2017/05/07

vol.8寄稿者&作品紹介07 矢野利裕さん

前号では学校の詩的な可能性についての一篇をご寄稿してくれた矢野利裕さん。今号でも教育の現場にいる立場から、ご自身の体感的な教育論(...いや、今作は先生論、と言ってもいいのかな?)を展開しています。教員像の事例として言及されているのは「ドラえもん」(のび太の担任)、金八先生、「GTO」となじみやすいものも多いのですが、論の前半〜なかばまででは、とくにRCサクセションの「ぼくの好きな先生」について、さまざまな角度から何度か検証されていて興味深いです。

私はリアルタイムでこの曲を聞いていた人間ですが、まさか後年、もっと若い世代から<「ぼくの好きな先生」における「先生」は、身体の動きとして見たとき、なにより喜劇人としての豪快さがないのだ。声が小さく、小粒でサブカル>という指摘があるとは! お原稿が届いて一読し、正直びっくり(←痛快さ含む)しました。...’70年代学園モノ体験者(具体的には村野武範の「飛び出せ!青春」と中村雅俊の「われら青春!」)にとって、当時小ヒットした、忌野清志郎が描いたこの「先生」は、のちに「文化系」「帰宅部」と呼ばれる人の拠り所、みたいなイメージがあったし...あ、はい、私は完全に帰宅部でした。しかし入稿までのメールやりとりで、矢野さんとこのへんの意見交換できたこと、楽しかったな〜。

「ぼくの好きな先生」...いまや懐メロ&スタンダードでして、歌ではピンとこないかたも多いかも。もし機会があれば2015年にNHKで放映された「忌野清志郎 トランジスタ・ラジオ」というドラマを探してみてください。先生役の 田辺誠一さんが好演していました。

寄稿作の後半では教員の身体性について、サッカー部の顧問である矢野さんのコミュニケーション実践例も紹介しながら語られています。教員と生徒についての<支配/被- 支配的な関係に見えながら、その実、非常に協力/協働的な関係性になっている場合もある>といった分析など、じつに細やかな視点だと感じましたし、なによりテン年代の先生って求められるスキルが高いんだな、と驚いたり...裏を返せば、先生が先生であることを生徒(や親や学校)側が「先生である(←身分として)」ことだけでは承認しない社会なのかな〜、とも。いやほんと、目から鱗が散乱するような作品なので、ぜひみなさま、小誌を手にとってご一読ください!



 一方、「ぼくの好きな先生」では、「たばこを吸いながら困ったような顔して/遅刻の多いぼくを口数も少なくしかるのさ」と歌われるが、いま聴くと、この教員の尻拭いを他の教員がしているんだろうな、とか、余計なことを考えてしまう。きっとボソボソ声なのだろう「ぼくの好きな先生」は、いまの自分の立場からすると、悪いポピュリズムを感じて、以前ほど魅力には思えないところがある。「ぼく」の「遅刻」を「口数も少なくしかる」というシーンも、現実的に想像してみると、頼りないか嫌味たらしいかのどちらか、という感じがしてしまう。個人的には、嫌味たらしく叱られるよりは、「ばっかもーん!」とハキハキと叱られたほうがさわやかで、あとくされがないと思う。

ウィッチンケア第8号「先生するからだ論」(P038〜P046)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品
詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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