あっ、5月はまだ1日あるのでした。じつは具体的なことが決まっていないのですが、小誌に関係したイベントを、夏のうちに開催しようと思っています。ごく小規模で会議/意見交換的なものになりそうな...。
詳細は追ってお伝え致します!
2014/05/31
2014/05/30
34作品&寄稿者の紹介を終えて
31日で34作品。最後は駆け足でしたが、これでやっと、昨年秋には「A4ペラ箇条書き」だったウィッチンケア第5号の<媒体概要>ができあがった、との思い。あとはこれらを見やすくした<まとめ>をアップすれば...。
各紹介文については、とにかく多くのかたが一部引用部分を「立ち読み」してくださること、切に願います。それでは私の書き添えた文章は!? 寄稿者の人となりを知ってもらうことに少しでも役に立てば...評論/解説的なものではありませんので(それにしても与太話が多すぎた、と反省!)。
おかげさまで今号は、いままで以上に幅広い方に届いたような手応えを感じています。一番わかりやすい「ものさし」はたとえばアマゾンでの売り上げで、これは発売日から「在庫切れ」になったりとモヤモヤする展開が多かったのですが、それでも号を重ねるにつれて良くなってきました。
拙文を書くにあたり、あらためて小誌第5号を読み直して感じたのは、やはり発行人にとって各作品が「どんなジャンルに属するのか」は、あまり気にならないということでした。また与太話で恐縮ですが、私はiTunesの音楽を「ジャンル」ではなく★の数による「スマートプレイリスト」のシャッフルで聞いていることがほとんどでして、小誌発行とは「★★★★★!」を選択することと同じ。
ですので、掲載作が詩でも小説でもエッセイでも評論でも...それで、では★の数はなにによって決まるのかというと...はい、ですので私が「寄稿依頼〜誌にまとめる」という判断をしている以上、さらに掲載作を評論/解説するのは屋上屋を重ねるような気がします。願わくば、小誌にフラットに接した人の批評や分析を聞きたい/読みたい。
今後も創刊号〜第5号ができるだけ多くのかたに届くよう動いていく所存です。現時点での自分の課題は、「★★★★★!」のコンテンツをもっともっと多様な回路に「繋ぐ」こと。ここが弱点だとの自覚があり、そのためになにをすればいいのか...考えながら走ることが、今後の「のびしろ」の発見になるかもしれません。
月が改まったら当ブログに<第5号のまとめ>を掲載する予定ですが、それまでは下記URLをまとめ「立ち読み」ツールとしてご利用ください。今後ともウィッチンケアをどうぞよろしくお願い致します!
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
各紹介文については、とにかく多くのかたが一部引用部分を「立ち読み」してくださること、切に願います。それでは私の書き添えた文章は!? 寄稿者の人となりを知ってもらうことに少しでも役に立てば...評論/解説的なものではありませんので(それにしても与太話が多すぎた、と反省!)。
おかげさまで今号は、いままで以上に幅広い方に届いたような手応えを感じています。一番わかりやすい「ものさし」はたとえばアマゾンでの売り上げで、これは発売日から「在庫切れ」になったりとモヤモヤする展開が多かったのですが、それでも号を重ねるにつれて良くなってきました。
拙文を書くにあたり、あらためて小誌第5号を読み直して感じたのは、やはり発行人にとって各作品が「どんなジャンルに属するのか」は、あまり気にならないということでした。また与太話で恐縮ですが、私はiTunesの音楽を「ジャンル」ではなく★の数による「スマートプレイリスト」のシャッフルで聞いていることがほとんどでして、小誌発行とは「★★★★★!」を選択することと同じ。
ですので、掲載作が詩でも小説でもエッセイでも評論でも...それで、では★の数はなにによって決まるのかというと...はい、ですので私が「寄稿依頼〜誌にまとめる」という判断をしている以上、さらに掲載作を評論/解説するのは屋上屋を重ねるような気がします。願わくば、小誌にフラットに接した人の批評や分析を聞きたい/読みたい。
今後も創刊号〜第5号ができるだけ多くのかたに届くよう動いていく所存です。現時点での自分の課題は、「★★★★★!」のコンテンツをもっともっと多様な回路に「繋ぐ」こと。ここが弱点だとの自覚があり、そのためになにをすればいいのか...考えながら走ることが、今後の「のびしろ」の発見になるかもしれません。
月が改まったら当ブログに<第5号のまとめ>を掲載する予定ですが、それまでは下記URLをまとめ「立ち読み」ツールとしてご利用ください。今後ともウィッチンケアをどうぞよろしくお願い致します!
