2021/05/31

ぜひ、新国立競技場で!(第11号編集後記)

 2020年を「一回休み」したウィッチンケアは、予定どおり毎年恒例の《5月はすべての寄稿者/作品紹介》〜編集後記に辿り着きました。しかし、今日(2021年5月31日)の時点でまだ《東京2020オリンピック・パラリンピック》がどうなるのかはっきりしていない、とは。なんか、戦争とかも、一度始めちゃうと「終わり」にするほうがたいへんなんだろうな、と思ってなりゆきを気にしています。

コロナ禍の影響? もちろん、いろいろありましたとも。思い返せば「よく出せたなぁ」と背筋が凍る局面も少なくなく...あっ、ひとつ具体的に書き残しておきます。これまでは新たな寄稿者に依頼する場合、そのかたの出版記念イベントに出向いたり、知人を介して面識を持ったり、みたいなことを大事にして小誌をつくってきました(オマエは古くさい、と言われてしまえばそれまでなんですが、でもそうしてきました)。今回、イベントも「知人を介して面識」もハードル高し。また昨今の〝世の中のルール〟的に「見知らぬ人にメールを送って見本誌送付のために住所を尋ねる」という行為も、ハードル高し。「PDF版があれば見ます」と返信をもらって「紙しかないんです」とお伝えして...そのままということもありました(その女性とは今号発行後に再連絡をとりあえる機会があり無事見本誌送付/いまは「怪しいヤツ」とは思われていない、と思う)。

そんな状況でしたが、写真家・岩田量自さんとデザイナー・かむらまきさんによる新しいビジュアルで、世の中に送り出した第11号。多くのかたの手に届くこと、発行人として切に願っています。そして5月いっぱいかかった《寄稿者/作品紹介》、もちろん各エントリーの「その時点での反響」も気になりつつ、でも前回も書いたように『「それぞれが毎号積み重なって当ブログがアーカイヴになること」の意味が大事』との思いは変わらず、です。

引き続き今号の読者を増やすための活動を続けます。同時に、五輪を横目で追いつつ、どんな次号がつくれるのかを考えます。「やっぱり小誌はここがこうなってないといけない」「あそこをああすればよりおもしろくなりそう」のような事柄がいろいろ頭にありまして、まぁ、いまのような諸々がビフォー・コロナになることはないでしょうが、それでも前に進む方法はあるはずなので。

前々号後記では「ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜」、前号後記では文学フリマでの「ウィッチンケア書店」を告知できたのに、今回はちと寂しい!? いやいや、その分もしっかり充電して《五輪後》に備えます。みなさま、まずはウィッチンケア第11号をどうぞよろしくお願い致します!

って、またテキストばかりなので今年もいまの気分の1曲。...なにはともあれ厄災後はぜひ、このかたとでも新国立競技場で楽しくやりたいですなー!



2021/05/26

volume 11寄稿者&作品紹介32矢野利裕さん

 矢野利裕さんとも〝リアル〟ではだいぶご無沙汰しておりまして...そうか、小誌前号での寄稿者&作品紹介で「明日(5/26)の夕方4時から〜」と記した「文化系トークラジオLife トークイベント 武蔵野レアグルーヴ ~いま、〝武蔵野〟を再発見する~」でお目にかかって以来なのか。それでもネット経由で矢野さんのお話を伺ったり、文章に触れる機会は少なくなく、たとえばごく最近だと、今月8日に配信された荒木優太さん、仲俣暁生さんとの鼎談「文芸誌と文芸批評のゆくえ――新人小説月評における削除をきっかけに」だったり、あるいは音楽評論家の柳樂光隆さんや高橋健太郎さんと、Twitterで1980年代初頭の「ブリット・ファンク」についてつぶやき合っているのを拝見してたりして(当時貸しレコード屋でバイトしてたので、FreeezとかLevel 42とかがよく稼働していたけれど、なんとなく〝いわゆるフュージョン〟とごっちゃにされてた印象だったので、あれは違うムーヴメントだったよなぁ、と納得したり)。

