前号にはいまにもチルアウトしてしまいそうな、冬の光景と心象を描いた作品を寄稿してくださった後藤ひかりさん。最近は<おさないひかり>さん名義で土器をつくったりもしているようですが、そもそも私が後藤さんのことを知ったのは<後藤ユニ>さん名義で出版された「サマーバケーション イン マイ ヘッド」でしたし...後藤さんにとっては名前もまた創作活動の一環なのかもしれませぬ。もしかしたら私のまったく気づいていないところでも後藤さんの作品が発表されていたりして...えっ、あれもそうだったのですか!? なんてことがあったりして、それもまた楽し!?
今号寄稿作「南極の石を買った日」もまた、主人公の「わたし」が<口をぐっとマフラーの中に埋め>たりしているので、寒い季節の物語だと思われます。しかし作品のトーンはぐっと明るく楽しげで...といっても世間一般で言うところの明朗で愉快な話では全然なく...なんというかこのへんが後藤さんの作品の真骨頂なのではないかと私が勝手に思っているのですが、「私」=無垢と邪気(←という言葉ではやや強すぎるけど、でも「洒落」「茶目っ気」というよりはもう少し斜め目線な感じ)が同居した五感で事象と対峙しているみたいな女性、によって語られる独自の世界が展開しています。
骨董屋の店頭の木箱で<南極の石 二千円>という値札の付いた石を見つけ、<赤い粒は少し光るかもしれない>と無垢に惹かれる。でも店の人が出てくると...よく観察しているんです、「わたし」。店の人は<お婆さんというにはまだ少し若いような、白髪の小柄な女性>で、その女性は<寝言のような話し方>をする、とか。そして「わたし」は<この買い物に何か理由が欲しいと思って頭を振り絞った>りしますが、でも<昼下がり、埃っぽい骨董屋で南極の石を買うというシチュエーションがあまりに冗談のよう>にしか思えず...このへんのやりとりの妙味&全貌は、本編でお確かめください!
この石と出会ったことで「わたし」の<南極に対する認識>も変わっていきます。頭の中で描かれる氷山と船の映像、携帯電話でネット検索した文章で拡散していく石へのイメージ、などが選び抜かれた言葉で描写されます。さらさらと流れるような、読みやすい文章。ですが、2見開きに渡って段落分けされることなく一連なりの物語だったりして。当ブログでの引用は横書きですが、ぜひ縦書きの日本語で読んでいただきたいな、と願います。...それにしても、私が南極に思いを馳せるとついつい真っ白デフォルトの中に南極ゴジラとかタロとジロとかが浮かんできてしまいまして(昭和〜w)...本作に登場する赤い南極はとても刺激的でした。
<前略>「南極の石、気になるな。迷ってます」こんどは少なくとも冷やかしではないのだと知らせるためにわざとはっきりとした口調で話しかける。それから、何が分かるわけでもないのに言い訳のように色んな角度から石を眺めてみた。昼過ぎの店先の光が赤い粒に当たって小さく瞬く。やっぱり光るんだ。でもすごく光るわけではない。「そう?じゃあ、まけますよ。どれ見せて。これは二千円?そうね、千五百円にしてあげる」女性はわたしの手の中の石の値札をめくって言った。わたしは少し緊張した。きっと値段で迷っていたわけではないのだけど、何で迷っていたのか、そもそも買おうとしていたのかどうかも分からなくなってしまっていた。「え、ほんとですか。あ、じゃ、買います」財布から出した二千円を持って奥へ入っていく女性の背中を見ながら、この買い物に何か理由が欲しいと思って頭を振り絞ったけれど、昼下がり、埃っぽい骨董屋で南極の石を買うというシチュエーションがあまりに冗談のようだったので、やっぱり何も考えられず、こんなところに何十年もいたのでは寝言のような話し方になってしまうのも無理はないと思った。<後略>
ウィッチンケア第6号「南極の石を買った日」(P206〜P209)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
cf.
「冬の穴」
Vol.14 Coming! 20240401
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