今年1月に写真集『The Absence of Two』を出した吉田亮人さん。同作については小誌第9号で吉田さんを紹介したさいにも触れましたが、個展、てづくり写真集、という変遷を経て、最終形態として出版社からの発売となりました。吉田さんの公式ブログを拝見すると、発売に合わせて全国の独立系書店を中心にブックサイニング&トークイベントツアーも組まれ、大盛況。すごいな〜。この時点で吉田さんが小誌に初めて寄稿くださった〈始まりの旅〉(←この作品はいますぐ《note版ウィッチンケア文庫》でも読めますよ!)を再読すると、ホント、写真家・吉田亮人さんは10年前の“インドの首都デリーからムンバイまでを自転車旅行”から始まって、そしてものすごくところまでやってきたんだなぁ(さらに遠いところへといっちゃいそう)と、感慨深いです。
そんな吉田さん。小誌ではずっと写真にまつわるエッセイを寄稿してくださっていますが、今号への一篇はハードウェア、つまりカメラという機械について考察したものです。...じつは私、つい最近ウィッチンケア名義でインスタグラムにエントリーしたのですが(しただけでまだ使い方がよくわかってない)、令和元年から振り返ると、平成最後の10年の写真の進化(というか私たちの日常生活への溶け込み具合の変化)は、すごいものでした。そうだ、私が最初にデジカメを買ったのは、1996年ごろだったかな。仕事のメモ代わりにも使えて便利、それが数年後には、カメラマン同行なしで撮影も任されるようにもなったり。そうなんです、それ以前はどんな小さな記事でもカメラマンと一緒。そして歴史的な石碑なんかは、ノートに文面を書き写してた...と私のことはさておき、吉田さんの寄稿作を読むと、ニコンのD90というデジカメでキャリアをスタートさせていて、「僕自身の気持ちとしては完全にデジタル世代だなと思う」との一文も! そうか、吉田さんは撮影前日までに出版社や新聞社にフィルムを申請して受け取るとか、撮影翌日にラボからあがったフィルムを切り出して、編集者やライターと一緒にああだこうだとダーマト(赤色鉛筆)でポジ袋にチェック入れたりする、みたいな体験、ないんだろうなぁ。なんだかオレも遠くまできてしまったなあ、と感慨深い...。
作品後半では、今年1月に装丁家・矢萩多聞さんとともにインドへ撮影にいったさいのエピソードが語られています。アラビア海にほど近い町・マンガロールでアクシデント発生! そのとき吉田さんは「どんな機材であろうと結局はそれを使って何をどう写し、対象をどう見つめたいのかという写真家自身の思考が最も大事なことであって、カメラはそのための道具でしかないのだ」と実感したと記しています。なにが起こって、吉田さんがその境地に思い至ったのか、ぜひ小誌を手にしてご一読ください。
今ではD90はとっくに役目を終えて僕は新しいカメラを相棒にして写真を撮っているわけだが、この10年という歳月でD90が兼ね備えていたスペックはあっという間に刷新され、今やミラーレス機やスマホカメラなどの軽量小型簡易化されたカメラが市場を席巻し、一眼レフカメラの地位も危ういものになっている。
たった10年で「素人カメラマンとプロカメラマン」の差はカメラ技術の猛烈な進歩によってグンと狭まったし、誰もがそれなりの写真を手軽に撮れる。多少のセンスがあればプロ顔負けの写真を撮れることなんて最早みんな知っている。そうやって撮影へのハードルがどんどん低くなっていったことで、カメラは完全に民主化され、そのおかげで恐らく人類史上最も写真が撮られる時代になったと言っていいだろう。
街に出ればスマホ片手に写真を撮っている人間に出会わない方が難しいし、世界中どこに行ってもみんな本当によく写真を撮っている。僕自身も仕事で使うカメラ以外で最も多く使用しているのはスマホだ。
ウィッチンケア第10号〈カメラと眼〉(P158〜P161)より引用
吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品〈始まりの旅〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈写真で食っていくということ〉(第6号)/〈写真家の存在〉(第7号)/〈写真集を作ること〉(第8号)/〈荒木さんのこと〉(第9号)
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Vol.14 Coming! 20240401
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