前号に続き書き下ろし小説を寄稿してくれた古川美穂さん。通常はノンフィクションの書き手として活躍されていますが、寄稿作の主人公は女子中学生の七海。彼女の目を通して、父親の再婚相手・バルバラさんと家族との関係性や日常生活が不気味に変化していく様子を描いています。ミステリー的な要素があるので、謎に引っ張られながらストーリー展開を一気に楽しめたりもするのですが、しかし、古川さんは決してそれだけを目的に本作を書いたとも思えず...私には物語の底に横たわっている、ある種の〝薄気味悪さ〟を記したかったのではないかな、と感じました。
うまく言えないのですが、いつのまにか軸をずらされちゃって、気がつくとこちらがはみ出していた、みたいな世の中の雰囲気。七海はバルバラさんの言動に不信感を抱き、少しずつ正体に迫っていくのですが、しかし〝軸ずらし〟は以前から用意周到に進んでいて、お父さんも弟も、近所の人たちもすでに「えっ!?」みたいな...。
無理めのたとえ話をすると、もし私がある日「セブンイレブンとローソンとファミリーマートのコロッケではどれが一番好きですか?」と聞かれたとして、その答えは「コンビニのコロッケは食べないんでわかんないけど、やっぱり町のお肉屋さんで売ってる揚げたてのが好きかな」なんですが、しかし続けて「町のお肉屋さん!? そんなのどこにあるんですか」と聞かれてはじめて、あらま、いまやすでにこの町にお肉屋さんは1軒もなく、コロッケはコンビニでしか買えないものになっていた、みたいな。...まあ、コロッケなら話はかわいいんですが。
物語の終盤に登場する<幼馴染の妙>が気になる存在です。特殊な能力を持っていそうな彼女の目に、バルバラさんはどう映ったのか? そしてエンディングに出現する<飛行機のようなヘリコプターの大群>...このGW前から不穏な国際情勢の話題がメディアを飛び交っていますが、そのせいでしょうか? 私の家の上空を、厚木基地の米軍機がひっきりなしに低空飛行していて、もううるせえのなんのって!
怖いのはそれだけじゃない。バルバラさんはしょっちゅう深夜に寝室から抜けだしては、納戸で携帯電話をかける。あたしの部屋は納戸のすぐ脇だから、声が漏れ聞こえてくるのだ。そしてバルバラさんが電話で喋る言葉は、あたしが今まで聞いたどんな言語からもまったくかけ離れていた。ろるーん、れるーん、らろーん、と長く舌を巻いた音の後に、ツハッとかトゥヘッとかやたらに促音が入ったり、キチチチチチチチとすごい速さの舌うちみたいなのが聞こえたり、なんだか地球上のものではないような言葉なのだ。
バルバラさんは絶対ヘンだ。だけどお父さんも航も、何を言っても取り合ってくれない。それどころかバルバラさんの影響は日に日に濃くなっていった。
「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」
ウィッチンケア第8号「とつくにの母」(P032〜P037)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
古川美穂さん小誌バックナンバー掲載作品
「夢見る菊蔵の昼と夜」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y
2017/05/06
2017/05/05
vol.8寄稿者&作品紹介05 木村綾子さん
もの書きとしての仕事だけでなく、多方面で活躍中の木村綾子さん。下北沢の本屋B&Bさんのスタッフでもあり、今年は2月に開催した長谷川町蔵さんと山内マリコさんの対談イベントではご担当者としてお世話になりました。同店での小誌取り扱いでは店長さんが窓口ですが、納品やチラシの案内で伺ったさいに木村さんがいらっしゃるといつも「新しいのできたんですね!」と笑顔で声を掛けてくださり...本をつくる作業ってのは編集〜校了まではほんとうに「引き籠もり状態」でして、その後一転して外回り/営業になるので、トンネルから出たばかりのようにクラクラしてるところで気遣いの一言などいただくと、じつに身に沁みてありがたいのでした。
