2015/05/15

vol.6寄稿者&作品紹介21 諸星久美さん

諸星久美さんの著書「Snow dome」(スノードーム)を、私は昨年の秋に読みました。8月末に荻窪・6次元さんで<「ウィッチンケア」半開き編集会議>を開いたのですが、その時にご縁ができまして。同作はpresent 1〜3の三部構成。クリスマスの「コーヒーショップ バード」で起こるちょっと不思議なできごとが重層的に語られ、独自の世界を生み出しています。主人公(そして狂言回しでもある)はリカルド・ポール・オルドリッチ・リン・ノヴィツキー=通称リッキーという...おっと、リッキーが何者なのかは、ぜひ本編でお確かめください。

とてもおもしろい作品なのですが、present 3に登場する前川春代さん(五十四歳)は、個人的になかなか感慨深い存在。前川さんはたいへんご苦労されているのですが、読んだ当時の私と同い年なので、いろいろ思うところが...。なんだか「ノルウェイの森」の石田玲子さんの目のシワが強調されていたような印象!? でも、誰が誰をどう見て(見立てて)どう描くか、という意味でも楽しい体験でした。いまの私は小学校2年生と5年生を書き分けられないだろうな。86歳と91歳も無理なような気がする...。

今号掲載作「アンバランス」の主人公・葵さんを、私は「自分勝手だなぁ」と思いました。自分勝手であることの是非はともかく、客観的に眺めると羨ましいくらい奔放で、そこから発生する喜びや哀しみがリアルだな、と。<「私はきっと、この人といる自分を好きになるだろう」>...そうか〜! ってことは、「この人といる自分は好きになれない」場合、でも相手が自分に好意的だったり、なんらかのメリットのある人だったらどうするんだろう? きっと自分から距離を詰めたりはしないだろうけど、でも無碍な扱いもせず...なんていろいろ想像。とにかく葵さんは八方美人系の美人だから、いろいろ抱え込むことになるんだろうな〜。

葵さんが若い<雄吾のワンルームマンションから並んで>桜並木を見下ろすシーン、での会話はひりひりします。葵さんとしては自身の倫理の「最後の一線」を必死に守っているのでしょうが、そもそも、いる場所が...。満開の夜桜が好き、と言った葵さんに雄吾が<「いつか、葵さんと見てみたいな」>と心情を吐露する(つまり、夜桜は一緒に見られない関係)のに、そんな...。でもこんな瞬間だから、葵さんは<「生きている」という実感>を持てたのだろうな、と私は降参しました。


 雄吾との出会いは夏の終わりだった。
 すっと伸びた背筋に好感を持ったことも、幼さの残る顔と、艶のある低い声とのギャップに、胸が淡く疼いたことも覚えている。
 けれど何より、雄吾の隣りに並んだ瞬間に抱いた、「私はきっと、この人といる自分を好きになるだろう」という強い予感に引っぱられるようにして関係は深くなり、あっという間に、雄吾と私という個人は、「私たち」という二人の時間を重ねるようになった。

 その予感は、当たりもしたが、大きく外れもした。
 会いたくて切なく走る心は、いつも、雄吾に触れたとたん安堵のため息に変わり、愛しさの波に急かされるようにして抱き合う時間は、手を伸ばして摑み取るオーガズムの濃度に比例するように私を喜びで潤した。
 心の充足が自愛へと繫がることを、私は雄吾と紡ぐ時間の中で知ったのだ。


ウィッチンケア第6号「アンバランス」(P126〜P131)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

Vol.14 Coming! 20240401

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