ウィッチンケア第13号が初寄稿となるコメカさん。私が最初にコメカさんを知ったのは、2010年にTVOD(バンスさんと共同名義のテキストユニット)として出版された「ポスト・サブカル焼け跡派」を読んででした。TVODのお二人は1984年生まれ。...あんまり年齢のこととか世代論みたいなのには振り回されないようにしているんですが、なにしろこの本はサブカル分野の歴史を検証するものでして、第1章が矢沢永吉と沢田研二と坂本龍一についての考察から始まるという...書店でこの本を手に取ったとき、「エーちゃんとジュリーと教授がもう“歴史”なのか!」と衝撃でしたよ(でっ、購入せざるを得ないと)。ちなみに1984年、それは勤め人だった私(発行人)が勤務中に銀座の山野楽器でブルース・スプリングスティーンの「BORN IN THE U.S.A.」(輸入盤/もちろんLP)を買った年。当時の山野楽器って、当時のタワーレコードに負けないくらい輸入盤が充実していました。あっ、ほら、やっぱり話が古くなる。。。
コメカさんは昨年10月30日の「文化系トークラジオLife 〜なぜ今、私たちはこんなに覚えられないのだろう〜」に出演されて、そのときのお話がとても印象に残りました。じつはそれよりもまえから面識はあって、というのもコメカさん、東京・国分寺にある早春書店の店主でもあるのです。昨春、第12号を営業にいったら快く取り扱ってくださいまして(...なんか私、Witchenkareをつくり始めてから人にお願いごとばかりしてるな、スイマセン)、それで今号では執筆依頼も引き受けてくださいまして、そして届いたのは、私がぼんやりしている間に過ぎ去ってしまった2010年代を「接続と動員」というキーワードで考察した〈さようなら、「2010年代」〉という寄稿作なのでありました。作中にもっとも頻出するのは、「場」という言葉。《「接続と動員」そのものの如何を問う以前に、そもそもそのための「場」をビッグ・テックに丸投げしていてよいのか、という考えてみれば当たり前の問題が、「2010年代」の終わりとともに改めて浮上したと言えるだろう》...たしかにインターネットの普及とともに世の中が変わり、2010年代以前にも【2ちゃんねるの時代】【Mixiの時代】みたいな現象はあったけれども、2010年代のTwitterに比べたら「好事家の集まり」的だったかもしれず。ほんと、振り返れば2010年代はビッグ・テック(私企業)の意のままに、私たちが「接続と動員」させられていたのかもしれない、とも私には感じられます。
ビッグ・テックの横暴で焼け跡と化した2020年代(←【注】コメカさんはそんなことは言っていません、私の思いつきです)...もとい、とにもかくにも、次のディケイド。私たちはいかにしてネットと繋がり、新たな回路をつくっていくのか。また、そのさいの「場」とはどのようなものになるのか? コメカさんは作中で問題点や注意点を細かく挙げてはいますが、それでも「かなり楽天的」とも述べています。本作には2020年代をよりよきものにするためのヒント、がいっぱい詰まっています。ぜひ小誌を手に取って、内容をお確かめください!
「2010年代」に話題になったインディーズの雑誌・ZINEや本屋・古本屋は総じて、SNSを通してその存在を知られたものが多かったと思う。インディーズ=独立系として運営されるそれらが、SNSという「場」=メディアにおける情報や商品になる。下手をすれば、それらそのものが「社会へのアクセス」を成立させる「場」であることよりも、それらが「場」としてのSNSで如何に衆目を集めるアイテムになるかが論点になってしまうような状況が、この十年にはあった。広告収入モデルに依拠したSNSは、その内部でトラフィックを増やす=「接続と動員」をどれだけ活性化させることができるかが、運営収益の鍵になる。雑誌や店のような「場」が、ビッグ・テックが運営するSNSというより大きな「場」に飲み込まれ、その「接続と動員」に貢献するいちアイテムになってしまうような状況は、確実にあったと思う。
〜ウィッチンケア第13号掲載〈さようなら、「2010年代」〉より引用〜
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