那覇市市場中央通りにある「市場の古本屋ウララ」の店主・宇田智子さん。神奈川県出身の宇田さんが沖縄で開業するまでの経緯は、「那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた<ウララ>の日々」という本にまとめられています。ジュンク堂書店に入社し池袋本店で人文書担当者だった宇田さんは、地方・小出版流通センター(地方小/取次会社)とのおつきあいで沖縄県産本に興味を持つようになり、やがて同書店の那覇店開業のさい自ら志願して転勤、そして。小泉総理が退任して毎年総理大臣が代わっていた頃、宇田さんの生活も激動だった...でも同書を読み終えて伝わってくるのは、大変化を淡々と乗り切って、気がついたら普段どおりにお店番していそうな宇田さんの姿。
ウララ開店後の逸話も多く収録されています。そのどれもが<宇田さんマジック>とでも呼びたくなるような描写でして...数百字〜二千字程度でまとめられた生活の断片には「ひも」「電球」「箱」「エプロン」といったむしろ素っ気ない(!?)くらいのタイトルが冠され、宇田さんと近隣の方々の交流などが綴られているのですが...なんでこんなミニマムな表現で嬉しかったり、困っていたりする様子が活き活きと伝わってくるんだろう、と。私の頭には「文才」という言葉しか浮かびません。「スピリチュアル・ミャーク」という項の自転車の話とか、不思議すぎる。
そんな宇田さんの小誌今号への寄稿作は「富士山」。ひもや電球に比べればどでかい題材ですが、しかしあまりにも大きすぎで逆に抽象度が高いというか、わかっているようでわかっていない題材というか、画一的(タグ付け?)な言及をされやすいテーマというか。しかし本作での富士山の神出鬼没っぷりは新鮮です。飛行機や銭湯の、富士山らしい富士山。北斎や三角錐や室名の、意外な富士山(冨士)。でもそれらのMount Fujiで山脈を形成しつつ、語られそうでちっとも語られない富士山の意味。それをちょっとだけ語っている「山かげに隠れて気まずさを消すように、威光にすがっている」という一節が私はとても好きです。
6月には「本屋になりたい: この島の本を売る」という新刊が発行予定の宇田さん。<#沖縄>や<#古書店>でメディアに紹介されることが多いですが、小誌に<神奈川(東横線文化圏)っぽい>一面を覗かせた作品を寄稿してくださったことが、個人的には嬉しいです。作中の二人が東横線で多摩川を渡るときに見えた富士山の、「私」にとっての距離感。ストーリーをベタに追いかけると「ここで遠距離恋愛の話ですか!?」なんですけれど、私は「私」が微妙に呼称を変えながら「同行者」に自分からは踏み入らない、その心象にドキドキしました。
座敷に戻って畳に座り、ビールをあける。飲みながら化粧ポーチに手をのばしたら、旅館の部屋の鍵が落ちた。タグの文字を見て、声が出た。
「あ」
「なに」
「部屋の名前も、冨士だった」
「本当だ。富士づいてるね」
「そっちはみゆきだっけ」
「そう。これも富士山に関係があるのかな」
「どうかな」
「そういえば今日の昼に行ったうなぎ屋は、うな藤だった」
「ふじちがいだけどね」
仕事の話しかしてこなかったふたりが、一緒に温泉に来て富士山の話ばかりしている。思いいれもないのに、大きいから目に入っただけの存在なのに。山かげに隠れて気まずさを消すように、威光にすがっている。
特別な好意は持っていない。ただ、「隣に座ろう」と言われて揺らいでしまっただけだ。でも運命共同体はふたりではなくて、飛行機に乗っている人全員だった。最初からそんなふうに言われたら、もう何を話したらいいのかわからなくなった。
ウィッチンケア第6号「富士山」(P032〜P039)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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