古賀及子さんは今号が小誌への初寄稿でして、御著書「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」を私が入手したのは、昨年の秋、都内某書店にて。平台に積んでありまして、まずタイトルに惹かれ、脇にあった手書きのPOPを読み、さらに店主様にも薦められて購入。300ページ越えの本ですが、帰宅して一気に読んでしまいました。ものすごく日常、ものすごく家の中。なのに、日々発見があって、ちょっとしたできごとにも多様な意味が含まれていることに気づいて(読者も気づかされて)…筆者は「気づきの人」なんだと強く思いました。たとえば、娘が付けたテレビに「家族で楽しく!」的な商品が映し出される。ふと、広告の家族はなぜいつも「なんの問題もない明るいもの」として描かれるのか…「ドラマでも映画でもなんらかの物語が家族を取り上げるときその家族関係はいつももろくデリケート」なのに、と気づいてしまう(「」内は御著書からの引用)。そんな古賀さんに「他媒体では書かないようななにかを」と寄稿依頼したところ、良い機会だからと自身初の掌編小説を送ってくれたのです。
「えり子さんの失踪」と題された一篇。語り手の「私」にとってえり子さんは、母親のはとこにあたる親戚です。東京・神谷町で小さな飲み屋を営んでいて、「私」はその店で高校生のころからアルバイトもしていました。2人の関係は良好のようで、「私」にとってえり子さんは人生の良き先輩というか、頼れる年の離れたお姉さん、みたいにも読めます。物語前半、「私」の観察眼の鋭さが筆者のそれと重なるようで、日常風景が細やかに浮かんできます。しかし後半になると、えり子さんにも「私」にも、おーい大丈夫ですか!? というできごとが。
鏡の前にはランコムの化粧水や乳液が並んでいました。メイクバッグに入った化粧品は全部シャネルです。えり子さんはヘビースモーカーだから、ランコムとシャネルにたばこのにおいがまざって、部屋は独特のにおいの空気でいっぱいでした。
夜が近づくと、着物のえり子さんがにおいの部屋からびしっとして出てきます。
えり子さんは、顔面上にパーツが上手に並んだ、印象の控え目な古風な美人です。背が150センチに満たない小柄な人で、けれどお店に立つ格好が整うと、全身から気概がみなぎって世慣れした風格が立ちのぼり大きく見えました。
出がけに台所で最後に1本、たばこを吸います。今日はどれくらいお客があるかねえ、予約が入ってないんだよ、お茶挽かなけりゃいいけどね、儲かったら小遣いやるからねと言って、手ぶらで出かけていくのがいつものことでした。
~ウィッチンケア第14号掲載〈えり子さんの失踪〉より引用~
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