それなりに生き存えているので、好景気な時代も不景気な時代も覚えています。...たしかに1980年代後半は世の中の表層までギラギラしていて、ええ、当時20代後半だった私も、端っこを擦りました。詳しいシチュエーションはここでは言えませぬが、金曜日の夜、タクシーが捉まらなくて入った赤坂の寿司屋のカウンターで、年下の某美人が水槽にへばりついた鮑を指差して「あれ食べたい♥」と言うと、すぐに目の前に運ばれてきた、みたいな。
経験則で言えそうなのは、メディアって「ほんとうに好景気の最中にはそのことについて直接言及しない」ってことかも。たいがい、不景気が始まった頃になって「じつはあのときは、...」みたいになるような。でっ、でも好景気は必ずリアルタイムでメディアにも影響(恩恵!?)を与えていて、あとになって検証すると、その頃の話題や人気者がけっこうバブリーだったり(だいたい鼻の利く人はだんまりで売り抜けてしれっとしてたりする)。
バブル崩壊以降の日本経済は「失われた20年」と呼ばれているんでしたっけ? 1984年生まれの開沼博さんは、自身が社会と関わるようになった、いわゆる「ゼロ年代」の「失われっぱなしでもなかったような風景」を個人の記憶から思い起こして、小誌今号の寄稿作にまとめてくれました。いまは強気の首相が「三本の矢」で景気回復させて、みたいにメディアが報道していますが(よくわかっていませんが...)、しかし最近になって急に東京のどこもかしこも工事だらけというのは...まさか昨日今日(比喩!)に用地買収/設計したはずはないんで...少なくとも10年スパン!?
「ゼロ年代に見てきた風景」が遠くない未来、「いまだだんまり状態のメディアが『じつはあのときも、...』と言い出し始めるきっかけ」のような書籍にver.アップして登場することを、発行人は願っています。ゼロ年代のジャーナルな個々の事象が社会学者・開沼博さんによって分析され、どのように再定義されるのか? 作品内にはテツandトモも登場しますが、個人的には下積みの長かったお笑いさんがドドッと世に出てくるときって、たいがい「密かな好景気」なんじゃないかな、と思っていたり。
日本のITバブルは2000年3月にあっけなく崩壊した。ただ、Yahoo! JAPAN、ソフトバンク、楽天、サイバーエージェントなど、現在も国内で主要IT企業として君臨する企業がこの渦の中で生まれている。そして、その中からトリックスターとして飛び出してきたのが堀江貴文率いるライブドア(オン・ザ・エッヂ)であり、2004年のプロ野球新規参入騒動、2005年のニッポン放送買収事件、衆議院選出馬、そして、2006年のライブドア・ショックへとつながる一つの系譜を作っていった。それは、決して国内のガラパゴス的な動きとしてではなく、2007年から明らかになっていたサブプライム問題、そして、2008年のリーマン・ショックにつながるグローバルな社会変動と照らし合わせながら考えるべきことでもある。
さて、なんで私が急にこんなチラシの裏にでも書いておけばいいような個人的な思い出をここに書いたのかということに最後触れながら締めたいと思う。本稿を書いた背景には、ゼロ年代史をいずれ書きたい、書くことになるだろうという予感の中で、少しだけ自分の実体験と思考を整理したかったという動機がある。2014年はじめの現時点において速水健朗『1995年』(ちくま新書)や鈴木智之『「心の闇」と動機の語彙』(青弓社)のように90年代史を振り返ろうという一つの流れが生まれているように感じる。私は、その上に、まだ早いかもしれないがいつか、ゼロ年代史を記述したいと思っている。
いわゆる論壇の中で「ゼロ年代」と言えば、少なからぬ人が東浩紀さんや宇野常寛さん、濱野智史さんらが中心となって作品を生み出してきた情報社会論・コンテンツ論系の議論を思い浮かべるだろう。あるいは、歴史認識論争の末期や9・11からイラク戦争に向かう流れ、小泉政治や北朝鮮問題といった断続的に起こってきた個別の議論を上げる人もいるかもしれない。
しかし、おそらく、そうではない「ゼロ年代」があるのではないかと私は思っている。
ウィッチンケア第5号「ゼロ年代に見てきた風景」(P042〜P049)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
Vol.14 Coming! 20240401
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