今回が「ウィッチンケア」への初寄稿となった星野文月さん。私(←発行人)はある方から星野さんの著書「私の証明」を薦められて入手しました。帯には“とある普通の人生における、普通じゃない日々の記録”とあり、どんな話なんだろうと読み始めると...待って! いきなり“普通じゃな”さ過ぎるできごと→恋人が脳梗塞で倒れて緊急手術。ええと、私は正直、いわゆる「可哀想な話」はあまり得意ではないので、この先、主人公の「私」が必死に恋人に寄り添って、でもその甲斐もなく、みたいなストーリーだったらどうしようとは思いつつ、でも、ここで止めるわけにもいかず。結局、一気に読んでしまい、読後には「可哀想」とはまったく別の感情に満たされていました。本の最後に〈おわりに〉という一文がありますが、そこで著者が一連の出来事を「〝あの頃〟」と記しているのがある意味で象徴的で、恋人とのことよりも、「私」が圧倒的に生きていた(る)、そのことの記録なのだな、と。それで、星野さんのことをネットで調べたら、小誌をお取り扱いくださっているBREWBOOKSさんのサイトで、店主・尾崎大輔さん、作家・小原晩さんとともにリレー連載〈ばんぶんぼん!〉を展開中。であれば、と尾崎さんを介して連絡をとり、ご寄稿いただけることになったのです。
第14号への寄稿作「友だちの尻尾」は、主人公の「わたし」と、「わたし」の家から四十八歩離れたところに住む友だちの「エリ」との交流を描いた掌編小説。2人の通学~校内での様子などが淡々と描かれますが、「わたし」の「エリ」に持つ距離感などは、「私の証明」の「私」が他者との関係性に敏感だったことを彷彿とさせたりもします。そして物語は、雪の降ったある日のエピソードへと。
終盤にさりげなく置かれた“さびしさが形を持ったみたい”という一文が、「わたし」の感受性を細やかに描写しているように思えました。快活そうな「エリ」のどこに、「わたし」は“さびしさ”を感じ取ったのか...ちょっと不思議な表題の謎解きとともに、ぜひ小誌を手に取ってお確かめください。
光がたくさん注ぐお風呂場はまぶしくて、すこしの間放心していると、浴槽からもうもうと湯気が生まれているのが見えた。濡れて重たくなった靴下とスカート、下着を脱いで床に落とす。シャワーを浴びて、お湯に浸かると硬くなっていたからだがどこまでも解けていくのを感じた。ちゃぷちゃぷと音を立てて揺れる水面を見る。その下には、私の白いからだが沈んでいて、水が揺れるたびにその像も揺れた。
がしゃ、という音がして、浴室の扉が開く。裸のエリが入ってきて、私の隣に沈んだ。
「エリも入るんだ」
「あれ、だめだった?」
ちいさな船みたいな浴槽の中で、私たちは同じ方向を見て座っていた。
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