今年で7回目の「きちゃった」なんですけれども、最近はどうなの?
やっぱり、きたか。嬉しいんだけど、でもさすがに令和4年の世情だと、こーゆーアポなし行為はどうなんだろう〜。って去年も同じようなこと書いた記憶があるんだけれども、まあウィッチンケアの最新号を持ってきてくれたんだから、ありがたくいただきますよ。
「なんだかまた総理大臣が替わって、戦争も始まっちゃって、今日の東京の感染者数は先週より3000人も増えて...でも今年も桜は咲いて」
「まったく、びっくりだよね。まさか21世紀が四半世紀経つって時期に、市街戦の映像を見るなんて。それにしてもウィッチンケアは今年で第12号? 2010年4月1日創刊だから、けっこう長く続いてるんだね」
「今号もすでに、取次さんを介して書店さんに配本済み。さらに、今号からは独立系の本屋さんとの直取引が増えて、ずいぶん手に入れやすくなってるはずなんだ」
「営業、頑張ってるんだね。オレ、根っからの編集者体質だから、校了したらもう次号のこと考えてるけど」
「次、第13号だよ。なんか、13って数字にふさわしいのをつくりたい気も...って、まずは第12号をしっかり読者に届けなきゃ。それが私の使命。だから、隅から隅までちゃんと読んでね。読まなかったら殺しにくるからね」
「その『殺す』ってのも、いまの時代どうなの? でも、まあわかった。ちゃんと読みます」
いつものように彼女は去った。僕はウィッチンケア第12号をじっくり読み始める。
表紙の雰囲気、がらりと変わった。ロゴ、そしてエディトリアル面での変化は新たに今号を手がけたデザイナー・太田明日香の、余白を活かした美意識に支えられている。これまで扉ページにあった写真は目次の後に配され、クレジットは「写真 白山静」と。NIKONが主宰する《NICO STOP》で「青の写真家」と評されている、1998年生まれの白山静を起用するとは、この本の編集者はいったいいくつなんだろう。そして前々号まであった「すすめ、インディーズ文芸創作誌!」っていうキャッチフレーズはまたもやなく、これはきっと「インディーズ」とか「オルタナティヴ」とかみたいな、「○○に対する」的な〈誌としての姿勢〉からは完全に方向転換をした証左なのかもしれない。
〈もくじ〉は前号では〈目次〉と漢字だったが、だが、その変化よりも驚くのは寄稿者数。42の人名が2段組みの同じ大きさで並び、各名前の下に掲載作品のタイトル。作品名より人の名前が上なのは、創刊以来変わっていないが、しかし前号(32名)より10名増...編集者はこのコロナ禍、いったいどこで新たな人と知り合ったのだろうか。
今号のトップはトミヤマユキコ。つい最近元TBSの女性アナウンサーがいわゆる「スピ」がらみでネット案件だが(...心配)この一篇の「スピり」とはどんなものなのだろう。続いての矢野利裕は評論と言うよりエッセイに近い語り口で「シン・エヴァンゲリオン劇場版」にも言及している。ふくだりょうこはこれまでと違いSF的な未来小説を発表した。武田徹はマンディアルグの小説がらみで意外な一面を披露。初寄稿の長井優希乃はあっこゴリラ、三原勇希との共著「令和GALSの社会学」でも語られていたマラウイでの体験記を。カツセマサヒコの小説には男友達同士の微妙な心理が描かれている(「往路」はカローラクロス特設サイトで読めます)。インベカヲリ★は希死念慮についての極私的な考察と自身の変化について。木村重樹は自動車旅行にいまはなき友人たちとの思い出を絡めた一篇を。姫乃たまは穏やかな夫婦生活にふと訪れた翳りを繊細な筆致で。マサチューセッツからの初寄稿者ジェレミー・ウールズィーはPMC(アメリカの知的職業階級)についての考察を。自由律俳句ユニット「ひだりききクラブ」を出雲にっきとともに主宰する初寄稿のすずめ園はこれまで黙していた過去について初めて語った。