2013/05/08

vol.4寄稿者&作品紹介08 林海象さん

「数多い足穂作品のなかでも、映像化するともっとも手強いだろうと感じていた。」

稲垣足穂の「彌勒」を映画にしたい。私はこの構想を、2003年9月に林海象監督から直接伺いました。月刊誌の仕事で大阪の庭園鉄道、京都の鞍馬山、同市内のとある廃屋等を同行取材したのですが、私の記憶が間違っていなければ、その時点ですでに「来年には公開したい」と...。そのくらい具体的な話で語れるほどに、監督の頭の中では“絵が描けていた”のだと思います。しかし監督は同時に、実際の映画制作については「いままでとはちがう方法を見つけなければいけない」「あせらず、探るように撮っていくしかない」とも。その真摯な表情から、映画の門外漢である私にも「新しいこと」に挑戦する表現者の緊張感が伝わってきました。そして月日は流れ昨年夏、ネット上で<謎の映画「彌勒 MIROKU」(現在は新世紀映画「彌勒 MIROKU」)>が制作中/2013年公開と知りました。10年という歳月がなぜ必要だったのかは不明でしたが(その事情については小誌掲載作でぜひ!)、ああ、林海象さんは「やると言ったことはやる」人だな、と震えるくらい感動しました。

「彌勒 MIROKU」は今年7月、現在の林監督の活動拠点・京都でまず公開され、その後全国の「観客のいる場所」に届けられる、とのこと。「彌勒 MIROKU 公式サイト」を見るとこの作品の特徴がよくわかります。たとえば90人のメイン制作スタッフは、京都造形芸術大学・映画学科の学生であること。映画は2部構成で、「第一部 少年編」では映画学科の女優たちが夢みる少年役を、「第二部 青年編」では永瀬正敏、井浦新、佐野史郎などおなじみの俳優が、夢のなれの果ての登場人物たちを演じていることetc.。「私立探偵 濱マイク」以来17年ぶりの林海象/永瀬正敏作品だというのも、映画ファンにはたまらないですね! 詳しくはぜひ http://0369.jp/ を隅から隅まで!! そして林海象さん、めちゃめちゃ多忙ななか、Facebookでの寄稿依頼を快諾してくださり、ありがとうございました。小誌掲載作品が「彌勒 MIROKU」のPRに少しでも役立てれば、発行人として本望です!

「彌勒」は難解な作品だが、私は稲垣足穂の自伝として読み深い感銘を受けた。極貧で数々のアルバイトに明け暮れていた二十代の私は、社会の厳しさと対峙し、真っ暗闇のなかでもがいていた。そんな自分と「彌勒」の主人公・江美留が重なった。
 足穂の凄さは、有言実行を生涯貫いたことだと思う。同時代の作家の多くは「心は昔のまま」と言いながらも、最終的には大きな家を持ち、「先生」と呼ばれて偉くなった。最後まで何も持たず、浴衣一枚で自身の信じる生き方を実践したのは足穂だけで、それは「自分の作品に責任を持った作家」だということだ。
 初めてこの作品を読んだ十代後半の私は、こんな大人がいることに驚き尊敬した。その頃の私には大人というものが、もっと嘘つきで汚いものに思えていたのだ。多感な時期に足穂と出逢えて良かったと、今でも思っている。
 十二年前、四十代になっていた私は「今なら『彌勒』を撮れるかもしれない」と、機が熟したような気持ちになった。すぐに脚本を書き始め、完成後許可を得るために、稲垣都という女性にラブレターのような手紙を書いた。都さんは稲垣足穂の唯一の肉親。実子のいない足穂が五十歳にして初めて結婚した、志代婦人のお嬢様だ。


ウィッチンケア第4号「『彌勒 MIROKU』誕生秘話」(P046〜P049)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

Vol.14 Coming! 20240401

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