2014/05/23

vol.5寄稿者&作品紹介28 三浦恵美子さん

パルコ発行の雑誌「アクロス」の編集者だった三浦恵美子さんとは、かつてとある草の根BBSで知り合いました。モデムの速度が9600〜28800bpsのころ、それでも充分にリアルタイムでオンラインな感じがしまして、「既読なのにレスがない!」みたいな悶々はすでに味わっていましたから...System 7、っうか「漢字Talk 7.5.5」なんて言葉が生きてた時代。

三浦さんの寄稿作「〈TVガーデン的シネマカフェ〉」ではむかしのテレビのことを「まるで〝生き物〟みたいなブラウン管受像機」と描写する箇所があり、そうだったよなぁと思いました。私は文系人間なのでなぜテレビにあのような奥行きが必要だったかのかいまも詳しくわかっていませんが、しかしあの四角っぽい存在感が、なんかカラクリ箱みたいでまがまがしく、映し出されたものを見ているのに「中に誰かいて、なんかやってそう」な気配を漂わせてた。触ると熱いのも、妖しかった(コンセントを抜くと死んじゃいそうでw)。

しかし、三浦さんが仕込んでみようと思う〈TVガーデン的シネマカフェ〉...作品前半には、<たとえば「午前十時の映画祭」的なラインナップで>なんて穏やかにさらっと書いてありますが、それで安心してはいけません。読み進んでいくと<この空間で展開する名作映画上映プログラムの実例を挙げてみることにします。たとえば「果てしなき夢落ち、あるいは夢へと落下する映画という夢」と題して>...おいおい、どんな「午前十時」ですか! お医者さんの待合室とはえらい違い...。

名前の挙がった5作は、単独で観てもかなり濃そうなものばかり。これらをまとめて、しかも<6 : 1 : 1 : 1 : 1 の割合でメインプログラムに6割の空間を配分><ひとつの作品を、たとえばすこしずつ時間をずらして上映してみたら?>だなんて。この上映会に参加した鑑賞者がどうなってしまうのか、三浦さんにはどんな「確信」が「芽生えて」いるのか、ぜひ本作の全文を読んで知ってください...おかあさんはもう、許しませんから(by 仲畑貴志)w。

 最後に、〝確信犯〟による「夢落ち」作品を2点。
ひとつは、「夢」を映画に織り込むことにかけてはシュルレアリズムの時代から〝手だれ〟であるルイス・ブニュエルが、ここまでとことんやってみました、と差し出してみせた感もある『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』。もうひとつが、ここに作品を挙げた監督のなかでは最若手のクリストファー・ノーランによる『インセプション』です。このふたつの作品においては、すでに「夢」が、ゲームのルールのひとつであるかのように、「現実」と並んである種の〝実体〟さえも獲得しています。ここでは、誰かの夢を別の誰かが共有するということが、当然であるかのように可能です。誰かの夢の中の誰かの夢の中の誰かの夢の中の誰かの夢、という気の遠くなるような夢の連鎖までが想定されている。ブニュエル作品ではどこまでも現実が脱臼し続けるような奇妙な感覚が、クリストファー・ノーラン作品では夢の世界がアクション映画の文法の中にきっちり収まるという異様なシステマティックさが独特ですが、どちらも連鎖する夢の奥底へと落ちていく果てには、「虚無」が大きく口を開けて待っている。あるいは、ここまで徹底して「夢落ち」を弄ぶと、これは「夢」という名の「映画」そのものについての映画なのではないかというふうに見えてくるのが不思議です。

 さて、くだんの〈TVガーデン的シネマカフェ〉にてこの〝夢落ち〟作品特集を組む場合、どうモニター群を構成し、どういうタイミングで5作品を同時上映するのか。
 考えるだけでワクワクしてきます。


ウィッチンケア第5号「〈TVガーデン的シネマカフェ〉試案」(P0198〜P203)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1

Vol.9 Coming! 20180401

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