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
2014/05/25
vol.5寄稿者&作品紹介34 出門みずよさん
前号には出門みずよ×中野純さん名義で「天の蛇腹(部分)」を寄稿してくださった出門みずよさん。今号ではソロ活動での書き下ろし掌編を掲載しましたが、しかし出門さんの執筆活動はとてもややこしくって...いったいいくつの名を持っているのでしょうか?
たとえばイタクラヨシコ名義でユーモア恋愛小説「ダメじゃん、蟹江クン!」を発表したり、産経新聞朝刊文化欄コラム「断」のレギュラー執筆者だったり。瀧浦ベアトリ名義では噺家を紹介するコラムを書いたり、かつてマガジンハウスが発行していたポルノ雑誌「HEAVEN」に「電気女」という作品を発表していたり(『歓喜まんだら : The very best of「heaven」/藤沢周 編』として書籍化)、さらに板倉克子名義では翻訳も多数...さらにさらにじつはパーカッショニストで...詳しくはここをご参照ください!
「よき日にせよとひとは言う」はかつて高級娼婦として国際的に活躍(?)していた、入間かずみの物語。スイスのエージェントに提出義務のある書類作成のため診察を受けた医師・米原と、「チェーン・オブ・フールズ」(愚か者の鎖)という“大人の交際術”によって数奇な再会を果たし...いやいや、この米原さんがダメな雰囲気、さらにボロボロになっていく感じが淡々と綴られているのですが、なんというか、ちょっとまえに流行語になったリケジョが実験動物でも観察記録に残しているようで、読んでいてお尻がムズムズします。それに比べてかずみさんの、やんわりしたタフさときたら。
再会した米原さんは「ぼくは、つねに自分が得になるように考えてしまうんだ。相手の立ち場に立てないんだ。いつもいつも、そう」と、かずみに自分がダメになった理由を語ります。...そんなこと打ち明けられたってねえ、ですが...しかしある種の賢さ(小狡さ)を備えていて、しかもその自覚があるまま鈍感を装ってそれなりに突っ走ってきちゃった人って、(性別に関係なく)けっこう脆いような気もします。でっ、うろたえ始めると「この私がうろたえている!」みたいにパニック...だからやさしくしてあげましょうよ。頬にキスしたり、ご機嫌伺いしてあげたり、Have a nice day! って元気づけてあげたり。
セックスを求められない高級娼婦なんて、クビまちがいなし。転職して半年で干されたと思っていたら、それどころか、その秋からかずみの報酬は倍に上がった。
そのかわり、フィンランド人実業家Pはカズミともっと経済の話をしたいので、「最低でもエコノミストとファイナンシャル・タイムズ、そのほかにもう一種類、アメリカの経済紙誌に目を通すことが望ましい」とダビーナから学習勧告が舞い込んだ。ちなみに、かずみがPとEの双方から最高得点を得た項目は「会話力」「ユーモアのセンス」で、「広い好奇心。とりわけ人間への興味と洞察が深い」との評価を得た。和装ができることも高ポイントだった。ただ、Pからは、「寝起きが悪く、午前中を効率的に使えない」とお目玉も食らっていた。
とにかくそんな事情で、かずみはもう、あの、ビジネス街でも繁華街でも住宅地でもない東京の真空スポットの緑道をたどり、米原がいれた挽き立てのコーヒーを真っ赤なカップで飲むことはなくなったのである。
かずみはにわかに多忙となり、Pが日本滞在用に借りている恵比寿のマンションや札幌のホテルに滞在したり、Eが仕事でヨーロッパやアメリカを訪れる際に同伴したりすることが増えた。
ただ,彼女は一度だけ米原を思い出した。札幌滞在中、ベッドでPが見慣れない遊び道具と変な匂いのローションを使ったせいでかゆみが起き、米原に診てもらうことを考えた。しかし、まもなくその症状がおさまるにつれ、忘れてしまった。
翌年の六月半ばのことだった。ブラジル人音楽家Eがアメリカとカナダで講演とワークショップを行なうツアーに同行中、Eの妻が心臓病で倒れたとの知らせが入り、Eはツアーを返上してサンパウロにもどることとなった。その報告や、単独行動になってからの経費の件でスイスのダビーナにメールを送ると、返信の最後に、単発アカウントの打診があった。
「売れっ子のカズミへ!
