申し訳ないですが、私は走ることが嫌いで、できれば余生で一度たりとも「走らなければいけない状況」に遭遇したくないです。数年前、ワイドショーでジョギングブームにコメントを求められた青木理さんが「急いでもいないのに、なぜ走らなければいけないの?」と根源的な問い返しをして、いまんとこ青木さんに100パーセント賛成! ただし、私は過去、前言をころっとひっくり返しても平然と生き存えている人間──ex.1996年の夏、「オレのメイン器機は東芝Rupo」と公言していた男は中野純さんに白旗あげて秋葉原に連れていってもらいPerforma 6260購入──なので(天の邪鬼どころか恥知らずですな)、いつ翻意するかわかりませんが、しかし友田聡さんがまさか「走る人」になるとは、想像すらしませんでしたYO。
...私もいつか走り出すのか? 泳ぐのなら1キロでも2キロでも平気なので、あの「ひとりぼっちで身体を動かしている」感覚はなんとなく想像できるのだけれども、でもいまは、とりあえず拙宅の横の遊歩道を通り過ぎていくランナーの姿に仲間入りする自分が想像できない。犬散歩させる自分ゴルフする自分カラオケマイク握る自分ユニクロ着てる自分(友達いなくなりそうなのでこのへんで自粛w)。
「走れ、天の邪鬼」は走ることに目覚めた人間の楽しさを伝えてくれる作品ですが、私はむしろ、何気にさらっと書いてある<きっかけは睡眠外来で告げられた脅しのような警告>という箇所が気になりました。睡眠外来?? お会いするといつも変わらずの笑顔ですが、なにか心身のリセットを必要とするようなことと向き合っていたのかも。ランニングと出会って本来の生活リズムを取り戻したのかも、などと想像してしまいます(余計なお世話)。
スクエアやカシオペアが流行っている時代でもRossington Collins Bandの話をしていた友田さんですから、きっと「天の邪鬼」の本質は変わっていないのだと思います。東京マラソンが始まったのは2007年...その後、ランナーに転身してからの暮らしぶりだと思って「暮らしのリズム」「ときどき旧暦な暮らし」「手前味噌にてございます」「東京リトルマンハッタン」といった小誌寄稿作を読むと、なかなか感慨深い。。。
流行ものに対しては取り敢えず斜め姿勢をとる〝天の邪鬼”は、例外なくこの騒動に冷ややかな視線を送っていた。「東京マラソン」の時は、コースが横切る月島の町から逃げ出していたほどだ。「寒くて、乾燥し、乾っ風が吹く二月の東京で、何でマラソン?」、「晴れればまだしも、冷たい雨や雪に見舞われたらとんでもない。無理無理!」、「高倍率を勝ち抜く〝運”はもっと別のことで使わなくちゃ」といったような悪たれ口を、確かに言っていた。ああ言いましたとも。五年くらい前までは。ランニングとは無縁で、激メタボだった頃。
バチが当たってか、「東京マラソン」は三連続ハズレ中。確率からすれば、運が悪いというほどのことでもないが、前言撤回と併せて、しっかり禊をしなければ、いつまでたっても走れないかもしれない。そんなわけで、齢五十を過ぎた頃からすっかりランナー気分に浸っている。
〝人は変われる”と確信している。では何が変えたのか。きっかけは睡眠外来で告げられた脅しのような警告だった。「全然眠れていませんね。血管はカチカチです。安眠を得て健康を取り戻すにはとにかく定期的な運動を」。で、始めたのがウォーキング。姿勢を正して、リズム良く、少し早めに三〜四キロ。一年間ほぼ毎日続けた。が、体重などの数値に変化はほとんどない。それでも飽きることなく歩き続けられた。きっと気持ちが良かったからだろう。習慣になってくると休むのが悪いことのようにも思えた。ちょうどその頃、春夏秋と三シーズン、上海で単身暮らしをすることになった。夜のお付き合いは無く、アパートの横には適度な広さの公園があり、日の出とともに目を覚ましては、ひたすら歩き続けた。初夏のある日のこと、日本のテレビを観ていたら、「スロージョギングのすすめ」という特集に目がとまり、思わず〝ガッテン”してしまった。これがランナー人生への第一歩だったのかもしれない。
ウィッチンケア第5号「走れ、天の邪鬼」(P210〜P213)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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