4月25日に書き下ろしの初著書「紋切型社会──言葉で固まる現代を解きほぐす」が発行された武田砂鉄さん。武田さんのお名前は自然に覚えてしまいました...ってヘンな言い方ですが、昨年夏頃から、ネット徘徊で気になる記事には、いつも<武田砂鉄>とのクレジットが。その感覚は私には懐かしいものでして、むかし雑誌(とくに音楽誌)の署名記事で書き手を覚えたのに近かった。「おっ、この人いっつもオレの好きなものについてツボ押さえてる」...っていう倒錯感覚(もちろんツボに引き寄せられているのがオレw)。
ネットでは...少なくとも最近の私は「クレジットで読む」or「ざっと内容を確認する」がほとんどなので、誰が書いたのかは「超重要」or「気にならない」に二極化(当方が散漫なこともあるでしょうが、ネットの記事はタイトルも含めてさらりと<書かれていること>の比重が高いような)。そんななか、武田さんのゴツゴツした(さらりと流れない)文章に惹かれてしまいました。ちょっと前もcakes連載「ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜」の<ファシズム化する石原さとみの唇>がおもしろくて...もしかしてNON STYLE井上も石原さとみの罠に陥って「落とせる」発言した!? いやまったく井上さんを擁護する気はありませんが。
「紋切型社会〜」の19<もうユニクロで構わない〜ファッションを彩らない言葉>には「思春期を多摩地方で過ごした私は、ユニクロで洋服を買う、という選択がとっても恥ずかしかった時代を知っている」という一節があり、こういうこと文字で書き留める姿勢は小誌今号への寄稿作「キレなかったけど、キレたかもしれなかった」と通底しているな、と強く思いました。ものごとがなんとなく流されて上書きされたり納まったりすることに、個人の感覚で異議申し立てすること。それはもちろん自分のためでもあるでしょうが、「上書き」「納める」の過程でけっこう暴力的に「なかったこと」にされる事象への目配り(優しさ)が発端なのかも、とも。
今号掲載作は小説のような読後感を抱かせる、「武田君」と「カズちゃん」ともう一人、両人と同い年の「神戸市居住の、中学3年生、A少年」にまつわるエッセイ。武田君は<自分>、カズちゃんは<彼>と表記されることが多く、<私>や<俺>や<僕>は意識的に遠ざけられています。悲しいできごとが起こって、もちろん<自分>は悲しいのだけれどその悲しさとの折り合いが付かなくて、でもその悲しいできごとは「<自分>だけのもの」ではないのでいかんともしがたいうちにどんどん世間一般で言うところの「悲しいできごと」化していって、でもそのことを諦めたくはなくて...って私のまどろっこしい説明ではなくぜひ本編を多くの方に読んでいただきたいです!
人を殺した同級生がどこかにいる。んで、死んでしまった同級生がいる。死体の首だけを校門に置いた同級生がいる。んで、似合わない死化粧で旅立った同級生がいる。彼の鼻には綿が詰め込まれていて、それがちょこっとはみ出ていたんだ。
人の命を寸断することと、寸断されること、この境目って、テレビの中で見解を並べる人たちが単純化して震え立つほど、明確なものなのか。
自分と同じ14歳が人を殺して、自分と同じ14歳は轢き殺された。その時の自分は、妙に大人びた頭を起動させて、このどちらかにだけ寄り添ってはいけないと銘じていた。殺す気持ちも、殺された気持ちも、ちっとも分からない。分かってはいけない。でも、そのどちらもが近くにある。
親友が死んで、その存在が片付けられてしまうようなフレーズを聞くのが最も不快だった。「カズちゃんの事故は残念だったけど、カズちゃんは一生を全うしたんだよね」。全うしているわけがないだろう。なんでもかんでも数歩先を歩いていた彼に、もっともっと嫉妬したかった。またしても、坂をのぼらなくなった。
ウィッチンケア第6号「キレなかったけど、キレたかもしれなかった」(P026〜P031)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
2015/05/05
2015/05/04
vol.6寄稿者&作品紹介04 姫乃たまさん
