私はリアルタイムでこの曲を聞いていた人間ですが、まさか後年、もっと若い世代から<「ぼくの好きな先生」における「先生」は、身体の動きとして見たとき、なにより喜劇人としての豪快さがないのだ。声が小さく、小粒でサブカル>という指摘があるとは! お原稿が届いて一読し、正直びっくり(←痛快さ含む)しました。...’70年代学園モノ体験者(具体的には村野武範の「飛び出せ!青春」と中村雅俊の「われら青春!」)にとって、当時小ヒットした、忌野清志郎が描いたこの「先生」は、のちに「文化系」「帰宅部」と呼ばれる人の拠り所、みたいなイメージがあったし...あ、はい、私は完全に帰宅部でした。しかし入稿までのメールやりとりで、矢野さんとこのへんの意見交換できたこと、楽しかったな〜。
「ぼくの好きな先生」...いまや懐メロ&スタンダードでして、歌ではピンとこないかたも多いかも。もし機会があれば2015年にNHKで放映された「忌野清志郎 トランジスタ・ラジオ」というドラマを探してみてください。先生役の 田辺誠一さんが好演していました。
寄稿作の後半では教員の身体性について、サッカー部の顧問である矢野さんのコミュニケーション実践例も紹介しながら語られています。教員と生徒についての<支配/被- 支配的な関係に見えながら、その実、非常に協力/協働的な関係性になっている場合もある>といった分析など、じつに細やかな視点だと感じましたし、なによりテン年代の先生って求められるスキルが高いんだな、と驚いたり...裏を返せば、先生が先生であることを生徒(や親や学校)側が「先生である(←身分として)」ことだけでは承認しない社会なのかな〜、とも。いやほんと、目から鱗が散乱するような作品なので、ぜひみなさま、小誌を手にとってご一読ください!
一方、「ぼくの好きな先生」では、「たばこを吸いながら困ったような顔して/遅刻の多いぼくを口数も少なくしかるのさ」と歌われるが、いま聴くと、この教員の尻拭いを他の教員がしているんだろうな、とか、余計なことを考えてしまう。きっとボソボソ声なのだろう「ぼくの好きな先生」は、いまの自分の立場からすると、悪いポピュリズムを感じて、以前ほど魅力には思えないところがある。「ぼく」の「遅刻」を「口数も少なくしかる」というシーンも、現実的に想像してみると、頼りないか嫌味たらしいかのどちらか、という感じがしてしまう。個人的には、嫌味たらしく叱られるよりは、「ばっかもーん!」とハキハキと叱られたほうがさわやかで、あとくされがないと思う。
ウィッチンケア第8号「先生するからだ論」(P038〜P046)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品
「詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)」(第7号)
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