趣味の良し悪し、みたいな話はなかなかむずかしくて、そもそも「良/悪」よりは「好/嫌」「合/否」くらいで軽く往なしたいところですが、しかし木村重樹さんのウィッチンケア第13号への寄稿作が「アグリーセーター」と「鬼畜系」を扱ったものなのですから、多少は踏み込まないと。たとえばYAHOO! 知恵袋に「半袖のポロシャツを買うならラルフローレンかラコステどっちがいいと思いますか?」という質問があって、回答(5件)は3対2でラルフローレンの勝利。私(発行人)ならラコステだな、できればフララコの、きれいめな色の。ラルフローレンは...とくにビッグポニーのやつはそのむかしテレビで金正男さんが白のそれを着ていた記憶が鮮烈すぎて、私的にはありえない。ちなみに私の友人で明らかに私よりお洒落なTさんは「夏でも半袖はありえない」と。Tさん、スニーカーと野球帽にもダメだししていたので、つまりふだんの私の見映えは、Tさん的にはアグリー。べつに、諧謔でそんな恰好をしているわけではないのですが...。
本作ではアグリーセーターとともに、1990年代半ばに社会現象化していた鬼畜系についても、木村さんなりの現在の視点での見解が述べられていますので、ぜひ小誌を手に取って内容をお確かめください。でっ、このへんの話題は、当時傍観者だった私が分け入るにはかなり深い闇が立ちはだかっていそうで、ちょっと周辺のことを、少し。やっぱり、あのブームとインターネットの普及って、どこか共振していたような気がするのです。「見たい/知りたい」っていう欲望が爆発的に加速して...って書いていて、そもそも「鬼畜系」のことも「1990年代半ばのインターネット状況」のことも、同時代体験のない人々にどう説明したらよいのかわからない問題が。
本作には《偽善や健全や建前、オシャレやモテに関する同調圧力……これら一連の「スカした」風潮に対する(文化系弱者側からの)悪意とあてこすりとしてのエクストリーム志向、そこから「鬼畜系」独特のナイーヴさとリベラリティを見い出し強調するのは、身贔屓が過ぎるのだろうか?》という一文があります。私はこの感じ、わかるんですけれども、でも〈令和のものさし〉で検証されると「迷惑系ユーチューバーとどこが違うんだ?」みたいな話にもなりそうだし。本作文末の《○○○○○》、なのかもしれないなぁ、と私も思います。
〜ウィッチンケア第13号掲載〈アグリーセーター と「本当は優しい鬼畜系」の話〉より引用〜
木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈更新期の〝オルタナ〟〉(第3号)/〈マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」〉(第4号)/〈ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感〉(第5号)/〈40年後の〝家出娘たち〟〉(第6号)/〈映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]〉(第7号)/〈瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」〉(第8号)/〈古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー〉(第9号)/〈昭和の板橋の「シェアハウス」では〉(第10号)/〈生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉(第11号)/〈2021年「まぼろし博覧会」への旅──鵜野義嗣、青山正明、村崎百郎〉(第12号)
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