あのフィンランドの屠殺王は、九月まで日本を訪れない。イレギュラーの仕事を入れる気はないですか?
ロンドンのミスターLを覚えている? 彼はいまトーキョーに滞在中でまもなくロンドンへもどるが、三日間以上のホームステイはどう?
さらにそのあとは、ミスターLのご友人が、〝チェーン・オブ・フールズ〟をご所望。スペインへの長旅になるとのことで、期限は決まっていません。
あなたがもうピルを飲んでいないことは承知のうえでの打診ですが、アジアのインテリは総じてお行儀がよいので、問題ないのでは? 可能ですか?」
ウィッチンケア第5号「よき日にせよとひとは言う」(P230〜P241)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
たとえばイタクラヨシコ名義でユーモア恋愛小説「ダメじゃん、蟹江クン!」を発表したり、産経新聞朝刊文化欄コラム「断」のレギュラー執筆者だったり。瀧浦ベアトリ名義では噺家を紹介するコラムを書いたり、かつてマガジンハウスが発行していたポルノ雑誌「HEAVEN」に「電気女」という作品を発表していたり(『歓喜まんだら : The very best of「heaven」/藤沢周 編』として書籍化)、さらに板倉克子名義では翻訳も多数...さらにさらにじつはパーカッショニストで...詳しくはここをご参照ください!
「よき日にせよとひとは言う」はかつて高級娼婦として国際的に活躍(?)していた、入間かずみの物語。スイスのエージェントに提出義務のある書類作成のため診察を受けた医師・米原と、「チェーン・オブ・フールズ」(愚か者の鎖)という“大人の交際術”によって数奇な再会を果たし...いやいや、この米原さんがダメな雰囲気、さらにボロボロになっていく感じが淡々と綴られているのですが、なんというか、ちょっとまえに流行語になったリケジョが実験動物でも観察記録に残しているようで、読んでいてお尻がムズムズします。それに比べてかずみさんの、やんわりしたタフさときたら。
再会した米原さんは「ぼくは、つねに自分が得になるように考えてしまうんだ。相手の立ち場に立てないんだ。いつもいつも、そう」と、かずみに自分がダメになった理由を語ります。...そんなこと打ち明けられたってねえ、ですが...しかしある種の賢さ(小狡さ)を備えていて、しかもその自覚があるまま鈍感を装ってそれなりに突っ走ってきちゃった人って、(性別に関係なく)けっこう脆いような気もします。でっ、うろたえ始めると「この私がうろたえている!」みたいにパニック...だからやさしくしてあげましょうよ。頬にキスしたり、ご機嫌伺いしてあげたり、Have a nice day! って元気づけてあげたり。
セックスを求められない高級娼婦なんて、クビまちがいなし。転職して半年で干されたと思っていたら、それどころか、その秋からかずみの報酬は倍に上がった。
そのかわり、フィンランド人実業家Pはカズミともっと経済の話をしたいので、「最低でもエコノミストとファイナンシャル・タイムズ、そのほかにもう一種類、アメリカの経済紙誌に目を通すことが望ましい」とダビーナから学習勧告が舞い込んだ。ちなみに、かずみがPとEの双方から最高得点を得た項目は「会話力」「ユーモアのセンス」で、「広い好奇心。とりわけ人間への興味と洞察が深い」との評価を得た。和装ができることも高ポイントだった。ただ、Pからは、「寝起きが悪く、午前中を効率的に使えない」とお目玉も食らっていた。
とにかくそんな事情で、かずみはもう、あの、ビジネス街でも繁華街でも住宅地でもない東京の真空スポットの緑道をたどり、米原がいれた挽き立てのコーヒーを真っ赤なカップで飲むことはなくなったのである。
かずみはにわかに多忙となり、Pが日本滞在用に借りている恵比寿のマンションや札幌のホテルに滞在したり、Eが仕事でヨーロッパやアメリカを訪れる際に同伴したりすることが増えた。
ただ,彼女は一度だけ米原を思い出した。札幌滞在中、ベッドでPが見慣れない遊び道具と変な匂いのローションを使ったせいでかゆみが起き、米原に診てもらうことを考えた。しかし、まもなくその症状がおさまるにつれ、忘れてしまった。
翌年の六月半ばのことだった。ブラジル人音楽家Eがアメリカとカナダで講演とワークショップを行なうツアーに同行中、Eの妻が心臓病で倒れたとの知らせが入り、Eはツアーを返上してサンパウロにもどることとなった。その報告や、単独行動になってからの経費の件でスイスのダビーナにメールを送ると、返信の最後に、単発アカウントの打診があった。
「売れっ子のカズミへ!
あのフィンランドの屠殺王は、九月まで日本を訪れない。イレギュラーの仕事を入れる気はないですか?
ロンドンのミスターLを覚えている? 彼はいまトーキョーに滞在中でまもなくロンドンへもどるが、三日間以上のホームステイはどう?
さらにそのあとは、ミスターLのご友人が、〝チェーン・オブ・フールズ〟をご所望。スペインへの長旅になるとのことで、期限は決まっていません。
あなたがもうピルを飲んでいないことは承知のうえでの打診ですが、アジアのインテリは総じてお行儀がよいので、問題ないのでは? 可能ですか?」
ウィッチンケア第5号「よき日にせよとひとは言う」(P230〜P241)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
vol.5寄稿者&作品紹介33 岩崎眞美子さん
つい最近はポール・マッカートニーの公園中止なんてことがありましたが(私の財布にはいまも5/18のチケットが入っていますが)、岩崎眞美子さんと私は1996年に「The Blue Nileの来日公演中止くらった」仲間でして、あれは残念だったなぁ。The Blue Nileについては、じつは昨年さらに高橋宏文さんとも「Paul Buchananの来日公演中止くらった」仲間になりまして...同じポールでも2分の1の確率で観られるマッカートニーさんは、優等生。
「和ごよみで楽しむ四季暮らし」等の著書がある岩崎さんは、音楽/映画をはじめ幅広い分野でライターとして活躍しています。自身の金縛りや幽体離脱体験をもとに、身体と意識のリズムを「波」になぞらえて考察した寄稿作「波のリズム〜心地よい死へのレッスン〜」は...これを読めば死ぬことが恐くなくなる!?
しかし岩崎さんがそんなに何度も金縛りを体験していただなんて...しかもうまく波に乗って<エクスタシーと言っても良いような感覚>を得る!? 私は根っからの幸せ者なのか、縛られ始めるとなんとなく「おっ、オレはいま夢を見てるんだな、これは夢だ」という意識が夢に混ざり始めて「どうぞ煮るなり焼くなりご自由に」と夢の進行に委ねてしまうことが多く(幽体離脱ならぬ幽体放置プレイ)、しかも目覚めるとだいたい忘れていて、頭のなかはすでに朝ごはんのことで一杯という。。。
作品の最後あたりの<睡眠を、日々訪れる短い「死」のレッスンのようなものと考えれば>という一節が、なんとも後髪を引きます。...そうか、今日からきちんと机を上を片付けて寝よう。そして思い出したのは、過去に数回経験した全身麻酔(ここ数年でも3回...)のこと。なんというか、強制終了で一時的に“殺されちゃう”わけでして、ほぼ無事帰還できると思いながら同意書にサインして“逝く”わけですが(「麻酔入れます」と言われるとがんばっても数秒でホワイトアウト)、でも心のどこかに「もう帰ってこないかもしれないし」というワクワク感が宿っているのは、私の性格の問題!? さらに麻酔の切れた病室で、痛みというバッドトリップに呼び起こされると、「生きてやがんの」みたいな、ほんのり残念な「生の充実感」も味わえたりして...不謹慎。
以来、私は金縛りが来るのを密かに楽しみにするようになった。金縛りの「波」は1、2回、多いときなら、5、6回は連続して起こる。その波と波の合間のタイミングで体を動かすと、奇妙な身体感覚が味わえるのだ。また、苦しいものと決めつけていた金縛りも、「波」が来たときに恐れて避けようとせずに、体をリラックスさせて受け入れると、実に心地良い、エクスタシーと言っても良いような感覚を得ることができるのだ。自分と世界を分ける境界線がなくなり、心身の感受性が無限大に敏感に、広がっていく感じ……。
この感覚は何なのか。大学時代、当時流行していたジョン・C・リリーやティモシー・リアリーなどサイケデリクスや変性意識の本、脳科学本などを読みあさったが、そこに書いてあることと金縛り時の自分の脳で起こっていることは同じなのではないかと直感した。その後、旅行先のオランダで、当時はまだ違法ではなかったマジックマッシュルームも食べてみた。その時一番に思ったのは「ああ、私はこれ、キノコ食べなくても自分の体だけでできる!」であった。
何を突拍子もないことを言ってるんだか。と自分でも思うが、少し整理したい。例えば睡眠時の脳は、いわば「現実はこうである」というタガが外れた状態だ。当然、その脳が見せる夢も奇想天外な内容になることが多いし、それをコントロールもできない(夢を夢と自覚する「明晰夢」ではそれも能)。しかし入眠時の脳は、タガはすでに外れているにもかかわらず、かろうじて意識でそれをコントロールできる状態なのである。
ドラッグ体験では「バッドトリップ」と「グッドトリップ」があるというが、金縛りもそれと同じだ。つまり脳のタガがはずれて、肉体との連携がうまくいかなくなったとき「怖い!」「苦しい!」と思えばそのモードが拡張されますます苦しくなる(金縛り)。しかしかろうじて残る意識を自分でうまくコントロールし、リラックスしてその波を受け入れれば、非常に心地良く多幸感に満ちた状態に自分を持っていくことが可能なのだ。
ウィッチンケア第5号「波のリズム〜心地よい死へのレッスン〜」(P224〜P228)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
「和ごよみで楽しむ四季暮らし」等の著書がある岩崎さんは、音楽/映画をはじめ幅広い分野でライターとして活躍しています。自身の金縛りや幽体離脱体験をもとに、身体と意識のリズムを「波」になぞらえて考察した寄稿作「波のリズム〜心地よい死へのレッスン〜」は...これを読めば死ぬことが恐くなくなる!?
