もの書きとしての仕事だけでなく、多方面で活躍中の木村綾子さん。下北沢の本屋B&Bさんのスタッフでもあり、今年は2月に開催した長谷川町蔵さんと山内マリコさんの対談イベントではご担当者としてお世話になりました。同店での小誌取り扱いでは店長さんが窓口ですが、納品やチラシの案内で伺ったさいに木村さんがいらっしゃるといつも「新しいのできたんですね!」と笑顔で声を掛けてくださり...本をつくる作業ってのは編集〜校了まではほんとうに「引き籠もり状態」でして、その後一転して外回り/営業になるので、トンネルから出たばかりのようにクラクラしてるところで気遣いの一言などいただくと、じつに身に沁みてありがたいのでした。
木村さんの寄稿作にはiPhoneとFaceTimeが登場します。作品内の、〝私〟と祖母の<視線が合う>までの細やかな描写は、iPhoneユーザーでこの機能をつかったことのあるかたは、すごくリアルに感じるはず。「ばあば」はきっと、自身のてのひらに渡されたものがなんであるのか正確にはわかっていなさそう(小型テレビ? 携帯電話?)...でもそこにリアルタイムで愛しい孫がいることはごく自然に受け止めて日常会話が始まる。なんか、スティーヴ・ジョブズすげえ、って感じの21世紀物語なのですが...でももっとすごいのは、木村さんの手にかかるとそんなハイテク・コミュニケーション(←古い表現...)がいにしえの日本映画のように静謐な佇まいで描かれてしまうこと、なのかも。
作品の後半になると、祖母の短歌集にまつわる逸話が語られます。ここでの〝私〟の驚きと戸惑いも言外の感情まで伝わってきて印象的でした。私事ですが私の祖母も自費出版の歌集を残すような人でして、それを読んだときに「おばあちゃんが恋の歌を!」と息が詰まりました(まあ、大人だったので、映画「エル・スール」のエストレーリャほどには驚きませんでしたけれども)。
...それにしても、〝私〟は細やかで心優しい女性です。作中では短歌集のノートを渡されたのが<なぜ私だったのだろう>と自問していますが、読み手にはきっと、祖母の心中が伝わっているはず。自分に相通じる繊細さを孫娘に感じたからこそ、後世に繋げたいなにかを託したのだと思います。みなさまぜひ、小誌を手にとって木村さんの掌編「てのひらの中の彼女」をご堪能ください!
あれは、まだ祖母がたくさんのことを覚えていた頃のことだった。
きまぐれに帰省した私のもとに祖母が突然やってきて、ノートの束を見せて言った。
「あやちゃんが生まれるずっと前から書き溜めていたの。でももう書くことは無いと思うから、もしよかったらこれ、もらってくれない?」
それは自作の短歌集だった。歌は21歳の春から始まり、冊数が増えていく中で彼女は嫁ぎ、母となり、夫を失い、老いていった。
ウィッチンケア第8号「てのひらの中の彼女」(P026〜P031)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
Vol.14 Coming! 20240401
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