2026/04/29

vol.16寄稿者&作品紹介09 宮崎智之さん

 ウィッチンケア第9号に掲載された〈極私的「35歳問題」〉以来、連続してご寄稿くださっている文芸評論家/エッセイストの宮崎智之さん。近年は〈随筆復興〉を掲げ、令和の〈エッセイ・ブーム〉を牽引する活躍が注目を浴びています。精選日本随筆選集「孤独」「歓喜」という随筆アンソロジー(いずれもちくま文庫)の編者を務めたり、文芸誌「随風」の中心メンバーとしてメディアやSNSでも積極的に情報発信。そんな宮崎さんの小誌今号への寄稿作は、おそらく最近のアクティヴさの核となっているご自身の思いを、かなり直球で綴った一篇です。


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タイトルは〈文学は社会の役に立つのか〉。...そもそも「社会の役に立つ」とはどういうことなのか、いや、そもそもそもそも、ここで言う「社会」とはなにを指しているのか? みたいな堂々巡りに陥りそうなテーマ設定でもありますが、さすが宮崎さん。小誌での数千字という枠内で、端的にひとつの論点を示しています。キーワードは「感受」(感受の幅、とも)。文学によってこれを身につけられる、という一点においてだけでも〝筆者はこの議論に対しては明確に、文学部で学んだこと(つまり文学)は役に立つと考えている〟と、きっぱり。ちなみにClaudeにも尋ねてみると、こちらは“これは古くて深い問いですね。結論から言えば、役に立つと思いますが、その「役立ち方」は功利的な意味とは少し異なります(以下略)”と。mmm、でもこの回答、多少なりとも私(←発行人)の属性を知ったうえでの、AI的な慮りも感じられるなぁ。
〝感受とは、多くは実体験によって得られる能力だが、残念ながら実体験は先取りすることはできない。そして、いくら知識や情報があっても、感受がその有用性に反応しない、感受の幅がそこに至らない場合には、社会にも人生にも役に立てることができない〟という宮崎さんの一文を読んで、私が思い出したのは夏目漱石の、あの有名な「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」でした。さて、「精神的に向上する」と「感受の幅を広げる」に類似性を感じた私の読みは合ってるのか、否か。ぜひ小誌を手にとって、宮崎さんの論考を読み込んでみてください。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
感受の幅を広げなければ、人は過ちをおかし続ける可能性があるのだ。その負のループから抜け出すために有効なのが文学である。まず言語芸術たる文学は、その芸術性に親しむことによって、感受の幅を広げる作用がある。もちろん語彙の獲得も、感受の幅を広げる作用がある。語彙や言葉の運用能力は、人間の思考に直結するから。大切なことなので強調しておくと、言葉は情報伝達のためだけに使われるわけではない。情報だけ伝達したいならば、回覧板だけで十分なはずである。情報伝達とは言葉の持っているごく一部の作用に過ぎず、言葉はもっと多様な側面を有している。単体の語彙を獲得することも大切であるものの、文学は言葉でつくられた世界である限り、作品でひとつの秩序を形成するる。音楽の場合、一音でもズレたらその作品の完璧性が損なわれるということもあるが、文学の場合も同様のことが起きる。

~ウィッチンケア第16号掲載〈文学は社会の役に立つのか〉より引用~

宮崎智之さん小誌バックナンバー掲載作品:極私的「35歳問題」〉(第9号 & 《note版ウィッチンケア文庫》)/〈CONTINUE〉(第10号)/〈五月の二週目の日曜日の午後〉(第11号)/〈オーバー・ビューティフル〉(第12号)/〈書くことについての断章〉(第13号)/〈人生の「寂しさ」について〉(第14号)〈補欠論〉(第15号)

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 https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/

Vol.16 Coming! 20260401

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