2023/05/08

VOL.13寄稿者&作品紹介24 武藤充さん

 Witchenkareは2010年下北沢で創刊した文芸創作誌ですが、発行人である私は、これも世田谷区某所が本籍ですが、しかし物心ついてからの生活拠点の約半分は東京都町田市(←東京都です!)でして...そうだな、いま住んでいるところに引っ越してきたのは、日本シリーズでジャイアンツの王貞治が逆転サヨナラスリーランを打ってブレーブスの山田久志がガックリと崩れ落ちたころ...というわけで、2013年にシモキタからマチダに凱旋(撤退...)して早10年。やはりこの「町田」という地域のことも誌面で伝えていきたいとの思いもあり、地元に詳しい武藤充さんにお願いして、たとえば「まるごとぜんぶ町田の本」(ぴあMOOK)にも書いていないような事柄を紹介していただいております、なお私と武藤さんの出会いについては、ぜひウィッチンケア第12号のさいの〈寄稿者&寄稿作品紹介24〉をご参照ください!


今号での武藤さんの一篇は原町田地域(現在の町田市を代表する商業地)にある浄運寺の話から始まります。このお寺、若いころ友人と飲み過ぎてフラフラになってひと休みしたりとか、けっこう親しみのある場所なんですが、まさか、武藤さんのご先祖様が...《かくして、浄運寺は氷武藤家を祖とする寺と呼ばれることになる》。でっ、開基にまつわる経緯はこの前段に記されているので、読んでみてのお楽しみに! しかし、現在放映中のNHK大河ドラマ「どうする家康」の信玄と勝頼を見ていると、強そう過ぎて、後に《武田の落ち武者》が町田にやってくるなんて想像できないw。このくだりには現在の町田の名所・仲見世商店街にある商店と同じ「姓」が出てきたりもするので、もっともっと深掘りした話を知りたくなります。

本作の終盤には、なぜ原町田地域が一大商圏に発展したのか、その理由が推察できる一節もあります。じつは、私がいま住んでいるのは奥付にもあるとおり、本町田地域。「本」が付いているんだからこっちが「町田中の町田」(江戸時代は大山詣りへの三軒茶屋から続く経路だった、とか)だろう、と思うんですが、いま栄えているのは原町田。そうだったのか、と目から鱗が落ちました。


 私は平成18年に母を亡くし、日向武藤家当主になった。父も祖父も早くに他界していたので、武藤三家の歴史について、親から話を聞くことはなかった。そこで、平成20年に、局武藤の当主・武藤訷夫氏と氷武藤の島崎稔江氏に、詳しい事を伺う機会を持った。
 局武藤の訷夫氏は、残念ながら昨年の2月14日に亡くなってしまった。元気な頃は、歴史研究会などで昔の原町田を解説するなど、町の長老として活躍していた。この時の話は、現在の横浜線町田駅ができた頃(明治後期以降)が中心であった。氷武藤も局武藤も、明治9年に起きた原町田の大火(ローソク屋火事)と、昭和8年に115戸を焼失した原町田大火(放火)により、所蔵の各種資料を失っていた。伝承は、難しいものである。当家は幸いにして、蔵が度々の火災から難を逃れ、幾ばくかの資料が残り、江戸時代中期くらいからの原町田を垣間見て取ることができる。現在、その古文書は町田市立自由民権資料館にあり、原町田村武藤(日向武藤)家文書目録として編集製本化されている。

〜ウィッチンケア第13号掲載「氷武藤家の足跡」より引用〜

武藤充さん小誌バックナンバー掲載作品日向武藤家の話〉(第12号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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