木村さんの寄稿作にはiPhoneとFaceTimeが登場します。作品内の、〝私〟と祖母の<視線が合う>までの細やかな描写は、iPhoneユーザーでこの機能をつかったことのあるかたは、すごくリアルに感じるはず。「ばあば」はきっと、自身のてのひらに渡されたものがなんであるのか正確にはわかっていなさそう(小型テレビ? 携帯電話?)...でもそこにリアルタイムで愛しい孫がいることはごく自然に受け止めて日常会話が始まる。なんか、スティーヴ・ジョブズすげえ、って感じの21世紀物語なのですが...でももっとすごいのは、木村さんの手にかかるとそんなハイテク・コミュニケーション(←古い表現...)がいにしえの日本映画のように静謐な佇まいで描かれてしまうこと、なのかも。
作品の後半になると、祖母の短歌集にまつわる逸話が語られます。ここでの〝私〟の驚きと戸惑いも言外の感情まで伝わってきて印象的でした。私事ですが私の祖母も自費出版の歌集を残すような人でして、それを読んだときに「おばあちゃんが恋の歌を!」と息が詰まりました(まあ、大人だったので、映画「エル・スール」のエストレーリャほどには驚きませんでしたけれども)。
...それにしても、〝私〟は細やかで心優しい女性です。作中では短歌集のノートを渡されたのが<なぜ私だったのだろう>と自問していますが、読み手にはきっと、祖母の心中が伝わっているはず。自分に相通じる繊細さを孫娘に感じたからこそ、後世に繋げたいなにかを託したのだと思います。みなさまぜひ、小誌を手にとって木村さんの掌編「てのひらの中の彼女」をご堪能ください!
あれは、まだ祖母がたくさんのことを覚えていた頃のことだった。
きまぐれに帰省した私のもとに祖母が突然やってきて、ノートの束を見せて言った。
「あやちゃんが生まれるずっと前から書き溜めていたの。でももう書くことは無いと思うから、もしよかったらこれ、もらってくれない?」
それは自作の短歌集だった。歌は21歳の春から始まり、冊数が増えていく中で彼女は嫁ぎ、母となり、夫を失い、老いていった。
ウィッチンケア第8号「てのひらの中の彼女」(P026〜P031)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
木村さんの寄稿作にはiPhoneとFaceTimeが登場します。作品内の、〝私〟と祖母の<視線が合う>までの細やかな描写は、iPhoneユーザーでこの機能をつかったことのあるかたは、すごくリアルに感じるはず。「ばあば」はきっと、自身のてのひらに渡されたものがなんであるのか正確にはわかっていなさそう(小型テレビ? 携帯電話?)...でもそこにリアルタイムで愛しい孫がいることはごく自然に受け止めて日常会話が始まる。なんか、スティーヴ・ジョブズすげえ、って感じの21世紀物語なのですが...でももっとすごいのは、木村さんの手にかかるとそんなハイテク・コミュニケーション(←古い表現...)がいにしえの日本映画のように静謐な佇まいで描かれてしまうこと、なのかも。
作品の後半になると、祖母の短歌集にまつわる逸話が語られます。ここでの〝私〟の驚きと戸惑いも言外の感情まで伝わってきて印象的でした。私事ですが私の祖母も自費出版の歌集を残すような人でして、それを読んだときに「おばあちゃんが恋の歌を!」と息が詰まりました(まあ、大人だったので、映画「エル・スール」のエストレーリャほどには驚きませんでしたけれども)。
...それにしても、〝私〟は細やかで心優しい女性です。作中では短歌集のノートを渡されたのが<なぜ私だったのだろう>と自問していますが、読み手にはきっと、祖母の心中が伝わっているはず。自分に相通じる繊細さを孫娘に感じたからこそ、後世に繋げたいなにかを託したのだと思います。みなさまぜひ、小誌を手にとって木村さんの掌編「てのひらの中の彼女」をご堪能ください!
