私もまた諸般の事情で短くもなく旅に出かけることのない生活を続けていますが、しかしおさまりの悪い性格ゆえ、いずれがんばって再度旅人になるかもしれず...いや、旅は「がんばってするもの」だという思いが私にはあるのです。なんというか、「軌道修正のきっかけ」みたいなものが旅なのではないか、と。桜井鈴茂さんの小誌第5号への寄稿作を読んで、あらためてそんな思いを強くしたのでありました。
昨年のいまごろ「冬の旅 Wintertime Voyage」を読み感動しました。同作品のタイトルにも旅という言葉が使われていますが、きっと桜井さんも「○泊○日△×◎を巡る観光ツアー」みたいな旅は、苦手なのではないかな。私は短かった勤め人時代に「社員旅行」「部署旅行」を数回経験したことがあり、う〜む、あれはいま思い返せば、まあ、楽しかったっていえば楽しかったような気がしないでもないですが、やっぱり「みんなで今期の予算達成したら旅行しようぜ」みたいな集団からは、はみ出すべくしてはみ出したというか。
「ここではないどこかへと絶えず思ってきたし今だって思っている」と題された寄稿エッセイは、今夏刊行予定である桜井さんの新作「どうしてこんなところに」のサブテキスト的な性格も帯びた作品です。<ここではないどこかへ>という思いを<陳腐の域>と表現しつつも肯定し、さらに<旅に出たいなあ、なんてことだけを表すおめでたいものではなく。そこには、まだ見ぬ「どこかへ」に託す希望はもちろんだけど、それ以上に、自分の暮らす土地だったり生きている現状だったり置かれた境遇だったりする「ここ」への失意や倦怠や嫌悪、そして「ここ」を脱出する覚悟なんかも含有されているのだから>と分析していて...つまりこの思いは「向上心」と言い換えることも...いや、そんな言葉で表現してしまったら、陳腐どころか身も蓋もないか。「それってつまり●●ですよね」みたいな説明ではこぼれてしまう大事なことを表現するために、書き手は膨大な言葉と格闘するのですから。
寄稿作の終盤では、<ここではないどこかへ>というフレーズと新作のタイトルとの関係性も明かされていきますので、桜井さんの小説ファンには、ぜひ読んでいただきたいです。...そしてこの紹介文を書きながら私の頭のなかではなぜか古い歌謡曲が鳴り続けていまして(どうもサビのフレーズが寄稿作内の言葉と勝手にリンクしてしまった模様)...すいません、桜井さん。またイアン・マッケイやガイ・チャドウィックの話ができること、楽しみに!
いや、旅自慢をしたいのではなく。さぶい戯れ言であなたの首筋に鳥肌を立たせたいのでもなく。ぼくが言いたかったのは……実家を出て以降、東京と横浜と札幌と京都と川崎にしか住んだことはないけれど、旅に出たい旅に出たいと欲しながらとりわけここ数年はいかんともし難い事情でなかなか出られなくなっているけれど、そして、ロスだろうがリオだろうがハルだろうがとにかく異国の地に住み着いてナタリー・ポートマンとか十五年くらい前のジュリエット・ビノシュとかをちょっと髣髴させるちょっとブスだけどすこぶるチャーミングな女性と懇ろになってコカインをきめてから天国を時速百マイルで突き抜けるようなファックをしてヘンリー・ミラーよろしく猥雑にして崇高な小説を日々書き綴る、なんていう夢あるいは妄想は依然として夢あるいは妄想のままだけれど、それでも、ここではないどこかへという欲望、いや、たぶんある種の病気が、ほとんど絶えず自分を突き動かしてきたのは、間違いないということなのだ。
前置きが異常に長くなったが、許されている紙幅の大半をすでに使ってしまった気もするが……いや、後出しじゃんけんみたいで少々恐縮ながらこれはもはや前置きなどではない!と断言しよう、とまれ、ここじゃないどこかへ、というフレーズが、ぼくの心の誰も入れない小部屋の黄ばんだ壁に錆びた画鋲で留められていなかったら、いくら懇意にしている編集者が提案してくれた話だったとはいえ、困窮や失意その他でにっちもさっちも行かなくなりかけていた当時のぼくにとっては恩寵のような話だったとはいえ、ほんの数日前、一年数か月にわたる連載をようやく終え、おそらく初夏か、遅くとも晩夏には単行本として刊行されるはずの、クライム・ロード・ノヴェル(と銘打ったのは編集者です)『どうしてこんなところに』を書くことはなかったかもしれない。
ウィッチンケア第5号「ここではないどこかへと絶えず思ってきたし今だって思っている」(P050〜P058)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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