号を重ねるごとに掲載作品とページがじわじわ増えているウィッチンケアですがじつは寄稿者の平均年齢はずっと下がり続けていまして発行人はそのことにわりと意識的でして「いいことだ」と思っています。
後藤ひかりさんは1993年生まれ...私と同学年で一番有名な方(皇太子徳仁親王)の、ご成婚の年ではないですか! 当時の週刊誌のグラビアに、独身時代の小和田雅子さんのカーステレオの写真が掲載されていて、カセットテープにスパンダー・バレエやデュラン・デュランと書き込まれていて「けっこうブリティッシュ!」と思った記憶...そうかあれが1993年か(遠い目)。
昨年の夏、後藤さんが「後藤ユニ」名義で出版した「サマーバケーション イン マイ ヘッド」をタコシェで入手しました。奥付を見ると第一刷発行が2012年9月で、その後同書は第18回中原中也賞の最終選考のひとつになり、増刷されています(私が持っているのは2013年3月の第二刷)。素っ気ないくらいの装丁なのですが、ページを開くと後藤さんの言葉、コトバ、ことば。ここは文芸評論の場ではないので私の第一印象だけ記しますが、冷静沈着な視線に圧倒されました。いわゆる「ポエム的」な展開とは対極というか、絵は浮かんでくるのですが、決してJぽっぷ的な情景ではなく、言葉が「描かれているもの」を支配しているというか。
「冬の穴」でも後藤さんの言葉は「てにをは」に至るまで精緻でして思い返せば1993年の私はもうすでに言葉でごはんを食べていましたがもっとぼんやりした意識で文字を組み合わせてなんとなく文章をつくりあげていたような記憶しか残っていないのでした。
長く停まるというのでそっと電車を降りて駅のホームに立つと、火照ったほおにしっとり湿ったつめたい空気が張り付いてきて気持ちがいい。車内は誰かの食べた弁当やコーヒー、汗や香水の混じったようななにか不潔なにおいで溢れていて皮膚の下がむずかゆくなる。でも2時間3時間と乗るうちに、この空気の中で育ったような気持ちになってなにも分からなくなってしまうものだ。そと、という言葉がホームに立つわたしの鼻から入って脳みそを突き抜け大きなため息になって口からでた。静かだね。何かが壊れてしまったあとみたい。線路につもった白くつめたい故郷のイメージを見ているとむずむずして吹き出してしまいそう。故郷という言葉も、引っ越しのときにかびくさいタンスから出てきた写真のように手に取るとむずがゆくなってしまう。自分が生まれ育った土地をあらわす言葉はどれも安っぽいドラマがおまけでついてくるので難しい。故郷、郷土、ふるさと、まんが日本昔ばなしに出てくるような濃いグリーンでベタ塗りされた里山のイメージ。ウサギとタヌキが手をとって踊っている。里山なんてものはほんとうはどこにもないのに、わたしたちが生まれたときはどこでもそうだったように日本人に刷り込まれた架空のふるさと。雪はCGゲームのように規則正しくあらゆる方向へなめらかに動いて消える。るるるるるるるるるるるるるるるる。るるるるるるるるるる。鼻先が湿ってつめたくなっているのが分かる。わざとはーっと声を出して口からけむりをあげてみる。ははは。ぽっぽ、ぽっぽっぽっぽっ、ぽっぽっぽっ。雪は天国のほこりなのかな。知らない土地のことを想像するのは楽しい。天国というのはいつでも電車で行ける場所にあって、そこにはほんとうのことだけがあるという。サトヤマも一種のテンゴクのようなもので、それならどこにも見当たらなくても当然だ。
ウィッチンケア第5号「冬の穴」(P030〜P034)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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