やまきひろみさんの寄稿作「合鍵」は、小誌第2号に掲載した「ふたがあくまで」の続編、といっても、場所と時間の流れが継続しているだけで、物語はするりと別の語り手へとバトンタッチされていきます。
第3号掲載「小さな亡骸」では故郷・福島への思い、そして前号掲載「8番目の男 朝の部」では大好きなローリング・ストーンズへの思いが込められた作品でしたが、今作で描かれているのは...ちょっと不思議な夜の情景。タイトルに使われた合鍵、そして肉豆腐が、とってもいい味出しています(しゃれじゃなくてw)。
「合鍵」を読んで、日常と非日常についてあらためて考えました。拙作の紹介文にも少し繋がることなのですが、変化(経年変化、みたいなものも含めて)によって「あたりまえ」の根拠が揺らぐことは少なくなくて...むかしはおっかない系の論客がよく「日本人は平和ボケしていて水と安全はタダだと思っている」みたいなことを言うたびに、アンタにはだまされないぞ、と心の中で思ったものですが、まあ、それはともかく、世の中には「恋人が部屋にいる」が日常な人も非日常な人もいて、だから「いない」もまたそうであって、しかし本作に登場する「園田さん」は...このような人との関係性が日常だと、まあ、くたびれるだろうなぁ、と。
<わからないね。わからないことばかりだな>という「私」の独白が胸を打ちます。作品内では「園田さん」とのいきさつ以外、ほとんど説明されていないのですが、いったいこの人は何者(そもそも人なのか?)、と想像してみると、いよいよ謎は広がるばかり。しかし謎が謎のままでも、主人公に最後に訪れた深い眠りの安らかさは、きっと伝わってくると思うのです。
そのひと、園田さんは私の部屋の合鍵を持っている。しかし私は園田さんの部屋の鍵を持っていない。
もう鍵を返してもらおう、返してもらわなければ。そのことを考えるようになってから私はうまく眠れなくなり、長すぎる夜を紛らわしたくて歩くことにしたのだった。歩き始めたのは1カ月と数日前のことで、園田さんとは音信不通の状態がすでに2カ月近く続いている。
アパートに着くと、玄関の鍵があいていた。園田さんの靴がある。
深夜に突然、なんの連絡もなしに園田さんがやってくることはこれまでにもあった。しかし2カ月近く前にあんな気まずい別れ方をして、これだけ音沙汰なしの状態が続いていたのに、まるで何事もなかったかのようにいままでと同じふるまいができる神経とは、いったい。
居間に園田さんの姿はない。隣の寝室をのぞくと、なんと勝手に布団を敷いて寝ている。いびきをかいている。え。え。え。
そりゃないよ、園田さん。
どっと疲れが出る。くたっと肩の力が抜ける。するとなぜか唐突に笑いがこみあげてきた。長い間こわばっていたものがみるみるうちにゆるみ、ほぐれていくのが体でわかる。
ちょっと。なにうれしくなっちゃってんの。
体を横たえ目を閉じる。公園にあったあの箱がまぶたの裏に映る。狭くて真っ暗な箱の中にいる自分をもう一度想像する。
その闇の中に、園田さんの顔は浮かんでこない。
目をあける。すぐ隣に園田さんがいる。いらだちながらもほころび、くつろいでいる自分が、園田さんの隣にいる。
この事実を超えるものは、いま、ここにはない。
入ったことのない箱の中の本当の暗さは、どんなに想像しても結局のところわからない。
園田さんに渡してある合鍵はどの道いずれ返してもらうことになるだろう。どちらから切り出すのか。それが数時間後のことなのか、それとも数年後になるのか。そのとき自分はどんな気持ちになるのか。わからない。
ただ、園田さんが私の部屋の扉を二度とあけなくなる日がくる。そのことを想像している自分の胸は、この刹那、確かに、痛い。
そもそもどうして園田さんは今夜突然うちに来たのか。こんなにぐっすり眠っているということは相当疲れているのだろうけれど。
わからないね。わからないことばかりだな。
真夜中の公園に吹いていた、冬の風の冷たさが不意によみがえる。あのひとはうれしくて泣きそうだと言ったけれど、私の前では泣かなかった。夜空を見上げて、晴れ晴れとした顔で笑っていた。
ウィッチンケア第5号「合鍵」(P0183〜P189)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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