あれは、まだ祖母がたくさんのことを覚えていた頃のことだった。
きまぐれに帰省した私のもとに祖母が突然やってきて、ノートの束を見せて言った。
「あやちゃんが生まれるずっと前から書き溜めていたの。でももう書くことは無いと思うから、もしよかったらこれ、もらってくれない?」
それは自作の短歌集だった。歌は21歳の春から始まり、冊数が増えていく中で彼女は嫁ぎ、母となり、夫を失い、老いていった。
ウィッチンケア第8号「てのひらの中の彼女」(P026〜P031)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
2017/05/04
vol.8寄稿者&作品紹介04 荻原魚雷さん
荻原魚雷さんとは昨年11月、高円寺でお会いしました。じつは小誌のデザイナー・吉永昌生さんいきつけの素敵なお店が高円寺にありまして、そこのカウンターでマスターを介して吉永さんと荻原さんが数年前に知り合いとなり、そのご縁が繋がって今号へのご寄稿、となったのでした。お店の名前は「ペリカン時代」、そして、マスターの増岡謙一郎さんはロックバンド<ペリカンオーバードライブ>のVocal&Guitar。...小誌は文芸創作誌と名乗っていますが、発行人の部屋には本よりCD等音楽モノのほうが圧倒的に多いタイプの人間でして...音楽が好きだと、いいことがあるな! 余談ではありますが、私はユーチューブで増岡さんの演奏を見てお店を訪ね、帰り際に「赤い335かっこいいですね!」と。増岡さんは笑顔で「ありがとうございます...エピフォンですけど」。私「スイマセン(...恥)」。。。
荻原さんの何気ない身辺雑記には、以前から強い意志が秘められているなと感じていました。世の中に動じずマイペースを貫くことへの強い意志=穏やかな過激さ、とでもいいますか。私も常々そうありたいと頭では思ってはいるのですが根が小心者のためいつも行き当たりばったりで自分を見失い(<恥の多い生涯を送って来ました。>/日々更新中)。...もとい、そんな荻原さんの強さの源泉でもありそうな一端を、今回の寄稿作から窺い知った次第です。なにしろ、冒頭に<高校時代にアナキストになった。高二の夏だ>と。〜に憧れた、とかではなく、きっぱり「なった」と。その理由も明記されていますので、ぜひ本篇をお読みください!
作品内にはある種の「真理」を端的に言い表したような一節が散りばめられています。<自由を追求すればするほど、周囲と摩擦が生じ、不自由になる><この三十年くらいのあいだにさまざまな紆余曲折があったが、ほぼ身から出た錆だと納得している。錆も含めて、自分をかたち作っている>etc.。荻原さんはなんとなく流れていくような言葉は、きっと全部推敲で削ってしまうんだろうな...削った後の、自身の体感で残した言葉だけで文章を組み立てているんだろうな、と感じました。その作法は、きっと荻原さんの生活にも相通じるものだろうな、と。
ご自身のブログでは、今作について<ここ何年かでいちばん苦心して書いた文章かもしれない>と記してくださって...あらためてご寄稿感謝致します。チェルノブイリ、天安門事件、ベルリンの壁...その頃の日本はとっても浮かれた空気だったのに<アナキストとして社会運動に参加>していたとは! 泡に弾けていた私とは地金が違う、と感服致しました。
アナキストになったからといって、全身黒ずくめの服装をして、何かしらの過激な行動をしたわけではない。ただ、不服従の姿勢は貫くことにした。やりたくないことはしない。眠くなったら寝る。眠かったら起きない。帰りたくなったら帰る。
傍目に見れば、単にわがままで怠惰な青年だったとおもう。集団行動が苦手でひとりでものを考えるのが好きな自分の気質に、たまたまアナキズムという思想がはまったともいえる。
アナキズムは現実を受け入れたくない人間にとっては便利な思想である。この便利さには数々の欠点がある。一々、制度を疑い、常識を疑い、しきたりを疑い、それに従うか従わないかを考えないといけない。周囲からは面倒くさい奴とおもわれるし、本人だって面倒くさい。
ウィッチンケア第8号「わたしがアナキストだったころ」(P020〜P024)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
荻原さんの何気ない身辺雑記には、以前から強い意志が秘められているなと感じていました。世の中に動じずマイペースを貫くことへの強い意志=穏やかな過激さ、とでもいいますか。私も常々そうありたいと頭では思ってはいるのですが根が小心者のためいつも行き当たりばったりで自分を見失い(<恥の多い生涯を送って来ました。>/日々更新中)。...もとい、そんな荻原さんの強さの源泉でもありそうな一端を、今回の寄稿作から窺い知った次第です。なにしろ、冒頭に<高校時代にアナキストになった。高二の夏だ>と。〜に憧れた、とかではなく、きっぱり「なった」と。その理由も明記されていますので、ぜひ本篇をお読みください!
