるいは「森喜朗さん的なるもの」の徒花的に語られちゃいそうな雰囲気もあるので、久山さんの丁寧な検証作業は大事、と発行人として思います。

それにしても「濃厚接触」という言葉が悪いイメージ(理系的にか?)を纏い、自粛警察が自然発生し、GWまえには「灯火管制」「禁酒法」なんて言葉までネットで飛び交っていて、この先いったいどうなっちゃうんでしょうか。コロナ禍がそれまでの因習を変えていく転機になればよいのだけれども、でも〝自粛〟って(昭和〜平成へのそれでも感じたけど)世の中をシュリンクさせるばかりで、あんまりよろしいこととは思えんですよ。



 ロマンポルノで、いや、多くの映画で、女性の強い肉体は観客の視線を集め、ときに観客を襲い、脅かす潜在性をもっていた。ただしそれは同時に、そうして視線を集めるからこそ視覚的享楽の対象として消費されてしまう脆さをはらむ。小津や溝口、ゴダールなどの女性像も決してこれを免れるものではない。ロマンポルノは身体イメージがとくに映画にとって核となるので、映画一般での女性身体の強さと、強さが伴う脆さ、という二重性を、いわばあけすけに示してくれるジャンルなのだと思う。

ウィッチンケア第11号〈立てた両膝のあいだに……一九八〇年代ロマンポルノの愉しみ〉(P032〜P037)より引用

久山めぐみさん小誌バックナンバー掲載作品:〈神代辰巳と小沼勝、日活ロマンポルノのふたつの物語形式〉(第9号)/〈川の町のポルノグラフィ〉(第10号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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