毎年「次は出せるのだろうか?」と思いながらvol.6まで号を重ねてきた小誌ですが、新たな書き手との出会いって、ほんとに楽しい。姫乃たまさんへの寄稿依頼は、ある方のひとことがきっかけ。「第6号も出すことに決めたんですが自分では思いつかない人にもお願いしてみたくて」という、なんだか東浩紀「弱いつながり 検索ワードを探す旅」的相談に乗ってくれた人が「姫乃さんは?」と。私は一昨年まで在下北沢でしたので「地下アイドル・姫乃たま」がシモキタを拠点に活躍していることは知っていましたが、「自分が姫乃さんに寄稿依頼する」は、一人では一生思いつかなかっただろうな。
昨年、秋の終わりに下北沢で打ち合わせ。聞けば八百屋さんの近くの店でアルバイトしていたこともあったそうで、そりゃ絶対すれちがったりくらいはしている。その後「オートフィクションを書きます」という連絡、年明け2月上旬に届いたのが掲載作の「21才」。22才のバースディパーティの少し前に書き上げた23才の「私」が21才の頃を回想する物語。どのくらい「私」=姫乃さんなのかは読み手の想像力にお任せしますが「私」の感覚は書き手のそれを投影しているんだろうなと推察しちゃう箇所も少なくなくあり...読み終えて「私」って手強いなと思いました。手強いってなんだよ、とつっこまれそうなのでもうちょっと言葉を捻出すれば、「私」って修験者みたいだ。
<好きな曲を好きなだけ聴かないようにしている>「私」。恋人に<大事にしてもらえると確信した瞬間から、興味がなくなってしまう>「私」。<怠惰な人間は、とことん怠けることの面倒くささを知っているのだ>と語る「私」。作品内の「私」は世の中のものさしで言うところの「道ならぬ恋」をしているのですが、そのことに悩んでいるようには描かれておらず...いや、刹那で感情が揺れたりするから充分悩んではいるのだろうけれど、少なくともこの作品は『道ならぬ恋で悩む「私」』について書いているんじゃないな、と。もうちょっとハードルの高いところから怠惰に流れている感じ。
「ビール」と「食べる」ことで自分と恋人の関係性を描いているくだりが、とても印象的でした。なんでいま親密なのか、なんでいま一緒にいたいと思うのか、みたいなことって、言葉にするとこんな感じなのかもしれないな、と。でっ、このくらいのことで繋がっているから些細なことで壊れちゃったり、また繋がっちゃったりして日々が経つ。23才の「私」は<少し憂鬱>になるくらいならまあいいや、と現在の「助手席の男」にも引導を渡そうとしていますが...やっぱり手強い。恋人だと思っている相手がこんなこと考えていたってわかったら、私だって号泣します。
ベッドから抜け出して、遅すぎた昼食のかわりに冷蔵庫からビールを取り出した。恋人は私の「小さいのによく飲むところ」が好きだという。どこにそんなお酒がはいるのか不思議だから、と。アイロンをかけ続ける背中に「知らない国の話をして」と声をかける。
恋人は仕事でよく海外に行くのだ。おかげでずいぶんといろんな国のことを聞いた。臆病で出不精な私も、恋人のいる知らない国ならいいかもしれないと思う。恋人は質問には応えず、私とビールを交互に見てから、酒のありかを探すように体を触って来る。思わず声をあげて笑い出してしまう。
私と恋人はつるつるしたシルクの糸を滑り降りているようだと、時々思う。
夕方、雨あがりの道を近所のレストランまで歩いていった。私はいつでも恋人と同じものを同じだけ食べようとする。でも結局、同じだけは食べられなくて、恋人のほうが私より少しだけ多く食べる。恋人が私より優れているのはそのせいではないかと密かに思っている。
ウィッチンケア第6号「21才」(P020〜P025)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
昨年、秋の終わりに下北沢で打ち合わせ。聞けば八百屋さんの近くの店でアルバイトしていたこともあったそうで、そりゃ絶対すれちがったりくらいはしている。その後「オートフィクションを書きます」という連絡、年明け2月上旬に届いたのが掲載作の「21才」。22才のバースディパーティの少し前に書き上げた23才の「私」が21才の頃を回想する物語。どのくらい「私」=姫乃さんなのかは読み手の想像力にお任せしますが「私」の感覚は書き手のそれを投影しているんだろうなと推察しちゃう箇所も少なくなくあり...読み終えて「私」って手強いなと思いました。手強いってなんだよ、とつっこまれそうなのでもうちょっと言葉を捻出すれば、「私」って修験者みたいだ。
