2011/05/16

WTK2寄稿者紹介09(友田聡さん)

友田聡さんとはそっぷ炊き風の鍋料理をつつきながら打ち合わせをしました。

友田さんが主宰する“暮らしのリズム”のブログは2005年7月から続いています。小誌が完成した2時間後に起きたあの地震後、最初の書き込みは2011年03月20日。「旧二月十六日。月は早朝に満月となりました。4時9分には19年ぶりに月と地球が接近し、それに先立って3時10分に南中時今年最大の視直径、つまり明るく大きな月、スーパームーンを迎えました。部屋に差し込む月明かりが眩しいほどです。晴れていれば灯りの無い場所でも、この月の灯りでほんの少し不安がぬぐい去れるのかなと、ふと思いました。」...。

ったくもう、今回の震災は、友田さんが“暮らしのリズム”での活動で提唱してきた「日本式スローライフ」を、至極まっとうなものだと思わせてしまいました。みんないまごろになって、と友田さんは内心忸怩たる思い!? いや、太っ腹の友田さんのことだからそんなふうには考えないだろうな。きっと自身が実体験で会得した「こんな時代の暮らしかた」を実践するための、イベントアイデアなんぞを練っていることでしょう(お人柄は上記引用文の最後の部分からも伝わってきます)。

しっかし思い返してみるに、震災直前の世の中って、ほんとうに聴牌な雰囲気が蔓延していたように感じられました、私には。世相を映しているんだろうテレビを眺めていて、ひとつよく覚えているのは、なんだかやたらと「オネエな人」が活躍していて、それで、そういう人たちがけっこう「まっとうなもの言い」を担当していたりして、では、それでは「オネエではない人」はいったいなにをしたり言ったりしていたのかというとサンシャインと「第2の太陽」をバックに「エスキモーに氷を売る」ようなことばかり...あっ、なんで私はこんなところでぼやいているのか〜!? そんな世相にしか目がいかなかったおのれは(以下略)...。

友田さんが寄稿してくれた「ときどき旧暦な暮らし」を読んで、そういえばWitchenkareをつくろうと思い立ったのは満月の寒い夜だったなぁ、と思い出しました。月の光は人間の記憶も深く照らすのかな? そして、スーパームーンの日は、私はなにをしていたんだろう...たぶん、憑かれたようにテレビとネットにかじりついていて、夜空を見上げる心の余裕など微塵もなかった。


(前略)つまり、いい雰囲気を醸し出していながら、実はあまり役に立ちそうもない暦が旧暦なのです。ではなぜ、そんな旧暦に惹かれてしまうのでしょうか。
 ひとつは「旧暦を知れば月と仲良くなれる」ということです。旧暦の日付がわかれば、月は今どんな姿をしていて、どこにいるのかがだいたいわかり、その反対に月を眺めていれば今日が旧暦の何日だかおおまかにわかってしまうのです。人間に限ったことではなく、地球上の生き物は多かれ少なかれ月がもたらす影響を受けながら生きています。月に見守られながら日々を過ごしていると、どことなく癒されたような、ゆったりとした気分になれるものです。月を愛でながら暮らす指標のようなものとして、旧暦を意識してみてはいかがでしょうか。
 もう一つの魅力は「旧暦を知れば伝統文化が楽しくなる」ということ。和歌や俳句、大衆的な川柳や狂歌、都々逸といった詩はもちろん、能狂言や歌舞伎のような舞台芸能。古典落語に講談、時代小説。地域に息づく民俗芸能や民話・民謡などで、創作時期や設定が明治時代初期以前であれば、それはすべて旧暦ワールドです。旧暦を知っていれば、場面の月日からだいたいの季節感をイメージすることができ、さらにはその日の月の姿も見えてきます。実際に目から入って来る情報以上のシーンが脳裏のスクリーンに描き出されるに違いありません。

〜「Witchenkare vol.2」P116より引用〜

Vol.14 Coming! 20240401

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