作品内にはある種の「真理」を端的に言い表したような一節が散りばめられています。<自由を追求すればするほど、周囲と摩擦が生じ、不自由になる><この三十年くらいのあいだにさまざまな紆余曲折があったが、ほぼ身から出た錆だと納得している。錆も含めて、自分をかたち作っている>etc.。荻原さんはなんとなく流れていくような言葉は、きっと全部推敲で削ってしまうんだろうな...削った後の、自身の体感で残した言葉だけで文章を組み立てているんだろうな、と感じました。その作法は、きっと荻原さんの生活にも相通じるものだろうな、と。
ご自身のブログでは、今作について<ここ何年かでいちばん苦心して書いた文章かもしれない>と記してくださって...あらためてご寄稿感謝致します。チェルノブイリ、天安門事件、ベルリンの壁...その頃の日本はとっても浮かれた空気だったのに<アナキストとして社会運動に参加>していたとは! 泡に弾けていた私とは地金が違う、と感服致しました。
アナキストになったからといって、全身黒ずくめの服装をして、何かしらの過激な行動をしたわけではない。ただ、不服従の姿勢は貫くことにした。やりたくないことはしない。眠くなったら寝る。眠かったら起きない。帰りたくなったら帰る。
傍目に見れば、単にわがままで怠惰な青年だったとおもう。集団行動が苦手でひとりでものを考えるのが好きな自分の気質に、たまたまアナキズムという思想がはまったともいえる。
アナキズムは現実を受け入れたくない人間にとっては便利な思想である。この便利さには数々の欠点がある。一々、制度を疑い、常識を疑い、しきたりを疑い、それに従うか従わないかを考えないといけない。周囲からは面倒くさい奴とおもわれるし、本人だって面倒くさい。
ウィッチンケア第8号「わたしがアナキストだったころ」(P020〜P024)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
2017/05/03
vol.8寄稿者&作品紹介03 清和太一さん
今号に「穴を掘る人」を寄稿してくださった清和太一さんは、漫才コンビ・エルシャラカーニのツッコミ担当。芸能の仕事では<セイワ>さんと片仮名表記で活躍しており、「THE MANZAI」では 2011、12年に決勝進出。「笑点」「とんねるずのみなさんのおかげでした」等のテレビ番組にも出演しているので、ご存知の方も多いのでは、と。ちなみに寄稿作のタイトルは、コンビ名(清和さんのエジプト人の義兄の名に由来)の日本語訳です。
清和さんと初めてお会いしたさい、私は「芸人最強社会ニッポン」(著:太田省一)という本を持参しました。帯のコピーは刺激的ですが内容は丁寧な社会考察で、個人的にも「そうだなぁ」と思うところの多い本なので、お笑いコンビとして漫才のクオリティを大事にしている清和さんのような当事者が、どんな感想を抱くのか知りたいと思ったからです。...いや、べつに本の感想を、ということではなかったんですが。
作品内にはボケ担当・山本しろうさんの面白エピソードが満載...っていうか、山本さんはご本人が普通に振る舞っていても周囲からは破天荒に見られる...っていうか、つまりいわゆる天然ボケ系の漫才師。それは清和さんにとって強力な<笑いの武器>なのでしょうが、でも...。清和さんは山本さんについて<〝ベスト・パートナー〟なんてことは思わない。しかし他の人と組むというのも想像できない。不満を持ちながら、同時に頼ってもいるし>と記しています。ふと私の頭に浮かんだのはライヴで観たミック・ジャガーの、キース・リチャードとのツーショットでした。
私が持参した本のタイトルで使われている「芸人」という言葉。じつは清和さんは寄稿作内では、ほぼ「コンビ」「漫才師」という表現を使っていまして、ってことは、巷でよく使われているこの言葉、けっこう大雑把で曖昧な括りなのかも!? 清和さんにはぜひ「漫才」や「笑い」のこと、そしてご自身についても、もっと書いていただきたいと願います!
相方の名前は山本しろう。端的に言えば彼は「ダメ人間」で、可能な限り努力というものを回避し、人に怒られることからも逃げまくる小心者である。そのくせ頭が悪いのでミスは日常茶飯事。責任感にも乏しく、向上心もな……あ、いや、このへんにしておこう。とにかくそんな相方であるので、漫才のネタ作りは僕の仕事だ。ネタを練り上げる作業は二人で合わせながら行なうわけだが、そうしてさんざん練りに練ったにもかかわらず、彼は舞台上で必ずミスをする。もちろん僕はそうしたミスをフォローしながら漫才を進めていくわけだが、しろうは「ボケてからフリを言ってしまう」「〝何を言ってるかわからない〟体で言わなければならないボケのくだりを、間違え過ぎて逆に何を言ってるかわかってしまう」など、あまりにトリッキーなミスを繰り出すので油断ならないのだ。
ウィッチンケア第8号「穴を掘る人」(P014〜P018)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
清和さんと初めてお会いしたさい、私は「芸人最強社会ニッポン」(著:太田省一)という本を持参しました。帯のコピーは刺激的ですが内容は丁寧な社会考察で、個人的にも「そうだなぁ」と思うところの多い本なので、お笑いコンビとして漫才のクオリティを大事にしている清和さんのような当事者が、どんな感想を抱くのか知りたいと思ったからです。...いや、べつに本の感想を、ということではなかったんですが。
作品内にはボケ担当・山本しろうさんの面白エピソードが満載...っていうか、山本さんはご本人が普通に振る舞っていても周囲からは破天荒に見られる...っていうか、つまりいわゆる天然ボケ系の漫才師。それは清和さんにとって強力な<笑いの武器>なのでしょうが、でも...。清和さんは山本さんについて<〝ベスト・パートナー〟なんてことは思わない。しかし他の人と組むというのも想像できない。不満を持ちながら、同時に頼ってもいるし>と記しています。ふと私の頭に浮かんだのはライヴで観たミック・ジャガーの、キース・リチャードとのツーショットでした。
私が持参した本のタイトルで使われている「芸人」という言葉。じつは清和さんは寄稿作内では、ほぼ「コンビ」「漫才師」という表現を使っていまして、ってことは、巷でよく使われているこの言葉、けっこう大雑把で曖昧な括りなのかも!? 清和さんにはぜひ「漫才」や「笑い」のこと、そしてご自身についても、もっと書いていただきたいと願います!
相方の名前は山本しろう。端的に言えば彼は「ダメ人間」で、可能な限り努力というものを回避し、人に怒られることからも逃げまくる小心者である。そのくせ頭が悪いのでミスは日常茶飯事。責任感にも乏しく、向上心もな……あ、いや、このへんにしておこう。とにかくそんな相方であるので、漫才のネタ作りは僕の仕事だ。ネタを練り上げる作業は二人で合わせながら行なうわけだが、そうしてさんざん練りに練ったにもかかわらず、彼は舞台上で必ずミスをする。もちろん僕はそうしたミスをフォローしながら漫才を進めていくわけだが、しろうは「ボケてからフリを言ってしまう」「〝何を言ってるかわからない〟体で言わなければならないボケのくだりを、間違え過ぎて逆に何を言ってるかわかってしまう」など、あまりにトリッキーなミスを繰り出すので油断ならないのだ。
ウィッチンケア第8号「穴を掘る人」(P014〜P018)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
2017/05/02
vol.8寄稿者&作品紹介02 朝井麻由美さん
前号に引き続き、他媒体では読めない作風の一篇を寄稿してくださった朝井麻由美さん。つい先日放送された「荻上チキ・Session-22」での、出演者同士での軽妙なトークを思い出しながら、あらためて「消えない儀式の向こう側」と題された作品を読み直してみました。
主人公は「かなちゃん」という女性で、ほとんど言葉を発しません。でも、描かれているかなちゃんの生活(とくに社会との関わり)を追っていると、決して自閉/引き籠もり系なわけではなく...作者は意識的に<かなちゃんの言葉>を消し、<かなちゃんへの言葉>で物語を動かしています。前号での掲載作「無駄。」を紹介したさい、私は<ハードボイルド風味>と書きましたが、今作にも似た印象を。ただ、そのハードボイルドさはより練り込まれているというか...一読してさらりと流れてしまいそうな文字の連なりの内側に、かなちゃんの〝痛み〟が深く記されているのです。「痛い!」と叫べないほどの痛みを抱えている状態を、淡々と描写している、というか。
たとえば、話の前半に「小林さん」という、ちょっと無神経なタイプの上司が登場してよく喋るのですが、この人の発する言葉に、かなちゃんがいかに深く傷つけられていたのか? けっきょくかなちゃんは会社と自分の関係性を変えることを選びますが、そこには<始めたことはいつも長く続けてきたかなちゃんにとって、初めて続かなかったことだった。>という、平易な言葉だけの一節が。作品全体で、個人的には一番戦慄が走った箇所です。責任感が強く他者への気遣いもできる人間が、自身の意志で始めたことを、自ら放棄せざるを得ない状況に追い込まれる...さらっと書いてあるが、これは、そうとうキツい。
作品内でのかなちゃんと母親との関係。そして因果は巡るものなのか、のちに母親となったかなちゃんと子どもとの関係。無口なかなちゃんの内面に渦巻いているものを、ぜひ多くのかたにも感じとっていただければ。私の<なるべくネタバレなし説明>だけだと、ちょっと暗い物語だと思われてしまいそうなのが心配ですが...そんなことはなく、むしろ朝井さんの優しさや凜々しさ、勇敢さなども伝わってくる作品です!
かなちゃんはじっと押し黙り、〝儀式〟を受けている。抵抗しようとしたこともあったが、なぜかうまく声が出なかった。声が出ず、手も動かず、固まってしまった全身を見つめながら、これも〝刷り込み〟のようなものなのだろうか、と頭の中は妙に冷静だった。動物は生まれたての頃に最初に目に入ったものを親だと認識し、頭に刷り込まれるという。
ウィッチンケア第8号「消えない儀式の向こう側」(P010〜P013)より引用
https://goo.gl/kzPJpT
朝井麻由美さん小誌バックナンバー掲載作品
「無駄。」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y
主人公は「かなちゃん」という女性で、ほとんど言葉を発しません。でも、描かれているかなちゃんの生活(とくに社会との関わり)を追っていると、決して自閉/引き籠もり系なわけではなく...作者は意識的に<かなちゃんの言葉>を消し、<かなちゃんへの言葉>で物語を動かしています。前号での掲載作「無駄。」を紹介したさい、私は<ハードボイルド風味>と書きましたが、今作にも似た印象を。ただ、そのハードボイルドさはより練り込まれているというか...一読してさらりと流れてしまいそうな文字の連なりの内側に、かなちゃんの〝痛み〟が深く記されているのです。「痛い!」と叫べないほどの痛みを抱えている状態を、淡々と描写している、というか。
たとえば、話の前半に「小林さん」という、ちょっと無神経なタイプの上司が登場してよく喋るのですが、この人の発する言葉に、かなちゃんがいかに深く傷つけられていたのか? けっきょくかなちゃんは会社と自分の関係性を変えることを選びますが、そこには<始めたことはいつも長く続けてきたかなちゃんにとって、初めて続かなかったことだった。>という、平易な言葉だけの一節が。作品全体で、個人的には一番戦慄が走った箇所です。責任感が強く他者への気遣いもできる人間が、自身の意志で始めたことを、自ら放棄せざるを得ない状況に追い込まれる...さらっと書いてあるが、これは、そうとうキツい。
作品内でのかなちゃんと母親との関係。そして因果は巡るものなのか、のちに母親となったかなちゃんと子どもとの関係。無口なかなちゃんの内面に渦巻いているものを、ぜひ多くのかたにも感じとっていただければ。私の<なるべくネタバレなし説明>だけだと、ちょっと暗い物語だと思われてしまいそうなのが心配ですが...そんなことはなく、むしろ朝井さんの優しさや凜々しさ、勇敢さなども伝わってくる作品です!
かなちゃんはじっと押し黙り、〝儀式〟を受けている。抵抗しようとしたこともあったが、なぜかうまく声が出なかった。声が出ず、手も動かず、固まってしまった全身を見つめながら、これも〝刷り込み〟のようなものなのだろうか、と頭の中は妙に冷静だった。動物は生まれたての頃に最初に目に入ったものを親だと認識し、頭に刷り込まれるという。
ウィッチンケア第8号「消えない儀式の向こう側」(P010〜P013)より引用
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Vol.16 Coming! 20260401
- yoichijerry
- yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare
