2014/05/22

vol.5寄稿者&作品紹介25 吉田亮人さん

写真家として「週刊新潮」「ソトコト」等で作品を発表している吉田亮人さん。京都・妙心寺退蔵院に「退蔵院襖絵プロジェクト」参加(撮影)、教育インタビューサイト「eduview」共同運営と、その活動は「シャッターを切る」に留まらない広がりを持ち始めています。

小誌への寄稿作「始まりの旅」には、小学校の先生だった吉田さんが写真家になった瞬間のできごとが記されています。作品内には<2010年4月。僕はひょんなきっかけから6年間勤めた小学校教員の職を辞め>とありまして(小誌創刊と同じ時期!)...なにが「ひょん」だったのかは知る由もありませんが、しかし人間の「スイッチが入る瞬間」なんて、衝動が勝っていてうまく言葉にできないことも多いだろうな、と推察。「あれはなんだったのか?」は、その後「結果を残す」ことで周囲に“説明”することができれば、ハッピーなのだと思います。

羊飼いのおじいさんと遭遇した場面の描写が、強烈な印象を残す作品です。映画のワンシーンのよう。でもこの状況って、ごく常識的に思い浮かべるとかなりヘン...いや、おバカ(「お利口さん」という言葉との対比において)。桜の季節までは日本で先生であった青年がインドの片田舎で汗だくでチャリンコ走らせててしかもややへこんで休んでたら意味不明の言葉を投げかけられた、って。学校を辞めなければ空調の効いた部屋でテストの採点などしていたかもしれませんしそれはそれでリア充...でもそれではいまの吉田亮人さんは誕生しなかったのだな、と。

桜井鈴茂さんの作品に登場する「ここではないどこか」という一節と、吉田さんの書いた「僕自身の中に眠る何か」という一節が私のなかで共振しました。旅はリセットの特効薬...でっ、旅が必要な理由は自分自身の問題!? 私もかつてそのような旅に出た記憶がありますが、しかしのそのなかの「ある部分」は、恥ずかしながら「なかったこと」(黒歴史)にしていたり...まあ教訓を学ぶ材料にはなっていますが。。。

 旅も中盤を差し掛かった頃、僕はインド西部のラジャスタン州の片田舎を走っていた。
 人っ子一人いない荒涼とした大地に、定規で引いた様な一本道が地平線の彼方まで続いている。走っても走っても変わらない景色にうんざりしながら、それでも何とか前に進むのだが、相変わらず僕の気持ちは後ろ向きのままだった。
 僕は路肩に自転車を止め、とめどなく吹き出る汗を拭いながら残り少なくなった水筒の水を一気に飲み干し、辺りを見回した。
 遥か向こうから羊飼いのおじいさんがゆっくりと近づいて来るのが見えた。「パジャマ」と呼ばれる白い民族衣装とターバンを巻き、「ハッ! ハッ!」と威勢の良い声を上げながら何十頭という羊を一人で前進させている。羊の歩く速度は実にゆっくりで、時折草を食みながらのんびりとこちらに近づいて来た。
 その様子を見つめていると、おじいさんも僕の姿に気付いたようだ。
 目が合った瞬間「ピーッ! ピーッ!」と指笛を鳴らし、羊の歩みが止まった。
 僕をじっと見据えたまま、微動だにしないおじいさん。
 青い目と白い髭と、彼自身の歴史を物語っているような深く刻み込まれた皺が印象的だった。
 すると彼が突然、
「○▲※■△●□!!」
 と、僕に向かって何か大声でまくしたて、にわかに歌いながら踊り始めた。
 あまりに突然のことで、僕はあっけにとられていた。
 しかし次第にその光景に強く惹き付けられるのだった。
 目を閉じて声を振り絞るように出して歌いながら、天を仰ぐように手を大きく振りかざしたり、ステップとも言えないステップを踏んだり、ジャンプするおじいさん。
 それはまるで生きる喜びや素晴らしさが体全体から発せられているようだった。
 彼の大きくて伸びやかな歌声が大地と大空に溶けていく。羊は黙々と草を食んでいる。
 僕はシャッターを切った。


ウィッチンケア第5号「始まりの旅」(P0176〜P181)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1

Vol.14 Coming! 20240401

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