昨年10月に「失われた「文学」を求めて【文芸時評編】」(つかだま書房)を上梓した仲俣暁生さん。同書には「出版人・広告人」での連載文芸時評(2016年10月〜2020年6月号まで)が時系列順に収められています。取り上げた作品でいうと「コンビニ人間」(村田沙耶香/2016.7)「ジニのパズル」(崔実/2016.7)から「星に仄めかされて」(多和田葉子/2020.5)まで。仲俣さんの小誌今号への寄稿作〈テキストにタイムスタンプを押す〉では、この本の制作プロセスでの新たな発見、編集者とのやりとりなどについても詳しく語られていて...2020年を通して一度もリアルではお目にかかりませんでしたが(2019年11月の文フリが最後)、コロナ禍のステイホーム生活もご自身の知恵できちんと糧に変換しちゃっていたのだなぁ、と感化されること多かったです。いや、仲俣さんにだってじれったいことや怒りたいこと、あったと思うのです。でも逆境のなかに意義を見い出していくような本作での姿勢、大事なことだな、と自分の来し方を振り返って強く思ったのでした。
2011年の震災と今回の厄災の違いについて語られている箇所は、とくに頷いてしまいました。前者については「震災のときはいまよりもっと、機会をとらえて外に出て人と話をしていた気がする。なんというか、それぞれが自分の経験した「震災」について饒舌だったし、互いに話をしたがっていた」。対して、後者については「新型コロナウイルス感染症のもとでの生活は、のっぺりと平準化されている。マスク、手洗い、不要不急以外はステイホーム。とりあえずこの三カ条を厳守していれば、不安が一定以上に広がることはない」。...そうだった、震災後は誰もがおしゃべりで行動的で人懐っこかった。今回は、メディア(SNS)経由ではヒステリックな言説も聞こえてくるし、個々も心理的には「繋がり」を求めているけれど、なにしろ「じっとしてる」のが一番なわけだし。もう、ここでしっかり自分と対峙しないでどうする、と思い直しています。
タイトルの一部となっている「タイムスタンプ」という言葉。小誌今号も後年振り返れば2021年という時代の刻印にはなるのでしょう。でも仲俣さんの語りに習えば、発行人として掲載作のひとつひとつが「その固有時の文脈を離れてもなお意味をもちうる」ものであると信じています。
ウィッチンケア第11号〈テキストにタイムスタンプを押す〉(P038〜P042)より引用
仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品:〈父という謎〉(第3号)/〈国破れて〉(第4号)/〈ダイアリーとライブラリーのあいだに〉(第5号)/〈1985年のセンチメンタルジャーニー〉(第6号)/〈夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記〉(第7号)/〈忘れてしまっていたこと〉(第8号)/〈大切な本はいつも、家の外にあった〉(第9号)/〈最も孤独な長距離走者──橋本治さんへの私的追悼文〉(第10号)
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