『ソーシャル化する音楽 「聴取」から「遊び」へ』等の著者・円堂都司昭さん。私は円堂さんが「ロッキング・オン」で執筆(遠藤利明さん名義)したものをたくさん読んでいました。今号に寄稿してくださることになり『ディズニーの隣の風景: オンステージ化する日本』も拝読...正直、私はTDLには興味ないんですが(でも、たしかそこでG.ルーカスにインタビューしたことあったはず)...でも浦安という町の歴史の本として興味深く読みました。一住民として自転車で町を走る円堂さんの姿が目に浮かぶよう...とくに東日本大震災直後の体験をもとにしたドキュメントは、ああ、私も間違った認識だったな、と反省。中町、新町地区が埋め立てられてできた経緯を知っているのと、たんに「ディズニーの近くの町でも液状化被害」と聞かされるのでは...。
円堂さんは現在<今夏刊行が目標の単行本のため、原稿を書き続けて>います。テーマは「終末論」だそうで、小誌今号への寄稿作は、この本のスピンアウト的位置づけなのかも!? 楳図かずおの『漂流教室』への思い出(<当時通っていた床屋に行くたびに読んでいた>、と)や、その頃感じていた事柄について、現在の視点で検証されています。楳図先生は...私は子どもの頃に買った「紅グモ」のコミックスをまだ持ってるはず(「おろち」も読んでいた記憶が)。世間一般では「まことちゃん 」や「漂流教室」が代表作なのかな。リアル楳図先生に浪人生のとき、高田馬場のFIビルの地下の喫茶店で遭遇したことがあり(カウンターにいた!)、ほんとにボーダーシャツ着ている、と恐れ戦きました。
円堂さんが<特にインパクトが強かったキャラクター>として挙げている「関谷」は、私にも記憶がちょっぴり残っていました。大和小学校がタイムスリップした未来で<戦中戦後の出来事を、目前の現実にあてはめるかのごとき態度をとる>この男...個人的には、バブルの頃あたりまではこのテのおっさんがけっこう世の中で幅利かせてたな、という印象があります。違和感を覚えるでも反発するでもなく、ただ「普通にいるなぁ」と。新卒後3年ほどの営業マンとしての宮仕え時代、「オレはウチの会社の社員教育に修身の教科書を使いたい」みたいな発言した人、少なくなく見たし。ごもっともとは1回も思いませんでしたが、他人を従わせたい人には便利なのかな、と。いまもいるんですね、びっくり。
本作において、円堂さんは『漂流教室』とともに『はだしのゲン』も再読し、両作の共通点を見出しています。どちらも描かれている世界はダーク&ハード、しかし作品に込められた、ポジティヴなメッセージとは? 最後まで読んで、私はふと「夜空のムコウ」を口ずさみそうになりました。あの頃の〜Wow---- Ah Baby--♪ そして『漂流教室』や『はだしのゲン』は、この夏に刊行予定の「終末論の本」では、さらに深い分析で語られることになるのか? 一読者として、その全貌を楽しみに待ちたいと思います!
このマンガが連載されたのは、中東情勢の悪化で石油危機が起きた時期である。テレビの深夜放送や街のネオンが自粛され、トイレットペーパーの買いだめ騒ぎが起きるなど、不安な世相だった。当時は、原油埋蔵量は有限であり、将来に涸渇するのではないかといわれていた。公害の元凶である工業化や大量消費型の文明を批判する声も高まっていたのだ。『ノストラダムスの大予言』的な核戦争や公害による暗い未来像が、『漂流教室』の背景にあったのである。
物語のなかで特にインパクトが強かったキャラクターは、給食のパンの納入業者である関谷だ。彼は、子どもたちにためらわず暴力をふるって学校に残る少ない食糧を奪い、独り占めしようとする。関谷はいったん捕えられ、ロッカーに閉じ込められた。しかし、嘘をついて脱出し、食事を運んできた子どもの顔に「こんなラーメンなんかくえるかっ! !」とどんぶりを叩きつける。さらに、首から上全体が麺と汁にまみれたその子の顔面を思いきり蹴り上げ、ノックアウトしてしまう。この場面を初めて読んだ時の恐ろしさは、よく覚えている。見るだけで痛いくらいだった。
ウィッチンケア第6号「『漂流教室』の未来と過去」(P190〜P195)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
Vol.14 Coming! 20240401
- yoichijerry
- yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare