同人誌的な結束力より「開かれた場(メディア)」を志向してみたい(でもややっこしいのを)と思って小誌は創刊しました。念頭にあったのはハル・ウィルナーがプロデュースした「Music of Kurt Weill」「Weird Nightmare: Mingus Medita」のようなアルバムで、これを文字中心の印刷物で展開するとなると、どうしたものか。
前号ではアイドルの滝口ミラさんに寄稿依頼しました。じつは今号でも寄稿を打診したんですよね、昨年の晩秋に。でもそのときの事務所からのお返事は「...ちょっと、いま...」でして(おめでとうございます!)。なんというタイミングだったことか、ほんとうにびっくりしました。
今号への枝野幸男さんからのご寄稿についてはネットニュースで報じられたとおりです。発行人は寄稿作品でAKBを題材にどのような論が展開されているかを、1人でも多くの方に読んでもらいたいと願っています。そしてSNS経由で小誌を「アイドル専門誌」と誤解している方がいれば、違う、と。
寄稿作内で枝野さんは<平成の日本で、世代を超えてヒットした流行歌はSMAPの「世界に一つだけの花」だけ>(論旨)と述べていて、私も同じ認識です。「夜空ノムコウ」もかな、と思いましたが、あれはもうちょっと「若さ」に敏感に世代の歌かな。そしてそんな私は、今回初めて「さよならクロール」のPVをYou Tubeで視聴してみまして、まさに枝野さんが「前田敦子さんの顔と名前も一致しない人が多数ではないだろうか」と指摘したとおりでした(知らない人がたくさんいた...)。
品質を高くするだけでは売れない。ましてや流行歌の世界では、欧米という圧倒的な権威が存在し、Kポップがどんなに完成度を高めても、欧米を超えることはできない。いくら足を長くしても、欧米人のスタイルには(現代の美的感覚では)かなわないのだ。
とある先輩が、「AKBなんかよりKポップの方が良いだろう」と言ったので、私は「香港とシンガポールのどちらが好きですか」と聞いたことがある。予想通り答えはシンガポールだった。しかし、シンガポールは、どんなに頑張ってもニューヨークにはなれない。完成度を高める戦略は、先行する欧米に近づけても、追い抜くことはできないのである。むしろ、日本の国内やアジアの多くの国では、欧米とは異なる売りをつくることにこそ可能性があると思う。シンガポールやKポップのような欧米基準の完成度を競うのではなく、香港や歌舞伎町のようなアジア的猥雑さや、遅れて成長しているがゆえに好感を持たれる成長プロセスなど、欧米にない「何か」を上手に生かすことに活路があり、それに成功したのがAKB戦略である。
私は、かねてより、少量多品種こそ日本の活路であると訴えているが、これも、AKBが具体化している。大量生産を可能にすることは、「誰にでも作れるようにする」ことと近似する。特別の人でなければ作れないのでは、大量生産は困難である。だから、大量生産が可能な分野では、人件費の安い新興国に、日本はかなわない。他方で規格化できない少量生産は、作り手の技術・能力が影響しやすいし、高めの価格設定が可能な場合が多い。ニーズに対応して多品種を少量ずつ作ることで、人件費に見合う高い価格を設定することが可能になるのだ。したがって、これからの日本の輸出戦略では、少量多品種分野を拡大することが不可欠である。
ウィッチンケア第5号「歌は世につれ。〜秋元康・AKB戦略と日本経済〜」(P036〜P040)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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