しかし岩崎さんがそんなに何度も金縛りを体験していただなんて...しかもうまく波に乗って<エクスタシーと言っても良いような感覚>を得る!? 私は根っからの幸せ者なのか、縛られ始めるとなんとなく「おっ、オレはいま夢を見てるんだな、これは夢だ」という意識が夢に混ざり始めて「どうぞ煮るなり焼くなりご自由に」と夢の進行に委ねてしまうことが多く(幽体離脱ならぬ幽体放置プレイ)、しかも目覚めるとだいたい忘れていて、頭のなかはすでに朝ごはんのことで一杯という。。。
作品の最後あたりの<睡眠を、日々訪れる短い「死」のレッスンのようなものと考えれば>という一節が、なんとも後髪を引きます。...そうか、今日からきちんと机を上を片付けて寝よう。そして思い出したのは、過去に数回経験した全身麻酔(ここ数年でも3回...)のこと。なんというか、強制終了で一時的に“殺されちゃう”わけでして、ほぼ無事帰還できると思いながら同意書にサインして“逝く”わけですが(「麻酔入れます」と言われるとがんばっても数秒でホワイトアウト)、でも心のどこかに「もう帰ってこないかもしれないし」というワクワク感が宿っているのは、私の性格の問題!? さらに麻酔の切れた病室で、痛みというバッドトリップに呼び起こされると、「生きてやがんの」みたいな、ほんのり残念な「生の充実感」も味わえたりして...不謹慎。
以来、私は金縛りが来るのを密かに楽しみにするようになった。金縛りの「波」は1、2回、多いときなら、5、6回は連続して起こる。その波と波の合間のタイミングで体を動かすと、奇妙な身体感覚が味わえるのだ。また、苦しいものと決めつけていた金縛りも、「波」が来たときに恐れて避けようとせずに、体をリラックスさせて受け入れると、実に心地良い、エクスタシーと言っても良いような感覚を得ることができるのだ。自分と世界を分ける境界線がなくなり、心身の感受性が無限大に敏感に、広がっていく感じ……。
この感覚は何なのか。大学時代、当時流行していたジョン・C・リリーやティモシー・リアリーなどサイケデリクスや変性意識の本、脳科学本などを読みあさったが、そこに書いてあることと金縛り時の自分の脳で起こっていることは同じなのではないかと直感した。その後、旅行先のオランダで、当時はまだ違法ではなかったマジックマッシュルームも食べてみた。その時一番に思ったのは「ああ、私はこれ、キノコ食べなくても自分の体だけでできる!」であった。
何を突拍子もないことを言ってるんだか。と自分でも思うが、少し整理したい。例えば睡眠時の脳は、いわば「現実はこうである」というタガが外れた状態だ。当然、その脳が見せる夢も奇想天外な内容になることが多いし、それをコントロールもできない(夢を夢と自覚する「明晰夢」ではそれも能)。しかし入眠時の脳は、タガはすでに外れているにもかかわらず、かろうじて意識でそれをコントロールできる状態なのである。
ドラッグ体験では「バッドトリップ」と「グッドトリップ」があるというが、金縛りもそれと同じだ。つまり脳のタガがはずれて、肉体との連携がうまくいかなくなったとき「怖い!」「苦しい!」と思えばそのモードが拡張されますます苦しくなる(金縛り)。しかしかろうじて残る意識を自分でうまくコントロールし、リラックスしてその波を受け入れれば、非常に心地良く多幸感に満ちた状態に自分を持っていくことが可能なのだ。
ウィッチンケア第5号「波のリズム〜心地よい死へのレッスン〜」(P224〜P228)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
vol.5寄稿者&作品紹介32 東間嶺さん