<好きな曲を好きなだけ聴かないようにしている>「私」。恋人に<大事にしてもらえると確信した瞬間から、興味がなくなってしまう>「私」。<怠惰な人間は、とことん怠けることの面倒くささを知っているのだ>と語る「私」。作品内の「私」は世の中のものさしで言うところの「道ならぬ恋」をしているのですが、そのことに悩んでいるようには描かれておらず...いや、刹那で感情が揺れたりするから充分悩んではいるのだろうけれど、少なくともこの作品は『道ならぬ恋で悩む「私」』について書いているんじゃないな、と。もうちょっとハードルの高いところから怠惰に流れている感じ。
「ビール」と「食べる」ことで自分と恋人の関係性を描いているくだりが、とても印象的でした。なんでいま親密なのか、なんでいま一緒にいたいと思うのか、みたいなことって、言葉にするとこんな感じなのかもしれないな、と。でっ、このくらいのことで繋がっているから些細なことで壊れちゃったり、また繋がっちゃったりして日々が経つ。23才の「私」は<少し憂鬱>になるくらいならまあいいや、と現在の「助手席の男」にも引導を渡そうとしていますが...やっぱり手強い。恋人だと思っている相手がこんなこと考えていたってわかったら、私だって号泣します。
ベッドから抜け出して、遅すぎた昼食のかわりに冷蔵庫からビールを取り出した。恋人は私の「小さいのによく飲むところ」が好きだという。どこにそんなお酒がはいるのか不思議だから、と。アイロンをかけ続ける背中に「知らない国の話をして」と声をかける。
恋人は仕事でよく海外に行くのだ。おかげでずいぶんといろんな国のことを聞いた。臆病で出不精な私も、恋人のいる知らない国ならいいかもしれないと思う。恋人は質問には応えず、私とビールを交互に見てから、酒のありかを探すように体を触って来る。思わず声をあげて笑い出してしまう。
私と恋人はつるつるしたシルクの糸を滑り降りているようだと、時々思う。
夕方、雨あがりの道を近所のレストランまで歩いていった。私はいつでも恋人と同じものを同じだけ食べようとする。でも結局、同じだけは食べられなくて、恋人のほうが私より少しだけ多く食べる。恋人が私より優れているのはそのせいではないかと密かに思っている。
ウィッチンケア第6号「21才」(P020〜P025)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
2015/05/03
vol.6寄稿者&作品紹介03 開沼博さん
3月に「はじめての福島学」と「常磐線中心主義(ジョーバンセントリズム)」という2冊の本を出した開沼博さん。刊行に合わせて日本全国でイベントを開催しながら、小誌にもご寄稿くださったこと、あらためて感謝致します。今号への掲載作はタイトルからもわかるように、小誌第5号の「ゼロ年代に見てきた風景」の続編的内容。私は前作の<私がこの10年間置かれてきた環境から見えた「ゼロ年代」が、既存の「ゼロ年代」とはだいぶ違う何かだと感じているからだ。>という一節にとても引っ掛かっていました。ここで開沼さんが<既存の「ゼロ年代」>と表現しているのは、いわゆる言論系の人たちが当該期間の末期から総括し始めた「ゼロ年代」で、開沼さんはそこからこぼれたものも丁寧に拾っていずれ再検証しましょう、と。
思い出すのはかつてリアルタイムで読みおもしろかった「80年代の正体!」というムック。私の本棚のどこかにあるはずだが見つからず、ネット検索すると発売が1990年4月。まあ、<既存の「ゼロ年代」>と同じくらいの時間軸で80年代が総括されていて、表紙には<それはどんな時代だったのか ハッキリ言って「スカ」だった!>との一文があります。この本を手に入れたときの感覚はちょっと覚えていて、そろそろ「新しい」でもなくなった事象をわかりやすく解説したりバッサリ斬ったりするモノ言いって、けっこう小気味よく感じられたのです(更新する快感、みたいなもの?)。でも、もちろんこの本が80年代の正体を言い当てていたわけではなく、ましてや<「スカ」だった!>は、いまや乱暴な煽りの見本みたいだし。
