2015/05/19

vol.6寄稿者&作品紹介27 山田慎さん

ご自身も寄稿作内で<そんな僕が年間300軒以上のパン屋へ行くようになってしまったのだから、人生どう転ぶか分からない>と驚いていますが、レイ ハラカミの音楽がご縁でご寄稿をお願いするようになった山田慎さんのパンへの傾倒ぶり、ほんとに熱いです。300軒以上のパン屋へ行く...って、行くからには買うでしょう、それもせっかく来たんだからってあれこれ買うでしょう...でっ、それきっと全部食べるでしょう...1日1食、いやそれ以上パン!? それも常食(いつも食べている味)ではなくて、未知(の味覚)との遭遇が普段の生活になっている...私は「いっつも同じもの食べてるとわりと安心」系人間なので、すごいなぁ、と。

作品内に出てくるナカガワ小麦店の、店主のパンづくりに取り組む姿勢の紹介のしかたが印象深いです。<毎日同じものを規則正しく作るのだ。刀を振り続ける侍の如く、鍛錬されたパンは日に日に研ぎ澄まされ、美味しさを増す>...やっぱりそういうことなのかなぁと納得しました。店主の顔が見える感じのパン屋さんって、どこの町にでもけっこうあって繁盛してますよね(すぐそばにコンビニができたりしても)。私のおいしかったパンの思い出は、もう20年近くまえだけど世田谷の上町から桜新町のほうに散歩していて、弦巻で偶然見つけたベッカライ・ブロートハイムというパン屋さんでちょうど焼きたてのバケットを買ってひとくち食べたらうますぎて歩きながら全部喰っちまってけっきょく夕飯食べられなくなった、と。

山田さんがネット上で主宰する「PAINLOT」(パンロット)も充実しています。その活動は現在住んでいる京都にとどまらず、東京←→京都の架け橋になっていたり。また、パンのページにアクセスして<“パンを食べワインを飲むことは身体の混合である”(『千のプラトー』ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ著、P102、河出書房新社、1994年)>なんて文章に出会うのも、山田さんらしい!? イベントのBGMにこだわるなど、音楽好きの一面もPAINLOTでの企画に活かされているようです。

...しかしパンのおいしさについて感覚が研ぎ澄まされていくってことは同時に「おいしくなさ」にも敏感になるのではという気がしなくもなく、ということは個々の生活スタイルにもよりますが、普段を普通に(!?)集団の中で生活していると普通の人が普段普通に食べている類のパンの味についても「わかるひとにはわかる」感想を持っちゃうんじゃないか、と...いやこれは最近の私の問題なのですがあんまり「なにがおいしい/おいしくない」を気にするといまの生活環境(チェーン店/コンビニ系に包囲されている...)では「おいしくない」に遭遇する機会が多く...この不幸から抜け出すひとつの方法は「食べ物に無頓着になる」かな、なんても。山田さんにはぜひ「おいしいパンを食べることが生活そのもの」みたいな幸せを掴んでほしいと思います!


 京都市内をまわると、そこかしこにパン屋がある。東京や大阪に比べると賃料が安く、京都駅や河原町など繁華街の近くにもリテイルベーカリー(個人のパン店)が出店し易いのだ。街が大きくないので市バスででも、自転車ででも、何軒でもハシゴできるのが、パン好きにとって大きなメリットである。また、水源となる琵琶湖が近く、おいしい水に恵まれているということも、パン屋が増えたきっかけではなかろうか。

 こうしてドヤ顔で講釈しているのだが、正直に告白すると3年ほど前はパンに関心がなかったのである。パンと言えばあんパンのことであり、それはお菓子だった。両親が稀に買ってくるバゲットは、子供の頃は硬くって好きではなかった。そんな僕が年間300軒以上のパン屋へ行くようになってしまったのだから、人生どう転ぶか分からない。


ウィッチンケア第6号「パンと音楽と京都はかく語りき」(P160〜P163)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
レイ・ハラカミの音楽とペリカンのロールパン」/「音楽 日本 京都

Vol.14 Coming! 20240401

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