「《辺境》の記憶」の寄稿者・東間嶺さんとは、第4号寄稿者・橋本浩さんを介して知り合いました。東間さんはウェブ・オピニオン空間「En-Soph」の編集管理人。ネット上でも積極的に発言していますが、じつは私は、東間さんが「言論の箸休め」的にアップする料理関連のツイートとか、けっこうファン。同年代の寄稿者・辻本力さんとどっちの料理ショー(古!)みたいなことやったら、すごい高レベルだと思います。
東間さんは作品内で「決定的な経験」として<自分が世界を表現するに足る特別な《メディウム/媒介》として、《ことば》という手段をはっきりと意識化、対象化し得たということ>と書き表していまして、なかなかスタイリッシュな文体なのですが、これはざっくり言い換えると「オレのブルースはやっぱりストーンズでギター弾くことなのさ、ロックンロール!」(By キース・リチャーズ/もちろん私の創作発言)、みたいなニュアンスなのでしょうか。。。
そして作品の冒頭に登場する<書き終えられた二万七千字弱の小説>...これは戸籍名義で「多摩美文學」(青野聡教授退官記念号/2014年3月20日発行)に納められた「≠ ストーリーズ」という作品。小誌掲載作と併せ読むと、東間さんの《ことば》や文章、そして「書くこと」への繊細な意識がより伝わってきます。1957年のハバナを舞台に始まる《〈史実〉ではない革命をめぐるクライム・ノヴェル》はめぐりめぐって新宿の喫茶室ルノアールや金井美恵子の皮肉へと回収...いや全然回収はされていないか...でもこの物語が断念されなければ、<きっと、そう、そういうことだ>と最後につぶやいた男もまた、さらにメタな物語の一部になっていくのかな? 作品内に登場した「文学的浣腸(仮)」という言葉が、妙に心に残りました。
《ことば》についてはそれほどむかしでもないむかしに「ちぇっ」と思ったことがあってそれは「ものごころつくまえに自分で言語が選べたらよかったのに」ということででもそれはべつに「英語が選べたらもっと国際人になれたのに」みたいな意味ではなく、私(←とりあえず便宜上)が私について書いたり喋ったりするさいにはすでに借り物である「私」かそのバリエーションである「僕」「オレ」「あっし」などしか選択肢がないとあらためて気づいたということで...まあ人間はいつどこで生まれて死ぬかも自分で選べないからそれでがんばるしかないんですが(このへんのことはきちんと書物になっていて、きっと私が知らないだけ)。
それはちょうど院生になった時期で、まずまずの手応えとそれなりの成績評価を得た卒業制作を元にしたギャラリー展示も決まっていたのだけど、同時に、それまでの在学中、しばしば指導教官たちからの講評で「作品より、きみ自身の考えとか発言とかふるまいの方が面白いよね」とか「言ってること、考えてることと、実際作ってるものとのあいだにズレというか、距離があるという印象なんだよね」などと、「要するにお前の作品ってなんかつまらないよね」と言われていたことの内容が、どうもかなりクリティカルな指摘なのではないか、と自分でも薄々思いはじめていた時期でもあった。
当時のわたしは鉄や木や皮布の箱に入った手のひらサイズのミニチュア絵画を、当時の恋人(多摩美生)の献身とやりがいと労働力を吸い取りながら二人でせっせと作っていたのだけど、そうやってアウトプットした《もの》と自分とのあいだに横たわる違和感というか、不自然さみたいなものはだんだんと増すばかりだった。作った《もの》に対して、どうしても言葉を費やすことを止められない。これはああでこうで、こうでああなんですよ、というエクスキューズがどうしても止められない。なら、最初から、これはああでこうで、こうでああなんですよ、と言うだけでオッケーなのではないか?
