小誌第4号に「酒のツマミとしての音楽考」というエッセイを寄稿してくれた辻本力さんは、個人誌「生活考察」の発行人。同誌の最新号(vol.5)は「食」がテーマでして、辻本さんはご自身の掲載作で「汁めし」について考察しています。
「汁めし=総合栄養食」という定義のもと、具材に関する深〜い話が展開するのですが、なにより私が驚いたのは、辻本さんの家の冷蔵庫に、豊かな食材が常備されていそうなこと。「さくっと食べて、仕事に戻る」ための家1人昼ごはんに、海苔やとろろこんぶや梅干し、あたりはまあわかるけど、蓮根や牛蒡、小松菜や春菊なんかも使う(使用可能な状態である)のか、と。私なんて、そういう場合はたいてい「おひつごはん」で済ませていました(炊飯器のおひつに残っている冷飯にふりかけとか佃煮とかをかけて流しの前で立って食べてそのまま水を張っておしまい/約1分)。
「退廃的な、おそらく退廃的な」と題した今号への寄稿作でも、辻本さんは「趣味は料理」と書いています。でっ、そんな(けっこうきちんと生活している)自分が、なぜ「退廃的な音楽」「不健康な音楽」を好むのかについての考察が繰り広げられていまして、とくに「ある種のアティテュードのようなもの」という言葉で「だらしがない」と「退廃的」の違いを語っていることに、私は深く肯きました。
最近の私はもう「ロックとはなにか?」みたいなことは考えず、ただただマイペースに自分の好きな音楽だけを選んで聞いています(...ってことは、むかしは考えていたんですけどね)。ロックとはなにか? う〜むっ、やっぱりそれはある種のヴィジョンというかスピリッツというかアティテュードというか、みたいなものがきちんと音に投影された楽曲であって、決してだらしない感情を剥き出しにしたものではないと思うのですが(誰か、またいつか語り合いましょうw)。
私がずっとロック・ミュージックを中心に音楽を聴いてきたのは、ロックの不健康性に惹かれてのことだと思うのです。不健康とロックの相性の良さは言うまでもありません(「セックス、ドラッグ、ロックン・ロール」なんて常套句を持ち出すまでもなく)。ロックンローラーたるもの、不健康であるべし! ロックンローラーは「親をリスペクト」「君がいたから頑張れた」みたいな歌は歌いません(たとえ思っていたとしても)。身体だって、そんなにムキムキに鍛えなくてもいいじゃないですか。マッチョなトレント・レズナー(ナイン・インチ・ネイルズ)よりも、デブったマンソンの方が(そりゃ痩せてて欲しいですけど)やっぱりステキですよ。
そんなわけで、わりと一貫して、退廃的な音楽の嗜好を保ったまま三十代も半ばになるわけですが、ここでひとつ告白をすると、私の生活は退廃にはほど遠く、たまにちょっと飲み過ぎる日があるくらいで、わりあい健康的と言ってよいでしょう。ちなみに趣味は料理です。ご飯には雑穀か玄米を混ぜて炊きます。さらに、昨年末からは休肝日を設けるようになった他(以前は一年のうち、三百五十五日以上飲んでました)、週に何度か、ウォーキング&ジョギングもするようになりました。
「おい! 何が退廃だよ、健康志向じゃねぇか」
そうなのです、私、退廃的な音楽が好きなだけで、ぜんぜん生活は退廃的じゃないのです(健康志向かというと必ずしもそうではなくて、美味しいものを飲んだり食べたり出来なくなるのが怖いので、最近多少健康に留意するようになっただけなのですが)。
でも日本で、本当の意味で退廃的な、破滅的な生活を送ることは、そもそも可能なのでしょうか?
ウィッチンケア第5号「退廃的な、おそらく退廃的な」(P090〜P094)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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