ライターとして着実なキャリアをこなしてきたやまきひろみさんは、個人的な小説を書くことで、心に秘めているなにがしかの感情を注意深く解いているのかもしれません。それはウィッチンケア vol.2掲載作「ふたがあくまで」でも感じたことで、煎じ詰めれば「人になにかを伝えたい」ということなのだと推察しますが、しかし自分の思っていることを言葉にすることと、それが人に伝わることはまったくの別問題でして。感情にまかせて思いの丈をぶちまけてさらに「なんでオレのことわかってくれないんだ!?」とか、そういうのはぶっちゃけじゃなくてただの馬鹿。
福島県出身のやまきさんにとって、あのできごとは私なんぞの想像を遥かに超えて自分の一部です。それでも寄稿作品「小さな亡骸」はあのできごとについて書かれたものではなく、たぶん、「伝えられなかった」ことに区切りをつけるための物語。「それってつまり三角関係の縺れじゃん」ってな言説にびくともしない、静謐で強い作品ですね、やまきひろみさん!
あれから三十年以上たった今、そんなことであそこまで頑なになった自分の小ささを私は恥じている。しかし当時の私はあいつに対しても百合子に対しても心を閉ざした。あいつがどんなに話そうとしてきても徹底的に無視した。さらにこれは意図せぬことだったが高校三年になる春に家の事情で私は東京に引っ越すことになり、あいつとも百合子とも二度と顔を合わせることはなくなった。
恵子は東京の私に時々手紙を送ってくれた。高校卒業後、あいつは地元の原子力発電所の関連会社に就職し、その四年後に百合子と結婚した。そういうこともすべて恵子が手紙で教えてくれた。
よかったな、とあいつのことを思った。東京で新しい生活を始めた自分には、生まれ育った町のこともあいつのことも初恋のこともすでに遠い記憶の中にあり、そこに懐かしさや置いてきた何かに対する感傷めいたものを見いだすことはもはやなくなっていた。
恵子は東京の私に時々手紙を送ってくれた。高校卒業後、あいつは地元の原子力発電所の関連会社に就職し、その四年後に百合子と結婚した。そういうこともすべて恵子が手紙で教えてくれた。
よかったな、とあいつのことを思った。東京で新しい生活を始めた自分には、生まれ育った町のこともあいつのことも初恋のこともすでに遠い記憶の中にあり、そこに懐かしさや置いてきた何かに対する感傷めいたものを見いだすことはもはやなくなっていた。
なにもかも忘れたつもりでいた。しかし忘れたわけではなかった。
Witchenkare vol.3「小さな亡骸」(P140〜P147)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508