2017/05/29

vol.8寄稿者&作品紹介31 東間嶺さん

昨年の7月24日(日)、たまたまクルマで津久井湖〜城山湖あたりを通りがかって、ずいぶん開けた(郊外化した)したもんだな、なんて思っていたのです。在町田市の私にとっては遠いところではないが、でもそんなにいくところでもなく。でっ、翌々日に「津久井やまゆり園」の事件が報道され、ほんとうに重苦しい気持ちになりました。そういうとき、自分のなかに澱んだものをアウトプットしたくもなるんですけどね(でもしない/最近あまり聞かない言葉だけど、とにかくROMる)。

東間嶺さんは今号への寄稿作について、自身が参加している【エン-ソフ】に自著紹介文を寄せています。そこには<言葉をこねくりまわすことによってしか輪郭を明瞭にできないものはあり、ぼんやりとではあれ解像されてきたその主題を、わたしは、これからも繰り返し繰り返し、扱っていくつもりでいる>という一節があり、それを読んで私はちょっと救われた気分になったりもしています。<こねくりまわ>した後の言葉を作品というかたちでアウトプットする場所(←っていうより回路)として、小誌を利用してくださるのはありがたいことだ、と。

今作に登場する<@uehara_ryu>さん。ROMってる私は少なくもなく〝彼〟と遭遇しています。それはネット上にいるらしい見知らぬ<@uehara_ryu>さんであったり、えっ!? あなたが、という実在する(ことが偶/必然でわかっちゃった)<@uehara_ryu>さんであったり。後者の場合はかなりショックなんですが、でも、そもそもなにかあるとROMる私のようなやつは、その行動において〝内なる<@uehara_ryu>さん〟を抱えていたりしないか、とも考えたりもしています。

作品の大きなテーマは<ショブン>という言葉。<ある高名な社会学者>は、私は月に1〜2度(たぶん)、新聞の人生相談コーナーで回答を読んだりしているはず。...もちろん、しっかりした議論がされるべきだと考えますが、しかし個人的には、今作で東間さんが描いた<わたしとアマノさん>の関係性のほうが印象的でした。そもそもネット上の別人格なんてありえるのかな、それ、過渡期を経ていずれ統一されてくんじゃ、なんてことも、いろいろ考えてしまったのです。



 ウエハラ@uehara_ryuという、アイコンに東京オリンピックのエンブレム選定で盗作を疑われたデザイナーの、目線モザイク入りコラ画像を使うそのアカウントは、数分前からニュース記事への反応をつぎつぎにツイートしている。

 生産性ゼロの垂れ流しゾンビに俺らの税金延々使われるとか、普通に無理なんですけどクソが。

 ウエハラのプロフィール欄には、アラフォーの底辺デザイン土方です。最近は政治に関心がありますが、意識は低めです。@いっさい反応しません、と書かれている。
 連投をひととおり確認しながら、わたしは上目遣いにアマノさんへ視線をおくる。カップ麺を食べ終えたアマノさんは、ゼリー状の栄養補助剤をくわえながらモニタをみつめ、iPhoneをかなりの高速でタップ&フリックしている。アマノさんの両親はまだ生きてるんだろうか? わたしはふと、そう思う。

ウィッチンケア第8号「生きてるだけのあなたは無理」(P188〜P194)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品
《辺境》の記憶」(第5号)/「ウィー・アー・ピーピング」(第6号)/「死んでいないわたしは(が)今日も他人」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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