2017/05/01

vol.8寄稿者&作品紹介01 開沼博さん

今号で4回目となる開沼博さんの寄稿作は、「書くこと」についての、個人的な思いから始まっています。いまから10年ほど前、大学生だった開沼さんが<メディアの向こう側に接近したい>という焦燥感を抱え、さまざまな活動をしていたこと。その過程で、いわゆる「電通過労死事件」で一昨年亡くなった高橋まつりさんにも出会っていたことetc.。ご自身が体験した(=ゼロ年代に見てきた)ことを記録しておく、という抑制の効いた筆致ですが、私には開沼さんの感情の揺れも伝わってくる一篇でした。

開沼さんと初めて会ったのは2013年で、すぐに当時最新刊だった『漂泊される社会』を読みました。小誌での連作は、同書の流れの一端...社会学者・開沼博氏のフィールドワークの補助線的(辺境的!?)なポジションにあるように思えまして、備忘録のように書き留められてきたいくつかの事象が、いずれまとまったかたちで検証されることを願っています。...しっかし、ポストゼロ年代がもう7割がた過ぎ去っているなんて、あらためて振り返ってみて、びっくり。

今作で開沼さんは<いまからゼロ年代を振りかえれば、メディア環境が急速に変化した時期だったことを実感する>と書いていまして、いまだに紙媒体のみの発行人である私は、たとえば電車のなかで体感だと半分くらいの人がスマホとにらめっこしている状況(本や雑誌を読んでる人は数%? 新聞を上手に折りたたんで読んでる人なんてほとんど見かけない...)をどう捉えればいいのか、と悩むわけですが...しかし自分も当然スマホを使っているので、実感としては「飛び交っている話題って、じつはテレビや新聞や一部週刊誌経由のものが多いんじゃないの」という思いもあり...そこを自分なりに詰めていくと、作品内に記された<最近は「世間の社会問題」ばかりが目に入る。「社会問題になるべきなのに何でなっていないのか」というものが見えなくなってきているように感じる>という開沼さんの一文に通じる感覚のようにも思えました。

もうひとつ。今作では開沼さんが見てきた<経済構造と生活のあり方>の変化についても、いくつかのエピソードが紹介されています。とくに<シェアハウスの経営をはじめたばかりの知人>にまつわる、「居場所」についての話は印象的。ぜひ小誌を手にとって、読んでいただきたいと思います。



(前略〜)2016年に話題になった電通過労死事件の被害者である高橋まつりさんに会った時も「同類だな」と感じたのを覚えている。東大の新入生をインタビューするテレビ番組に偶然映った高橋さんは「『週刊朝日』が好き」という、ちょっと変わった趣味を持つ女子東大生として取り上げられていた。それを見た週刊朝日の編集者が「探してくれないか、飲み会しよう」と連絡をしてきた。高橋さんが〝起業サークルに入ろうと思っている〟と言っていたからだったと思う。「all-todai」での活動を続ける中、ミス・ミスター東大コンテストなどを主催する広告研究会や起業サークルとのつながりがあったので、開沼に連絡すればなんとかなるだろうと連絡してきたのだった。
 銀座周辺で、デスク・記者数名と、学生も高橋さんの他に何人かが来て行われた飲み会では、高橋さんが「エッセイの連載に他の雑誌にはない魅力があり、政治・事件の記事も切り口がいい」などと週刊朝日ファンであることを話していた。その年の7月には週刊朝日のアシスタントとして同雑誌のUstreamの番組に出たりして、活躍するようになった。
 事件の後、あの時の飲み会にいた当時のデスクが高橋さんのことを語っているのを見た。名前に聞き覚えがあって、携帯電話のアドレスリスト帳を見たらやはりあの高橋さんだった。

ウィッチンケア第8号「ゼロ年代に見てきた風景 パート4」(P004〜P009)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

開沼博さん小誌バックナンバー掲載作品
ゼロ年代に見てきた風景 パート1」(第5号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(第6号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート3」(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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