武田砂鉄の疑似インタビューでは聞き手の素性がついに明らかに。初寄稿の青柳菜摘は自身が関わる書店での実験的な試みとその幽玄な波紋について。長谷川町蔵の今作は東京都町田市から離れ成田さらにフランスへと。初寄稿のスイスイは女友達同士の深淵でエターナルな友情小説を。仲俣暁生はひとり暮らしと母親の本についての思い出を綴った。初寄稿の蜂本みさは田んぼアートをめぐる青春小説を。柳瀬博一は小さな町にある個性的な書店についての一篇。野村佑香は機知に富んだコロナ禍での家庭生活を振り返る。長谷川裕は愛犬ルークと散歩しながら近隣の町の歴史を探る。美馬亜貴子はいわゆる「推し」について語句解説も交えて小説化。発行人多田洋一の今作は、これは“時代小説”だとの先入観で読んで欲しい。初寄稿のはましゃかはマルチな才能を発揮したハードボイルドテイストな小説を。やはり初寄稿の武藤充は甲賀武田家に連なる武藤家四五〇年の歴史を町田の変遷とともに語る。宇野津暢子は友人の市会議員立候補での戦いを記録として残す。柴那典はデジタル技術の発達がもたらす未来を独自の視点で分析。初寄稿の山本莉会は旧仮名遣いを交えて芥川龍之介を現代に降臨させた。宮崎智之は現実と妄想が交錯したかのような物書きが登場する掌編小説を。久山めぐみは佐藤寿保監督の映画作品を壁に注目して読み解く。吉田亮人は単著上梓を機とした「書くこと」についての思いを言葉にした。藤森陽子は愛着のある甘味処からジェンダーフリーについても思いを馳せる。中野純は大好きなセミについての偏愛ぶりを露わにした。かとうちあきはアベノマスクへの思いも交えた恋愛小説を。荻原魚雷は自身と将棋とのこども時代からの関係性についての一篇。東間嶺は今回は小説ではなく戯曲でネット時代の闇を描く。我妻俊樹は独自な語り口での動物園についての奇譚。久保憲司は関西弁を駆使してデヴィッド・ボウイやアンディ・ウォーホルも登場する小説を。ナカムラクニオは岡倉天心との妄想インタビューを創作した。清水伸宏はメタバースの時代だからこそリアルに感じられる小説を。朝井麻由美はさりげない筆致でメディア業界の旧態依然とした体質を一刺し。谷亜ヒロコはかつて大好きだったテレビに愛を込めて決別宣言か。小川たまかの一篇は今号のトリにふさわしい「女優」についての物語。
42篇の書き下ろし後に、今号に関わった人のVOICEを掲載。その後にバックナンバー(創刊号~第11号)を紹介。新たにQRコードをつけたのでWitchenkare STOREでその場で購入できるとは、世の中便利になったものだ。……こんなに読み応えのある本が、じつは少し値上げして(本体:1,500円+税)でして、みなさまごめんなさい。小誌を続けていくためのこととご理解くだされば嬉しく存じます。
それで、今回もまた繰り返すしかないのだが「ウィッチンケア」とは、なんともややこしい名前の本だ。とくに「ィ」と「ッ」が小文字なのは、書き間違いやすく検索などでも一苦労だろう。<ウッチンケア><ウイッチンケア><ウッチン・ケア>...まあ、漫才のサンドウィッチマンも<サンドイッチマン>ってよく書かれていそうだし、そもそも発刊時に「いままでなかった言葉の誌名にしよう」と思い立った発行人のせいなのだから...初志貫徹しかないだろう。「名前変えたら?」というアドバイスは、ありがたく「聞くだけ」にしておけばよい。
そしてそもそも「ウィッチンケア」とは「Kitchenware」の「k」と「W」を入れ替えたものなのだが、そのキッチンウェアはプリファブ・スプラウトが初めてアルバムを出した「Kitchenware Record」に由来する、と。やはりこのことは重ねて述べておきたい、とだんだん話が袋小路に陥ってきた(というか、いつも同じ)なので、このへんにて。