今回の「パート 2」には「与沢翼」「猪子寿之」「菅直人」「はあちゅう」といった有名人も登場します。おもしろいのは、その人物との交友譚が記されているのではなく、あくまでも「見てきた風景」の一部として登場すること。きっと親しく言葉を交わしたり、その後の人間関係だって、と想像できるのですが、開沼さんは「見てきた」記憶のみを積み重ねています。この書き手のスタンスによって、日頃メディア経由で受け取る人物情報とは違った像が垣間見える。私は「私の友達の●●が○○したので応援して!」みたいな文章を見るだけでいや〜な気持ちになる人間なので、本作での人物の描かれ方には共感しました。
今作内の<とりあえず、ホリエモンブーム前夜に、その後ホリエモンのようにはなりえなかった夢が無数に転がっていたのは確かだった>という一節も、個人的には引っ掛かっています。世の中全般は不況で勝ち組と負け組がはっきりした、と言われていた時代。もしかすると開沼さんの「見てきた風景」のどこかには、「現在の風景」の萌芽みたいなものが隠れていたかもしれない。無数に転がっていた夢が壊滅したとも思えないし...まだまだ先を読んでみたい、大きなテーマだと思います。
その中に「ベンチャー社長のカバン持ち」という事業があった。ベンチャー企業や自ら起業することに興味がある若者が集まってきて、合宿をしながらアントレプレナーシップ(起業家精神)や財務・法務の基礎を座学で学んだり、ベンチャー社長の講演を聞いたりする。その上で、ドリームゲートとつながりのあるベンチャー企業の社長のカバン持ちを1週間程度する。そんなプログラムだった。
ドリームゲートとつながりのあるベンチャー企業とは、例えば名前が一般にも知られるところで言えば、GMOやディー・エヌ・エー、サイバーエージェント、ライブドアなどIT関係はもちろん、インテリジェンスのような人材系、ワタミのような飲食系も入っていた。それらの一部の企業がこの「カバン持ち」に協力していた。
そこを覗きに行った際に、特筆すべく、というほどでもないが、それなりに目立っていたのが当時、早稲田の学生だった「与沢翼」だった。与沢さんのイメージはいまと全く違った。
まず体は細身で小柄さが目立った。
ウィッチンケア第6号「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(P014〜P019)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
cf.
「ゼロ年代に見てきた風景」
思い出すのはかつてリアルタイムで読みおもしろかった「80年代の正体!」というムック。私の本棚のどこかにあるはずだが見つからず、ネット検索すると発売が1990年4月。まあ、<既存の「ゼロ年代」>と同じくらいの時間軸で80年代が総括されていて、表紙には<それはどんな時代だったのか ハッキリ言って「スカ」だった!>との一文があります。この本を手に入れたときの感覚はちょっと覚えていて、そろそろ「新しい」でもなくなった事象をわかりやすく解説したりバッサリ斬ったりするモノ言いって、けっこう小気味よく感じられたのです(更新する快感、みたいなもの?)。でも、もちろんこの本が80年代の正体を言い当てていたわけではなく、ましてや<「スカ」だった!>は、いまや乱暴な煽りの見本みたいだし。
今回の「パート 2」には「与沢翼」「猪子寿之」「菅直人」「はあちゅう」といった有名人も登場します。おもしろいのは、その人物との交友譚が記されているのではなく、あくまでも「見てきた風景」の一部として登場すること。きっと親しく言葉を交わしたり、その後の人間関係だって、と想像できるのですが、開沼さんは「見てきた」記憶のみを積み重ねています。この書き手のスタンスによって、日頃メディア経由で受け取る人物情報とは違った像が垣間見える。私は「私の友達の●●が○○したので応援して!」みたいな文章を見るだけでいや〜な気持ちになる人間なので、本作での人物の描かれ方には共感しました。
今作内の<とりあえず、ホリエモンブーム前夜に、その後ホリエモンのようにはなりえなかった夢が無数に転がっていたのは確かだった>という一節も、個人的には引っ掛かっています。世の中全般は不況で勝ち組と負け組がはっきりした、と言われていた時代。もしかすると開沼さんの「見てきた風景」のどこかには、「現在の風景」の萌芽みたいなものが隠れていたかもしれない。無数に転がっていた夢が壊滅したとも思えないし...まだまだ先を読んでみたい、大きなテーマだと思います。