矢野さんの小誌今号への寄稿作〈資本主義リアリズムとコロナ禍の教育〉は教育現場の実感として、近年の学生/生徒の生活・行動様式の傾向、それに対する学校(教師)の役割などについて論じたものです。4部構成で、[3]以降ではICT教育、コロナ禍による教育環境の変化についても考察。拝読致しまして、〝外野〟から雑な感想を差し挟むのは失礼だと思いつつも、しかし学内で日々「ワイヤレス・イヤフォンとスマホ」を身につけた若者とコミュニケートするのって、ホントにたいへんそう──私が町で見かける(だけの)最近の若者って、総じてこざっぱりしてて物腰柔らかくて、って印象なんですけれども──だな、と。「いずれ優秀な人材となりうるとともに現時点ではすぐれた消費者である、という「個性」のありかたを認めつつ、同時に〈規範意識〉を教えなくてはならない」という[2]の最後にある一節に、いまの教育の難しさを感じとりました。しかも〈規範意識〉のほうも社会の変化とともに揺らぎ続けている、のか...。

「自分の授業においてオンライン授業が順調だったのは、ひとえに、生徒の学力と文化資本が比較的高いからだと考えられる」という、コロナ禍での教育の当事者・矢野さんの言葉が印象的でした。こういう、謙虚かつ包括的に状況を判断してくれる先生の教え子は幸せだなぁ、と。作中には矢野さんがオンラインと併行しておこなった「オフラインでの働きかけ」についても語られています。みなさま、ぜひ小誌を手にとって全容をお確かめください!




 このように考えると、教員であるわたしたちが目の当たりにしている光景が、いかに新自由主義以降のものであるか。それは教員側だけでなく、スマホでつねにサービスの消費者として生きている生徒たちにおいても同様だ。だとすれば、登下校における教員と生徒のやりとりひとつとっても、そこにいかにグローバル資本主義が食い込んでいることか。このような状況下においては、教育の崇高な理念を掲げて、資本主義と無縁な領域を想定するのも、正直なかなか難しい。

〜ウィッチンケア第11号〈資本主義リアリズムとコロナ禍の教育〉(P196〜P205)より引用〜

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volume 11寄稿者&作品紹介31木村重樹さん

 2016年に開設したWeb上の《note版ウィッチンケア文庫》。現在20作品を掲載していますが、いつのころからか(数人抜きで)全期間アクセスのトップに躍り出て、以後、そのまま走り続けているのは、木村重樹さんが小誌第2号にご寄稿くださった〈私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉。...たしかに、初出から10年が経ち、そこに書き残された諸々がより「貴重な証言」になったようにも思える──でも「ちょっと、何言ってんだかわからない」とZ世代からサンドウィッチマン・富澤的な反応をされるかもわかんないし〜──わけでして、ええと、今号での木村さんの寄稿作〈生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉は、〈私が通り過ぎて〜〉でも語られていたロックバンド・KISSについての、愛情溢れまくりな評論(←エッセイ、かも)です。私的には、〝ロック語り〟的に書いたらウン万字いけちゃいそうですが、ここは冷静に、内容のご紹介だけ(コロナ禍が治まったら〝リアル〟で、とことんw)。

洋楽に目覚め、1975年に初めてLP盤(『スージー・クアトロ・ストーリー 永遠のゴールデン・ヒッツ』/戸越銀座の〝街のレコード屋〟にて)を購入した木村さん。次に夢中になったのがKISSだったのは何故? 作中では〝なぜそこまでキッスに夢中だったのかと問われると、正直「よく覚えていない」のである〟としつつも、当時の記憶を辿りながら、このバンドの魅力(と裏話)について語ります。私は最初のLPが親に買わせた「CBS SONY 3周年記念 ギフト・パック・シリーズ『サイモンとガーファンクル』(限定版〈2枚組〉¥3,000 ●'72年度版アーティス・トカレンダー付)」で次は「栄光のシカゴ」、ロックのライヴ盤だと当時新宿高校の従兄弟の家から持ってきちゃった(まだ返してないw)「Chicago at Carnegie Hall」が初体験だったりするので、いやぁ、この頃の《初期設定》が後々の音楽傾向に大きな影響を与えているのだと思います。私はけっきょく「ロックも好き」な軟弱軽音楽好きになりました。

木村さんの寄稿作がきっかけとなり、私もKISSを聞くようになりました。じつは、高校生のとき町田バスセンターにあった新星堂で「地獄の狂獣 キッス・アライブ」を店内立ち聞きして以来、ラジオくらいでしか聞いたことなかったのです。なんというか、あのプロレス的な禍々しいルックスと「聞きやすい普通のロック」っぽい曲調にピンとこなくって。...でももう余生もあまり長くはなさそうなので、食わず嫌いは改めます。



 熱狂のピークは、レコードC面に収録された「100,000 Years」だ。曲の途中、ピーター・クリスのドラムソロに割り入るように、フロントマンのポール・スタンレーが観客とのコール&レスポンスを10分近く展開する。まるでミサの司祭のように……[*1]。
 ライブ盤を購入し、初めてこの曲を聴いた自分は、興奮のあまり鼻血を出したくらいだった(今でもライナノーツに鼻血の跡が残されているから、これは思い違いではない)。生のライブの熱狂をパッケージングすることに成功した同アルバムは、それまでのキッスのレコード・セールス不調を帳消しにする、全米チャート9位にまで登りつめた。

〜ウィッチンケア第11号〈生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉(P190〜P195)より引用〜

木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈更新期の〝オルタナ〟〉(第3号)/〈マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」〉(第4号)/〈ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感〉(第5号)/〈40年後の〝家出娘たち〟〉(第6号)/〈映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]〉(第7号)/〈瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」〉(第8号)/〈古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー〉(第9号)/〈昭和の板橋の「シェアハウス」では〉(第10号)

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2021/05/25

volume 11寄稿者&作品紹介30ナカムラクニオさん

 昨年10月に「描いてわかる 西洋絵画の教科書」(玄光社)、今年1月には「洋画家の美術史 」(光文社新書) 、そして今月は「こじらせ美術館」(ホーム社)と、アート系の著書をハイペースで上梓しているナカムラクニオさん。小誌今号への寄稿作は精神分析学者・ジグムント・フロイトへのインタビュー...えっ!? いえいえ、タイトルの〈妄想インタビュー フロイト「夢と愛の効能」〉からもわかるように「もしフロイトが生きていたら」という創作作品であります。ナカムラさんがインタビュアーとなって、フロイトに聞いてみたかった質問を投げかける。答えるのは「ナカムラさんの知識として存するフロイト」、だという。作中のフロイトが語っている生い立ちや経歴は史実そのままですが...けっこう令和の世の中でもそのまま人生相談として通じそうな仕立てになっていまして、それは質問内容が人間にとっての普遍的な命題だから。ちょっと屈折した感じの語り口なのも、こんな人だったのかもしれないなぁ、という〝リアルさ〟を漂わせています。

「愛」についてのインタビュアーとのやりとり、とくに印象的です。「愛こそが、成功を生み出すということなのでしょうか?」という質問に対し、フロイトの答えは「そうだ。それは間違いない。あらゆるものの中心に愛を置き、愛し愛されることに至上の喜びを見出せた時、幸福は訪れるものなんだ」と、自信満々に肯定。しかし、インタビュアーがさらに「愛し愛されることに喜びを見出せれば、すべての人がみな幸せになれるのでしょうか?」と問うと、「いや、そうとも限らない」...なんか、急に弱気になったようで、なぜか女性心理に関しての持論へと話題がスライドしてしまいます。あれれ、このフロイトさん、もしかしたらトラウマ的な失恋とかを内々に引き摺っていて、でもそのことが偉大な研究成果に密かに影響を及ぼしている!? みたいな深読みもできておもしろい!

終盤にはフロイト流の「幸せに生きるヒント」も開陳されています。この答えがまた含蓄があるというか、煙に巻かれるというか...読者のみなさまにおかれましては、ぜひ本編の微妙なニュアンスを楽しみつつ、各自フロイトからのヒントを解釈して、幸せな人生を邁進してほしく存じます。



──弱さを認めれば、それだけでいいと? 
フロイト その通り。「力」とは、つねに、あなた自身の弱さの中から生まれるんだ。弱さを認めることが強さだとも言える。それに幸福になる方法なんて、自分で実験してみなければわからない。一定のルールなどは存在しないんだ。弱さこそが、強い殻を作り出す。サボテンにとげがあるのは自分自身が弱いからだ。アルマジロに固い殻があるのは、弱さの裏返しなんだよ。

〜ウィッチンケア第11号〈妄想インタビュー フロイト「夢と愛の効能」〉(P184〜P188)より引用〜

ナカムラクニオさん小誌バックナンバー掲載作品:〈断片小説 La littérature fragmentaire〉(第7号/大六野礼子さんとの共作)/〈断片小説〉(第8号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈断片小説〉(第9号))/〈断片小説 未来の本屋さん〉(第10号)

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2021/05/24

volume 11寄稿者&作品紹介29ふくだりょうこさん

ふくだりょうこさんは今月開催された第三十二回文学フリマ東京にも「ものくろからふる」として出展されていたようで...いやあ、「一回休み」後のウィッチンケアなんて、まさにしっかり準備して臨むべきイベント、だとは思っていたのですが、正直、開催できないかなと思ってた。ここ数日の世間の風向きだと、どうやらオリンピックも「あり」で動いているようにも感じられて、ふくださん、さぞかし準備などたいへんだったことでしょう(祝!! 『文芸誌Sugomori vol.1』発刊)。...そんなふくださんの小誌今号への寄稿作〈知りたがりの恋人〉は、語り手である「俺」の恋人の、「最近思うんですけどね」というひとことから始まります。適当にあしらったりするとたいへんなことになる、と過去の経験から知っている「俺」は、スマホをテーブルに置いて恋人の言葉に耳を傾けると...。

物騒な話題が続きます。「人を殺すってとんでもない愛を感じますよね」「相手を殺してから自分も自殺をするという話をも聞きます。それは、殺すことで相手を独占し、あの世で一緒になりたいという欲求では? あの世があるかは知りませんが」...「俺」、まあ、耳を傾けてはいるんですが、なぜ恋人がこんなダウナーな話を続けているのか、ピンきてはいない様子。あくまでも世間話という認識で、「自分のものにならないから殺すってすごくエゴじゃないか? というか、ワガママ?」とか、持論を展開しちゃったりして(その根拠レスな自信はどこからきているのか?)。 おー、フラグ立ってる! このままで終わるとは思えない...と、読んでいるこっちまで不安になってきたタイミングで、でも恋人は意外な言葉を口にします。そこからの怒濤の展開...おっと、これ以上は、読んでみてのお楽しみ。

後半の流れは恋愛小説というより、ちょっとホラーっぽかったりもして。この一篇はタイトルも含めて、あくまでも「俺」目線なんですよね。ふくださんならきっと「恋人目線」でも、同じ物語を成立させられそうで、その場合はおそらく探偵小説っぽくなったりするのかもしれないなと思いました。



一度、スマホをいじりながら適当に相槌を打っていたら、その後一週間、口をきいてくれなかったし、メッセージも返してくれなかった。確か、「自分で作るサンドウィッチに入れるのは両面焼いた目玉焼きがいい。カットしたときに切り口が美しいから」という話だったと思う。あのときは参った。同じ学科の恋人。授業を受けているときの横顔が美しくて、どうしても欲しくなって、俺から告白した。何度もフラれたけれど、一年口説き続けた。大学二年の夏から付き合い始めてもうすぐ半年。その中で学んだ教訓だ。

〜ウィッチンケア第11号〈知りたがりの恋人〉(P178〜P183)より引用〜

ふくだりょうこさん小誌バックナンバー掲載作品:〈舌を溶かす〉(第10号)

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Vol.16 Coming! 20260401

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