そんなとき思い立ってゼミへと参加し、《ことば》だけを対象化した《ことば》が飛び交う空間で、《ことば》によって自分を語り、世界を描き、彫塑し、物語することへ次第に熱中していった結果、二年経って院を出るころには鉄や木や皮布の箱に入ったミニチェアたちはアトリエの隅で冷温停止状態に置かれ、わたしは代わりにせっせと楽しく小説を書くようになっており、さらにゼミの発行する冊子の編集責任者までしていて、ついでに恋人からは縁を切られていた。
ウィッチンケア第5号「《辺境》の記憶」(P218〜P223)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
東間さんは作品内で「決定的な経験」として<自分が世界を表現するに足る特別な《メディウム/媒介》として、《ことば》という手段をはっきりと意識化、対象化し得たということ>と書き表していまして、なかなかスタイリッシュな文体なのですが、これはざっくり言い換えると「オレのブルースはやっぱりストーンズでギター弾くことなのさ、ロックンロール!」(By キース・リチャーズ/もちろん私の創作発言)、みたいなニュアンスなのでしょうか。。。
そして作品の冒頭に登場する<書き終えられた二万七千字弱の小説>...これは戸籍名義で「多摩美文學」(青野聡教授退官記念号/2014年3月20日発行)に納められた「≠ ストーリーズ」という作品。小誌掲載作と併せ読むと、東間さんの《ことば》や文章、そして「書くこと」への繊細な意識がより伝わってきます。1957年のハバナを舞台に始まる《〈史実〉ではない革命をめぐるクライム・ノヴェル》はめぐりめぐって新宿の喫茶室ルノアールや金井美恵子の皮肉へと回収...いや全然回収はされていないか...でもこの物語が断念されなければ、<きっと、そう、そういうことだ>と最後につぶやいた男もまた、さらにメタな物語の一部になっていくのかな? 作品内に登場した「文学的浣腸(仮)」という言葉が、妙に心に残りました。
《ことば》についてはそれほどむかしでもないむかしに「ちぇっ」と思ったことがあってそれは「ものごころつくまえに自分で言語が選べたらよかったのに」ということででもそれはべつに「英語が選べたらもっと国際人になれたのに」みたいな意味ではなく、私(←とりあえず便宜上)が私について書いたり喋ったりするさいにはすでに借り物である「私」かそのバリエーションである「僕」「オレ」「あっし」などしか選択肢がないとあらためて気づいたということで...まあ人間はいつどこで生まれて死ぬかも自分で選べないからそれでがんばるしかないんですが(このへんのことはきちんと書物になっていて、きっと私が知らないだけ)。
それはちょうど院生になった時期で、まずまずの手応えとそれなりの成績評価を得た卒業制作を元にしたギャラリー展示も決まっていたのだけど、同時に、それまでの在学中、しばしば指導教官たちからの講評で「作品より、きみ自身の考えとか発言とかふるまいの方が面白いよね」とか「言ってること、考えてることと、実際作ってるものとのあいだにズレというか、距離があるという印象なんだよね」などと、「要するにお前の作品ってなんかつまらないよね」と言われていたことの内容が、どうもかなりクリティカルな指摘なのではないか、と自分でも薄々思いはじめていた時期でもあった。
当時のわたしは鉄や木や皮布の箱に入った手のひらサイズのミニチュア絵画を、当時の恋人(多摩美生)の献身とやりがいと労働力を吸い取りながら二人でせっせと作っていたのだけど、そうやってアウトプットした《もの》と自分とのあいだに横たわる違和感というか、不自然さみたいなものはだんだんと増すばかりだった。作った《もの》に対して、どうしても言葉を費やすことを止められない。これはああでこうで、こうでああなんですよ、というエクスキューズがどうしても止められない。なら、最初から、これはああでこうで、こうでああなんですよ、と言うだけでオッケーなのではないか?
そんなとき思い立ってゼミへと参加し、《ことば》だけを対象化した《ことば》が飛び交う空間で、《ことば》によって自分を語り、世界を描き、彫塑し、物語することへ次第に熱中していった結果、二年経って院を出るころには鉄や木や皮布の箱に入ったミニチェアたちはアトリエの隅で冷温停止状態に置かれ、わたしは代わりにせっせと楽しく小説を書くようになっており、さらにゼミの発行する冊子の編集責任者までしていて、ついでに恋人からは縁を切られていた。
ウィッチンケア第5号「《辺境》の記憶」(P218〜P223)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/80146586204/witchenkare-5-2014-4-1
Vol.16 Coming! 20260401
- yoichijerry
- yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare
