2023/04/25

VOL.13寄稿者&作品紹介02 中野純さん

 現在は体験作家、闇歩きガイドとして「闇の大切さ」を広く説き続けている中野純さん。昨年8月にはNHK Eテレの「SWITCHインタビュー」に片桐はいりさんとともに出演。また同年11月にはJ-WAVEの「UR LIFESTYLE COLLEGE」で吉岡里帆さんと対談したり...私は中野さんとは短くもないお付き合いなので、超オシャレで超スリムだった若き日の中野さんが、インディーズ音楽やホーミーやMacintoshに夢中だった時代も知ってはいるのですが、四半世紀以上の時を経て、人はこうして自身のライフワークを発見していくのだな、とある種の感慨を覚えたりして。でっ、そんな中野さんのウィッチンケア第13号への寄稿作は、ド直球(野球に例えるところが四半世紀感w)。なぜ闇が大切なのかを大真面目に(but おもしろく)語っています。

中野さんの思考回路はときに込み入っていまして、私などに解説できるものではありませんが、たとえば寄稿作の最後のほうには「どうでもいいけど絶対に必要」みたいな一文がさらりと。「どうでもいい」but「must」...こうした“併存”は、もしかすると中野さんの本稿執筆開始時からの姿勢なのかもしれなくて、大真面目な「闇論」の冒頭から、いきなり《かのテーゲは生まれてすぐに「もっと闇を!」と言ったという》と不真面目に(...ここ、とっても大事なので、「ん!?」とスルーしないでほしい)。ええと、老爺心で注釈しますと、もちろんJohann Wolfgang von Goetheの「Mehr Licht!」を踏まえての面白ネタ(!?)です...って、却ってわかりにくいって。。。

タイトルに使われている「臥学」「歩学」という言葉は、「座学」へのカウンターとして中野さんが生み出した造語、と捉えるべきだと思います。《座学のSDGs教育だけではダメなのはもちろん、班を分けて調査してレポートしましょうでもダメで、人間が生態系の一員であることを実感するために、なにより夜の山へ行って、闇の森の中で仰向けに寝っ転がらせるという教育をすべきだ。座学でなく「臥学」だ。それとともに、夜の山を無灯火で駈けるように歩く「歩学」もよろしい(当然、安全を確認したうえで)》。さて、闇を疎かにする現代人には、どんな未来が待っているのか? 作中に何度も登場する「謙虚」という言葉に込められた中野さんの思いを、ぜひ小誌を手に取ってお確かめください。



 というか、そうしないともう近代以降に人間の心に染みついた傲慢さは拭い去れない。ちゃんと闇を補給しないと、他人との一体感、環境との一体感、自然との一体感をどんどん失っていく。そして、闇の中で活発になる野生動物たち(人間が闇に追い込んだので)がほとんど存在していないように思い、虫や細菌なども徹底的に排除し「人間+ペット+ペット的な植物」だけの世界を生きているような感覚でいる。世界がそれだけでつくられているかのように暮らしている。その異様さを異様だと思わない。
 森の中で仰向けになったあとは、山頂など、空の開けたところでも仰向け寝しよう。とくに、よく晴れて空気の澄んだ夜に満天の星を浴びると、地球だけでなく宇宙に対してもたいへん謙虚にならざるをえない。広大という言葉も不適切なほど広大すぎる宇宙を前にして、自分のちっぽけさ、地球の、太陽系のちっぽけさを多くの人が感じる。

〜ウィッチンケア第13号掲載「臥学と歩学で天の川流域に暮らす」より引用〜

中野純さん小誌バックナンバー掲載作品:〈十五年前のつぶやき〉(第2号)/〈美しく暗い未来のために〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈天の蛇腹(部分)〉(第4号)/〈自宅ミュージアムのすゝめ〉(第5号)/〈つぶやかなかったこと〉(第6号)/〈金の骨とナイトスキップ〉(第7号)/〈すぐそこにある遠い世界、ハテ句入門〉(第8号)/〈全力闇─闇スポーツの世界〉(第9号)/〈夢で落ちましょう〉(第10号)東男は斜めに生きる〉(第11号)/〈完全に事切れる前にアリに群がられるのはイヤ〉(第12号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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