野上郁哉さんとは音楽っぽいカフェでお茶を飲みながら打ち合わせをしました。
野上さんとは昨年の秋に「ミニコミが語り合う会」(現在は「リトルプレスの会」)の集いで知り合いました。同会の金安顕一さん(中南米マガジン)、渡瀬基樹さん(漫画批評)から、まだ1号ぽっきりしか発行していなかったウィツチンケアも「参加しませんか?」と誘っていただきまして、それで、丸腰で出かけた宴の席で出会いました...会ってすぐ、音楽話。あっというまに時間が経ってました。
野上さんは「Oar」(おあー、と発音)という音楽雑誌の編集長。事前に同誌のブログを覗くと、これ、いったいどんな人がつくってるの〜!? な異国感が芬芬でして(正直、私は頭にターバンを巻いた150キロの巨漢編集長をイメージしてた、外国人であってもダズントマター)、それなのに、目の前に現れた男はまだ少年の気配を残す、スリムな青年でありまして...あっ、ここで正体を明かしてはいけないのかな? ブログのプロフィール欄には、「現在は某大学の大学院でスーフィズム(イスラーム神秘主義)の研究をしているとか、いないとか。」と記されています。
相手が音楽好きだとわかると俄然張り切っちゃう私は後日、こちらから野上さんに連絡して再会しました。寄稿依頼のはずが、また音楽話〜CDの貸し借りにCD-R送付、という展開...。そして時は流れてWitchenkare vol.2の締め切り日、届いた原稿はまさに野上さんらしいものでした。「野上さんらしい」とは、詩的リズムの文体がすでに確立しているというか、他者が真似したり手を入れたりしにくいというか...ええと、もっとわかりやすくたとえますと、たとえばビートルズの「Happiness is a warm gun」の後半にたたみかけるあの感じは、まあ、ポリリズムみたいな分析もできるのでしょうが、でもやっぱり「ジョン・レノンの曲だよね〜」と丸かじりしちゃうのが一番しっくりくるという...って、全然わかりやすくないじゃん!
野上さんが寄稿してくれた「天使になんてなれなかった。」は自伝的エッセイとでも言いましょうか...。「僕のこと、あんまり褒めないでくださいよ」と代々木公園での花見で会ったさいにも野上さんは笑うのですが、しかし、私がすっかり失ってしまったものを野上さんは持っているわけで、それは、若さ...そうですか、御母堂様がオレと同い年〜。
高校時代はただひたすらに音楽に明け暮れる毎日。先輩の紹介で出会った別の高校のギタリストと一発で意気投合し、オリジナルのロック・バンドを結成することになった。バンド名は「Leall(りある)」。色々な名前の候補が挙がったが、その中から彼自身が考え出した案が採用されることになった。今になって思うと、なぜ「Leall」なのかよく憶えていない。恐らく、英語のRealが元になっているのだが、感覚的にいって「Real」では字面を見たときに面白みが無いということと、GLAYのように文字ってみたいというのがあったのだろう。それからの日々の楽しかったこと。全ての自分の人生をそのバンド、及び音楽に捧げきっていた。
高校2年の春、また一つの恋をした。きっかけは友人を介してだったが、Leallのライヴを見てどうやら彼に興味を持ったらしい。連絡を取り交わすようになり、程なくして付き合うこととなったが、3ヵ月後にはフラれた。向こうから告白してきたにも拘らず、だ(苦笑)。そのときに言われた言葉は今でもよく憶えている。
「好きなのかどうか解らなくなった」
そのとき彼は一つの悟りを得た。「諦め」の悟りを。この世の中にはいくら頑張ってもダメなことがあるのだな。ダメなものはダメなのだな、と。高校2年の、なついあつ……もとい、暑い夏だった。
彼はこの経験をもとに一つの詩をものした。タイトルは『雨と苛立ち』。
〜「Witchenkare vol.2」P140〜141より引用〜
追記
野上郁哉さんは2011年7月24日に亡くなりました(下記参照)。ご冥福をお祈りします。
http://witchenkare.blogspot.com/2011_07_01_archive.html
Vol.14 Coming! 20240401
- yoichijerry
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