その中に「ベンチャー社長のカバン持ち」という事業があった。ベンチャー企業や自ら起業することに興味がある若者が集まってきて、合宿をしながらアントレプレナーシップ(起業家精神)や財務・法務の基礎を座学で学んだり、ベンチャー社長の講演を聞いたりする。その上で、ドリームゲートとつながりのあるベンチャー企業の社長のカバン持ちを1週間程度する。そんなプログラムだった。
ドリームゲートとつながりのあるベンチャー企業とは、例えば名前が一般にも知られるところで言えば、GMOやディー・エヌ・エー、サイバーエージェント、ライブドアなどIT関係はもちろん、インテリジェンスのような人材系、ワタミのような飲食系も入っていた。それらの一部の企業がこの「カバン持ち」に協力していた。
そこを覗きに行った際に、特筆すべく、というほどでもないが、それなりに目立っていたのが当時、早稲田の学生だった「与沢翼」だった。与沢さんのイメージはいまと全く違った。
まず体は細身で小柄さが目立った。
ウィッチンケア第6号「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(P014〜P019)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
cf.
「ゼロ年代に見てきた風景」
2015/05/02
vol.6寄稿者&作品紹介02 西森路代さん
雑誌やウェブに数多くエッセイや取材記事を発表している西森路代さん。プロフィールでは「ライター」「フリーライター」と紹介されることが多いですが、私がいつも読んでいる日経ウーマンオンラインの連載<西森路代の「人気」研究所>には「ライター/人気評論家」とあり...人気評論家! もちろん連載タイトルとからめたものでしょうが、なんか、ぴったりだな、と。過去何度か「顔はだんだん覚えてきたけど名前がわからない」くらいの役者/タレントを、西森さんの記事で一致させたことがあったような...。
そんな西森さんが寄稿してくださったのは、昨年ユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた「壁ドン」についての考察。この言葉、じつは私が認識したのは昨年9月初旬で(なぜ正確に覚えているかというとFacebookでの「友達」との雑談で<最近ドラマを見て覚えた言葉=「壁ドン」>と2014年9月2日09:57に記している)、最初はその概念というか状況というか<ワールド>がわからなかったが、でも瞬く間に世の中がこの新流行語を消費していき、それに合わせて私の「2014ver. 壁ドン」認識もできあがって、そしていまは「ダメよ〜ダメダメ!」とともに忘れかけてるわけですが、しかし西森さんは寄稿作「壁ドンの形骸と本質」において、この流行現象を丁寧に分析をしています。
同作によると<そもそも、「壁ドン」という行為自体はかなり前から様々な映画、ドラマ、漫画などで描かれていたが、言葉になったのは2008年頃のことらしい>と。私の記憶ではフランス映画などで男女がやり合うとそういうシーンが出てきたような。日本なら「傷だらけの天使」の小暮修とか「蘇る金狼」の朝倉哲也に似合いそうな、なんというか、ケダモノ的行為? なので昨年9月頃に知ったときは「なんでこんなのがエンタメ化してんだろう」と不思議でしたが、西森さんが男にとっての壁ドンの本質を<どうしようもない気持ちの最終形>と書いているのを読んで納得したのでした。文中に引用されている徳井義実さんの「日常生活で壁ドンするやつって正気の沙汰じゃないと思う」というコメントあたりが、近い感じ。
こういう形骸化、私は自分のフィールドに引き込んで「まあ、ジミヘンがギター燃やしたりぶっ壊したりしたのがエア・ギターになっちゃったようなもんか...」と軽く嘆いて終わりにしちゃうんですが、西森さんさすが、と思ったのは、一度形骸化した壁ドンにも未来の可能性を示唆して考察を締めているところ。全体の見通し力/バランス感覚はラジオでのトークや共著書「女子会2.0」でも発揮されているように思え、私はファンです!
