「チェーンのように永遠に繋がれてきた遺伝子の輪の、最後の切れ端にいる自分の寄る辺なさを、ふと思ったりする。」
つねに八面六臂の活躍がまばゆい小田島久恵さん。GW前には突然キース・エマーソンと小田島さんのツーショット写真がネット上にアップされ(...昨年の大河ドラマの影響で吉松隆氏に注目が集まったからとは思いますが)、中学生の頃にNHKのEL&Pライヴを接続コードでダビングしたような人間にとっては、あまりにびっくりな写真でした! そんな小田島さんは、元旦に実家で「おごそかな書類」(巻物です!)を発見、見知らぬ自分...というか「遺伝子の輪の、最後の切れ端にいる自分」と対峙したという、なんだろう、一時期流行った「自分探し」とは似たようでまるで異なる「自己再認識」についての顛末を、「私のファミリー・ヒストリー」と題した作品として寄稿してくれました。著書「オペラティック! 女子的オペラ鑑賞のススメ 」やウィッチンケア第3号掲載作「スピリチュアル元年」ともどこかで繋がる、時空を俯瞰したクールな視点が印象的です。
そういえば、私の父方の古い家にも、家系図みたいなものがあり若い頃にちらりと見ましたが、たしか四代前まで辿ると新潟県N市あたりに墓があるらしく、「捨蔵さん」という人が一家を一度破産させたとか...満州国皇族と一緒に描かれた先祖の掛け軸もあったりしたが...なんでも鑑定団に出したらきっとボロボロだろうな〜。さらに話を脱線させると、私が歴史の教科書だか参考書だかを読んでいて、初めて同姓の人物にシンパシーを持ったのは中学生の頃、多田行綱。チクリ魔として歴史に名を残しているところが、なんかねぇ(タルカスもとい大河「平清盛」では野仲イサオが演じていました)。話を小田島さんの作品に戻しまして、同作内で筆者は巻物に記された事柄を「どんな創作より胸を深くえぐるすさまじいもの」と表現しています。また、生物的本能をまっとうしてきたご先祖さまに思いを馳せることで、自身がずっと抱える「泥のような厭世観」については口を噤む慎ましさに、私はぐっときてしまいました!
私の母は2010年に日帰りで東京から長野へ出向き、善光寺参りをしたが、目的はこの倉松の霊を彼の没した地で弔うためだったという。
倉松の息子、彦右衛門はペリー来航の頃に養蚕業で財を成そうとした田舎のハイカラ起業家。岩手・川井村から東京まで馬車を何往復もさせて、蚕を運び、その道中に福島の飯坂温泉の芸者との間に私生児をもうけた。典型的な遊び人である。その子供はのちに名僧になったという。養蚕工場は一時期、村の農民の多くを雇用するまでに拡大したが、いい時期は続かず、やがて衰退。五代目彦衛門は莫大な借金を残して40代で亡くなった。
お調子者の色男・彦衛門の正妻は女傑で、読み書きが出来たため岩手の田舎で寺子屋を営んでいた。とても厳しい、厳格な女教師であったとか。彦衛門の血を継いだ長男は早くに亡くなり、次男の政司郎(まさじろう)は北海道に渡り重労働に従事し、過労のため夭逝。そして三男の友治郎(ともじろう)は、川井村に暮らす妻子を一度に亡くす不幸に見舞われた。
ウィッチンケア第4号「私のファミリー・ヒストリー」(P062〜P065)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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