2012/05/17

vol.3寄稿者紹介09(浅生ハルミンさん)

会社員だった父親の都合でこどものころに転校を繰り返した私には、いわゆる故郷とか原風景とかいった、瞼の裏に貼りついているようなデフォルトの“絵”が希薄です。敢えて探せばいま実家のある町田市なんだけれど、でも中学卒業までに仙台3年、福岡4年とか住んじゃったから、なんか、歪んでる。東京の新興住宅地なのに軒先のつららと庭のかまくら、土曜の午後は吉本新喜劇でラーメンはとんこつ...。あっ、高校まで三重県津市で過ごした浅生ハルミンさんが文章で描くこどものころの景色はいつもピントが合っています。しかし、堤防がよく出てくるなぁ。

ウィッチンケアvol.2に掲載した浅生さんの「ひそかなリボン」は、都会でひとり暮らしする大人の女性の物語。ファンならぜひ「三時のわたし」と謎解き(いや謎増し?)的に併せ読んでほしい力作小説でしたが、今回の寄稿作品でもまたそこかしこに「えっ!?」みたいな箇所が...。きっと通常の仕事から離れて自由で新しい創作を楽しんでくれた結果だと思います。そうであれば発行人として本望でありますし、さらに望むのは、小誌vol.1〜3掲載作品が放つ魅力に新たな発見者が現れること。

エッセイなのか小説なのかよくわからないスタイルで綴られた浅生さんの新作「あの子」。だがこの作品もまた昨年(2011年)「すばる」5月号掲載の「記憶をなくす」と併読してみれば浅生文学の原風景が鮮やかに浮かび上がってくる重要作品...しかし、少女の友情が描かれているのにじわりとムズムズした気分に惑わされるのは、私の読みかたになにか問題があるのか? 今度教えてください、浅生ハルミンさん!


  家の外で遊ぶときには、「自動販売機遊び」を考えてきた。江藤さんの家の前は自転車とひとがやっとすれ違えるくらいの細い路地で、おとなになってから歩いてみると、本当に狭いので驚いてしまったという、まあありふれた路地だ。
 長屋はその頃からして軒並み古びている。杉板の塀には節穴がたくさん開いていて、ある日、江藤さんはその穴に注目した。
「あのな、ここに十円入れると、五十円になって下から出てくるよ。入れてみ」。いいことを教えてあげるというふうに自信満々である。「ちょっと待って」と、わたしは駆けて家までもどって、おばあさんにねだった十円を、すごいな、そんな仕組みになってんだと感動しながら節穴の中に落とした。「チャリン」とコンクリの上に落ちた音がして、そのあと「シーン」となった。江藤さんは「ちゃんと入れた? あれ?出てこない。ちょっと聞いてくるわ」といいながら、塀の向こうへ隠れて、それきり帰ってこなかった。勉強になった。

 その頃、わたしは初めて新幹線に乗り、初めてカラーテレビを観た。こんな田舎町の街路にも、缶ジュースの自動販売機があらわれたりした。いつも町内のどこかでアスファルトの舗装工事をしていて、家の前のどぶは覆われて、きれいになった。傘だって自分で開かなくても、ボタンを押すだけでパッと開けばよくなった。身の回りのことが、またたくまに便利になってゆくのが子どもにも感じられた。こんなふうに、これからわたしたちの未来は、どんなことだって便利になってゆくしかないように輝いていたのだから、十円が五十円になるのだって信じてしまいますよ。

 杉板の路地では、通りがかりのカメラマンとの接し方も勉強した、もちろん江藤さんから。そこは石垣の上にコールタールを塗りたくった漆黒の板塀が張り巡らされて、風情がなくはない路地だった。石垣の途中の、階段になっているところでふたり腰掛けて、いっぽんのアイスキャンディーを交互に舐めていると、首からカメラをぶらさげた元気のない男のひとが「写真撮ってもいい?」と近寄ってきた。江藤さんは「いやや」と言った。男は「そうか」と残念そうに言って、遠ざかっていった。江藤さんが言うには、「いいよって言ったら、えらい目に遭う。連れていかれて、エックスされる」のだそうだ。エックスというのは、男と女が裸んぼうでアルファベットのXの形になることだそうだ。


Witchenkare vol.3「あの子」(P064〜P073)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508



Vol.8 Coming! 20170401

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