私個人が覚えている「壁ドン」シーンと言えば、1990年代にヒットした別冊マーガレット連載の少女漫画『イタズラなKiss』(多田かおる著)の中の一コマだ。この作品は日本、台湾、韓国でも何度もドラマ化されたため、若い世代にも知られている作品かと思う。
この作品の壁ドンシーンは、今のようにパロディ化・陳腐化されたものとは違って非常に切実だ。ヒロインの琴子が片思いする直樹は学年トップの秀才だが情緒というものが少々足りない男の子。直樹とは違ってストレートな琴子の思いに最初は戸惑ってはいたが、直樹はそんな琴子に次第に惹かれていく。惹かれていくうちに琴子の天然ゆえの八方美人な行動に腹が立ったりするのだが、直樹にはその苛立つ気持ちの正体が何なのかわからない。そのモヤモヤした気持ちと、琴子に対して募る恋心がまじりあって、思わずやってしまうのが「壁ドン」なのだった。
言ってみれば、流行語になる前の「壁ドン」は、2015年に言われる「壁ドンする人の自信満々さ」や「自信から壁ドンを実際にやってしまう痛さ」というものとはかけ離れた、むしろ逆の気持ち──自信のなさと自分の気持ちの正体の得体の知れなさ──が本質のひとつとしてあったと言ってもいいだろう。
ウィッチンケア第6号「壁ドンの形骸と本質」(P008〜P013)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
そんな西森さんが寄稿してくださったのは、昨年ユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに選ばれた「壁ドン」についての考察。この言葉、じつは私が認識したのは昨年9月初旬で(なぜ正確に覚えているかというとFacebookでの「友達」との雑談で<最近ドラマを見て覚えた言葉=「壁ドン」>と2014年9月2日09:57に記している)、最初はその概念というか状況というか<ワールド>がわからなかったが、でも瞬く間に世の中がこの新流行語を消費していき、それに合わせて私の「2014ver. 壁ドン」認識もできあがって、そしていまは「ダメよ〜ダメダメ!」とともに忘れかけてるわけですが、しかし西森さんは寄稿作「壁ドンの形骸と本質」において、この流行現象を丁寧に分析をしています。
同作によると<そもそも、「壁ドン」という行為自体はかなり前から様々な映画、ドラマ、漫画などで描かれていたが、言葉になったのは2008年頃のことらしい>と。私の記憶ではフランス映画などで男女がやり合うとそういうシーンが出てきたような。日本なら「傷だらけの天使」の小暮修とか「蘇る金狼」の朝倉哲也に似合いそうな、なんというか、ケダモノ的行為? なので昨年9月頃に知ったときは「なんでこんなのがエンタメ化してんだろう」と不思議でしたが、西森さんが男にとっての壁ドンの本質を<どうしようもない気持ちの最終形>と書いているのを読んで納得したのでした。文中に引用されている徳井義実さんの「日常生活で壁ドンするやつって正気の沙汰じゃないと思う」というコメントあたりが、近い感じ。
こういう形骸化、私は自分のフィールドに引き込んで「まあ、ジミヘンがギター燃やしたりぶっ壊したりしたのがエア・ギターになっちゃったようなもんか...」と軽く嘆いて終わりにしちゃうんですが、西森さんさすが、と思ったのは、一度形骸化した壁ドンにも未来の可能性を示唆して考察を締めているところ。全体の見通し力/バランス感覚はラジオでのトークや共著書「女子会2.0」でも発揮されているように思え、私はファンです!
私個人が覚えている「壁ドン」シーンと言えば、1990年代にヒットした別冊マーガレット連載の少女漫画『イタズラなKiss』(多田かおる著)の中の一コマだ。この作品は日本、台湾、韓国でも何度もドラマ化されたため、若い世代にも知られている作品かと思う。
この作品の壁ドンシーンは、今のようにパロディ化・陳腐化されたものとは違って非常に切実だ。ヒロインの琴子が片思いする直樹は学年トップの秀才だが情緒というものが少々足りない男の子。直樹とは違ってストレートな琴子の思いに最初は戸惑ってはいたが、直樹はそんな琴子に次第に惹かれていく。惹かれていくうちに琴子の天然ゆえの八方美人な行動に腹が立ったりするのだが、直樹にはその苛立つ気持ちの正体が何なのかわからない。そのモヤモヤした気持ちと、琴子に対して募る恋心がまじりあって、思わずやってしまうのが「壁ドン」なのだった。
言ってみれば、流行語になる前の「壁ドン」は、2015年に言われる「壁ドンする人の自信満々さ」や「自信から壁ドンを実際にやってしまう痛さ」というものとはかけ離れた、むしろ逆の気持ち──自信のなさと自分の気持ちの正体の得体の知れなさ──が本質のひとつとしてあったと言ってもいいだろう。
ウィッチンケア第6号「壁ドンの形骸と本質」(P008〜P013)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
2015/05/01
vol.6寄稿者&作品紹介01 仲俣暁生さん
仲俣暁生さんの小誌今号への寄稿作を読み、一昨年B&Bでおこなわれた武田徹さんと仲俣さんの対談での発言を思い出しました。仲俣さん曰く「ノンフィクション作家とかジャーナリストとか編集者とか文芸評論家とかって、一般的には色気がない、散文のなかでももっとも水気のない仕事に就いているわけですけれど、でも実際には音楽や芸術というウェットなものに触れたりしている」...いやぁ、ほんとにそうなんだろうなと思わせるくだりが、「1985年のセンチメンタルジャーニー」冒頭でさらりと描かれています。
はじめての一人旅の目的地が金沢、それも「絵に描いたような失恋旅行」。傷心の仲俣青年は「ウォークマン(あるいはカセットボーイ?)」(AIWAだ!)でアズテック・カメラの『ナイフ』を聞いていた、と。なんと<ウェット>がサマになる風景であることか、と私は感じ入ったのでありました。その頃の世の中はDCブランドブーム全盛でしたが、たぶん仲俣青年ははき慣れたジーンズかチノパン&デイパック。音楽ではチェッカーズや中森明菜、C-C-Bの「Romanticが止まらない」等には耳もくれずネオアコ...きっとアズカメはデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズやペイル・ファウンテンズでも代替可? 本はなにを持っていたのだろう...まちがっても「ルンルンを買っておうちに帰ろう」や「気くばりのすすめ」じゃないだろうな、と。
作品は思い出の旅行に続き、信越本線の途中にある父方の郷里(牟礼)、そしてニンベンの付いた「仲俣」姓の話へと展開していきます。家族のルーツの謎解き...仲俣さんは小誌第3号への寄稿以来、緩やかに一貫して「家族の話」を書いてくださっていますが、プライベートな題材を扱うとその筆致にも優しいお人柄の部分が瑞々しく滲み出てくるようにも(先の「水気のない仕事」だなんて、そんなそんな...)。意外な結末部分は、ぜひ本編で多くの方に読んでいただきたいです。
個人的には作品内で仲俣さんが使った「オバさん」という言葉にも私は強く共振したのでした。1980年代半ば頃のハタチくらいの青年にとって当時の(いまで言う)アラフォー女性は、自分の倍近く生きている「人間のベテラン」に見えたし、また当時の女性も「それなりの成り」をしていたような記憶があります。もちろんオジさんもしっかりオジさんしていて。しかしながら仲俣青年の同年代が社会人になり「Hanako」も創刊し、そのあたりが、美魔女的生命体発生の起源のような...。
最初に金沢を訪れたのは二十一歳のときで、はじめての一人旅だった。絵に描いたような失恋旅行だったが、旅の楽しさは傷心をたちまち癒してくれた。旅先でアズテック・カメラのセカンドアルバム『ナイフ』をカセットテープで買った記憶があるので、ウォークマン(あるいはカセットボーイ?)で音楽を聴きながらの旅だったのだろう。
片町の映画館では、封切りされたばかりのフランシス・コッポラ監督の『コットンクラブ』を観た。その帰りに立ち寄った香林坊のバーでは、早稲田を中退して東京から家出してきたという若いバーテンが、フリートウッド・マックとフリーのアルバムをかけてくれた。結婚仲介業をしているというオバさん(といっても、いま思えばたぶん三十代)とそのバーで盛り上がった。翌日は内灘の海岸まで足を伸ばし、一泊で東京に戻った。
のちに私は吉田健一という作家が好きになったが、そのきっかけも「金沢」という小説だった。いつかあの町であんなふうに酒を飲みたいと願いつづけているのだが、まだかなわない。
ウィッチンケア第6号「1985年のセンチメンタルジャーニー」(P004〜P007)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
cf.
「父という謎」/「国破れて」/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」
はじめての一人旅の目的地が金沢、それも「絵に描いたような失恋旅行」。傷心の仲俣青年は「ウォークマン(あるいはカセットボーイ?)」(AIWAだ!)でアズテック・カメラの『ナイフ』を聞いていた、と。なんと<ウェット>がサマになる風景であることか、と私は感じ入ったのでありました。その頃の世の中はDCブランドブーム全盛でしたが、たぶん仲俣青年ははき慣れたジーンズかチノパン&デイパック。音楽ではチェッカーズや中森明菜、C-C-Bの「Romanticが止まらない」等には耳もくれずネオアコ...きっとアズカメはデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズやペイル・ファウンテンズでも代替可? 本はなにを持っていたのだろう...まちがっても「ルンルンを買っておうちに帰ろう」や「気くばりのすすめ」じゃないだろうな、と。
作品は思い出の旅行に続き、信越本線の途中にある父方の郷里(牟礼)、そしてニンベンの付いた「仲俣」姓の話へと展開していきます。家族のルーツの謎解き...仲俣さんは小誌第3号への寄稿以来、緩やかに一貫して「家族の話」を書いてくださっていますが、プライベートな題材を扱うとその筆致にも優しいお人柄の部分が瑞々しく滲み出てくるようにも(先の「水気のない仕事」だなんて、そんなそんな...)。意外な結末部分は、ぜひ本編で多くの方に読んでいただきたいです。
個人的には作品内で仲俣さんが使った「オバさん」という言葉にも私は強く共振したのでした。1980年代半ば頃のハタチくらいの青年にとって当時の(いまで言う)アラフォー女性は、自分の倍近く生きている「人間のベテラン」に見えたし、また当時の女性も「それなりの成り」をしていたような記憶があります。もちろんオジさんもしっかりオジさんしていて。しかしながら仲俣青年の同年代が社会人になり「Hanako」も創刊し、そのあたりが、美魔女的生命体発生の起源のような...。
片町の映画館では、封切りされたばかりのフランシス・コッポラ監督の『コットンクラブ』を観た。その帰りに立ち寄った香林坊のバーでは、早稲田を中退して東京から家出してきたという若いバーテンが、フリートウッド・マックとフリーのアルバムをかけてくれた。結婚仲介業をしているというオバさん(といっても、いま思えばたぶん三十代)とそのバーで盛り上がった。翌日は内灘の海岸まで足を伸ばし、一泊で東京に戻った。
のちに私は吉田健一という作家が好きになったが、そのきっかけも「金沢」という小説だった。いつかあの町であんなふうに酒を飲みたいと願いつづけているのだが、まだかなわない。
ウィッチンケア第6号「1985年のセンチメンタルジャーニー」(P004〜P007)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1
cf.
「父という謎」/「国破れて」/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」
Vol.16 Coming! 20260401
- yoichijerry
- yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare




