稲葉なおとさんとはベーグルを食べながら打ち合わせをしました。
稲葉さんとはつい先日、○○研究会(と称したごく少数での親睦会)でお会いしまして、そのさい「いったい私たちはいつから知り合いなのか?」について確認しました。おたがい、高校時代からだとばかり思っていましたが、どうも正確には、共通の友人を介して浪人時代からのようだなぁ...それにしても、光陰ウサイン・ボルトの如し。
でっ、その会の後半、研究課題そっちのけでついつい音楽話(相手が音楽好きだと俄然張り切っちゃうのです、私)。中学生のころ流行っていた洋楽を思い出していて、稲葉さんが曲は覚えていてもミュージシャン名を記憶していなかったのは、ラズベリーズ。でも「Go All The Way」も「Let's Pretend」も「Tonight」も、みんないまでも口遊めそうじゃないですか〜。あっ、「Overnight Sensation (Hit Record)」は覚えてなかったみたいで、それはちょっと残念だったなぁ...それにしても、同じラヂオの音を聴いた仲。
そんな稲葉さんの渾身の長編小説「0マイル」文庫版の解説で、重松清氏は以下のように書いています。ちなみに同作品は、父親と息子の二人きりのアメリカ旅行を描いたもの。
「(前略)この物語はスタイリッシュではあってもキザではない。美しい情景の数々も決して絵葉書のような平板なものではない。主人公や旅のルートは世の父親がうらやむ設定でも、物語そのものには、甘ったるさは微塵もないのだ。/この旅に満ちているのは、後悔、やるせなさ、持って行き場のないいらだち……。/苦い旅である。なにをやっても、なかなか思い通り進まない。息子との関係も、すぐにぎくしゃくしてしまう。/その苦みを噛みしめることから、僕たち読者の『読む』という旅は始まる。」(「0マイル」文庫版P521より引用)
稲葉さんが寄稿してくれた「ニューヨークの流れ星」は、重層的な構造のなかに寓話性を持ち込んだ、チャレンジングな作品。世界中を旅して数々のホテルに滞在し、「まだ見ぬホテルへ」「名建築に泊まる」といった著書をものしてきた(写真も)稲葉さんにとって、ニューヨークもまた自分の身の丈にあった町なのでしょう。当ブログのどこぞに記されている「WitchenkareはKitchenwareのアナグラム。身の丈にあった生活まわりの文芸創作(後略)」という一文に、ぴったりではないですか! そして、この物語においても重松氏の解説はまことに的を射たものでありまして...ほんと、稲葉さんは知り合ったころからずっと変わらず、磊落にしてセンシティヴ〜。
「何か質問は?」
訊かれて思い浮かぶことがあった。肝心なことを確認しておかなければ。
「合格かどうかは……?」
「三人目の仕事をきみが終えた時点で空を見上げれば、そこに合否が描かれるはずだ」
やはりそうなのだ。以前、同僚からも聞いたことがある。光の点が下降すれば、それは「否」を意図する。上に向かって流れれば、「合」を表わす。
遠い昔の人間たちは、地平線に向かって尾を引く光が、我々の失意につながる知らせであることを知っていた。だから、気落ちする見習い天使を励ますために手を合わせてくれたのだ。それがいつしか行為そのものが履き違えられ、手を合わせる人間自身の願いを叶えるための儀式にすり替わってしまった。
願いを叶えてもらうためには、光が消えるまでに三回願いごとを唱えなければいけない。
そんなことが、一部の人間の間でまことしやかに囁かれているようだが、わたしにいわせれば、不合格通知に向かって自分の願いごとを、それもよりにもよって三回も唱えるなど、愚かな行為だ。
わたしが人間であれば、「否」の知らせではなく、遥かに眼にする機会の少ない「合」の知らせに向かって、たとえその光が消えたあとでも手を合わせるだろう。
理由? 見習いから“正”に昇格したばかりの天使の浮き立つこころが、つい揺り動かされてしまうかもしれないからだ。自分の合格を祝ってくれているようにも見えるその人間に対しては、ひとつくらい願いごとを叶えてあげてもいいかな、と。
「では、幸運を祈る」
先輩はいい残すと、ふわりと身体を浮かせた。
〜「Witchenkare vol.2」P185より引用〜
2011/05/30
2011/05/28
WTK2寄稿者紹介13(藤森陽子さん)
藤森陽子さんとは冬の焼きりんごを食べながら打ち合わせをしました。
『Hanako』『BRUTUS』といったマガジンハウスの雑誌、Webサイト(Cafe glove.comの旅コラム「旅の肌ざわり」)などでライターとして活躍中の藤森さんは、いつお会いしても忙しそうで、そして(...「そして」じゃなくて「それなのに」かな?)はつらつとお洒落。あっ、なんだかいきなりややこしい書きっぷりで申し訳ありませんが、いやね、ふつう、そんなに忙しかったら「見た目も体調もボロボロ」でもいいんじゃないの、とか、思いません!? ところが藤森さんは「忙しい」と「お洒落」を両立させてしまうタイプ、輝きながら働く女性!
たぶん、たとえば優秀なスポーツ選手が傍観者にはキツそうにしか思えない状況なのに自己の能力と他者への魅力を最大限に発揮しつつ「ゲームを楽しんじゃう」ような、そんなことができる人なのだと思います、藤森さんは。だから、きっと天職なんだろうな〜、見知らぬ人と出会ったりステキなものを発見したりして自分の文章で伝える、取材スタイルのライター仕事が。社会にコミットしてる感じで、羨ましいな〜。
そんな多忙な藤森さんは近年、プライベートでは『藤花茶居』の屋号を掲げて台湾茶ケータリングを楽しんでいます。つい先日も製茶したての春茶を買うため、台湾の坪林郷、杉林渓、鹿谷郷へと。現地で仕入れた新茶をお披露目するため、来月再来月には都内各地で茶会を開く予定なのだとか。な、なんと、仕事疲れのリフレッシュでも人(たぶん見知らぬ人も含む!?)と会うか! 私なんか忙しい仕事が一段落したら、絶対ひとりになりたいか、まあ会うとしてもよく知ってる人なんだけれど...って、私と比較することではありませんが...しかし藤森さん、たとえ夕暮れの浜辺にぽつんと座っても、見知らぬ蟹や巻貝と出会ってコミュニケってるんですか〜(意味不明)!?
藤森さんが寄稿してくれた「接客芸が見たいんです。」は、ご自身の取材体験で日頃から強く感じていることなのでしょう。いや私、若い時分にひとりでメンフィスにいったことがありまして、でっ、夜遅く辿り着いた、小さなホテル。チェックインが済むとオーナー(老婆)がにっこり「ようこそ、メンフィスへ!」と労ってくれまして、そのなんでもないひとことが旅心に響いたもんだったよ。これがサザン・ホスピタリティってやつか、と。
飲食店の話ばかりしたけれど、この辺でホテルのことも書かないと。ホテルこそプロフェッショナルな接客術を思う存分堪能できる場所。初対面なのに宿泊客である自分を緊張させず、親しげで、かといって馴れ馴れしくはなく、瞬時に寛いだ気分にさせるあの絶妙の間合い。
荷物を運ぶポーターさんなんて、エレベーターで客と2人きりになっても実にスマートに沈黙を埋め、さらにそのまま部屋の中に入っていくなんて事までやってのける。人見知り気味だった駆け出しライターの自分にとって、それはE難度の離れ業を見る思い。なので、どうにかインタビュー術を上達させたくて、ホテルの人の立ち居振る舞いや会話のテンポ、客との距離のとり方を観察して自主練に励んだ過去があるのだが、思えばこれが今のような接客マニアになったきっかけだったようです。
〜「Witchenkare vol.2」P163より引用〜
『Hanako』『BRUTUS』といったマガジンハウスの雑誌、Webサイト(Cafe glove.comの旅コラム「旅の肌ざわり」)などでライターとして活躍中の藤森さんは、いつお会いしても忙しそうで、そして(...「そして」じゃなくて「それなのに」かな?)はつらつとお洒落。あっ、なんだかいきなりややこしい書きっぷりで申し訳ありませんが、いやね、ふつう、そんなに忙しかったら「見た目も体調もボロボロ」でもいいんじゃないの、とか、思いません!? ところが藤森さんは「忙しい」と「お洒落」を両立させてしまうタイプ、輝きながら働く女性!
たぶん、たとえば優秀なスポーツ選手が傍観者にはキツそうにしか思えない状況なのに自己の能力と他者への魅力を最大限に発揮しつつ「ゲームを楽しんじゃう」ような、そんなことができる人なのだと思います、藤森さんは。だから、きっと天職なんだろうな〜、見知らぬ人と出会ったりステキなものを発見したりして自分の文章で伝える、取材スタイルのライター仕事が。社会にコミットしてる感じで、羨ましいな〜。
そんな多忙な藤森さんは近年、プライベートでは『藤花茶居』の屋号を掲げて台湾茶ケータリングを楽しんでいます。つい先日も製茶したての春茶を買うため、台湾の坪林郷、杉林渓、鹿谷郷へと。現地で仕入れた新茶をお披露目するため、来月再来月には都内各地で茶会を開く予定なのだとか。な、なんと、仕事疲れのリフレッシュでも人(たぶん見知らぬ人も含む!?)と会うか! 私なんか忙しい仕事が一段落したら、絶対ひとりになりたいか、まあ会うとしてもよく知ってる人なんだけれど...って、私と比較することではありませんが...しかし藤森さん、たとえ夕暮れの浜辺にぽつんと座っても、見知らぬ蟹や巻貝と出会ってコミュニケってるんですか〜(意味不明)!?
藤森さんが寄稿してくれた「接客芸が見たいんです。」は、ご自身の取材体験で日頃から強く感じていることなのでしょう。いや私、若い時分にひとりでメンフィスにいったことがありまして、でっ、夜遅く辿り着いた、小さなホテル。チェックインが済むとオーナー(老婆)がにっこり「ようこそ、メンフィスへ!」と労ってくれまして、そのなんでもないひとことが旅心に響いたもんだったよ。これがサザン・ホスピタリティってやつか、と。
飲食店の話ばかりしたけれど、この辺でホテルのことも書かないと。ホテルこそプロフェッショナルな接客術を思う存分堪能できる場所。初対面なのに宿泊客である自分を緊張させず、親しげで、かといって馴れ馴れしくはなく、瞬時に寛いだ気分にさせるあの絶妙の間合い。
荷物を運ぶポーターさんなんて、エレベーターで客と2人きりになっても実にスマートに沈黙を埋め、さらにそのまま部屋の中に入っていくなんて事までやってのける。人見知り気味だった駆け出しライターの自分にとって、それはE難度の離れ業を見る思い。なので、どうにかインタビュー術を上達させたくて、ホテルの人の立ち居振る舞いや会話のテンポ、客との距離のとり方を観察して自主練に励んだ過去があるのだが、思えばこれが今のような接客マニアになったきっかけだったようです。
〜「Witchenkare vol.2」P163より引用〜
2011/05/24
WTK2寄稿者紹介12(吉永嘉明さん)
吉永嘉明さんとはドライカレーを食べながら打ち合わせをしました。
吉永さんの著書「自殺されちゃった僕」は数年前に単行本で手に入れ一晩で読了...その後、文庫版も買い直し。というのも、文庫版に新たに加えられた解説(あとがき)は精神科医の春日武彦氏が書いているのですが、私はかつてこれほど著者を酷評している文章が同載された本を他に知らない。そこまで言うなら解説なんて引き受けなきゃいいのに、というのが最初に私の抱いた印象、でもいまでは同載されていることがこの本の...mmm、言葉選びが難しい...“魅力”のような気もしたりして。幻冬舎アウトロー文庫の編集者のセンス、恐るべし!
「本書の原稿のダイジェスト版をある出版社の女性編集者に見せたことがある。/彼女は『私は早紀さんを知りません。そういう他人の立場から言うと、この原稿に書かれている早紀さんを好きにはなれないですね。オヤジに依存しバブルに踊り、生きにくくなったら死んじゃう。はっきり言って同情できません』/そう、冷静に見れば早紀はとてもわがままだった。/でも、彼女がわがままであっても、僕の愛は変わらないのだ。どんなに自分勝手であっても、僕には『かわいい早紀ちゃん』なのだ。女性編集者が冷静でいられるのは『愛』がないからだ。」(「自殺されちゃった僕」文庫版P168〜P169より引用)
上記部分について、春日氏の解説は「わたしも女性編集者と同意見」としたうえで、「ここで愛を持ち出してしまったら、もはや『ああそうですか』としか答えようがないではないか。まともな物書きであったなら、愛などという身も蓋もない言葉は持ち出すまい。」と...。しかし、私は「自殺されちゃった僕」のなかのこの文章にやられてしまったのです。吉永さんって、きっとむかし観た「ラスト・オブ・モヒカン」のホークアイ(ダニエル・デイ=ルイス)みたいな男にちがいない! それで、吉永さんの友人であるWitchenkare vol.2寄稿者・木村重樹さんに熱烈アピールしまして...それで、ドライカレー。
吉永さんが寄稿してくれた「ジオイド」は、ご自身初の書き下ろし小説。「もし小説書くなら石田衣良みたいなのね、って知り合いの編集者にはまえから言われてたんだけど...」なんて言っていた吉永さんから送られてきた原稿を、私はちょうど定期検診だったので病院の待合室で読みました。出がけにプリントアウトしたA4横書きの文字を追いながら、ちょっと、ドキドキした...これが文才ってものなのか、と。そしていまは、この物語の続編がたまらなく読みたい気持ちです〜。
「ちょっと話変わりますけど私、高森さんのタイトルとかリードのつけ方が好きなの。例えば、この間編集してた快感特集のムックの中で『おもらしの快楽』ってあったでしょ。あそこでサブタイトルに『ときにはあきらめちゃえ!』ってつけるなんていいなと思ったの」
キミの言葉に僕は少し気恥ずかしさを覚えた。ふと鶴田を見るとジョイントを巻きながらにやにやしている。僕は少し照れながら言った。
「鶴田には異論があるようだよ」
「まあ、一口に本っていっても傾向はさまざまだし、俺と高森が作る本はまったく別物だからな。比べられないよ」
「どうせ偏差値が違うっていうんだろ。そう言えばみどりさんは、鶴田と同じ会社なんですよね。どうですか、彼、ちゃんと働いていますか?」僕は言った。
「そうなんです。先輩なんですよ。でも彼って社内では変わり者なんですよ。あんまり会社にもいないし」
僕は、頷いた。
「そりゃあそうでしょ。インテリのくせに僕なんかと遊んでいるようじゃね。そう言えば今日の面子は、僕以外はみんなインテリだね。ハナにかけないから別にいいんだけどさ」
すかさずキミが言った。
「そういう高森さんだって、ぶってないだけで独自の感性のひらめきには感心してるんですよ」
「あんまり理解者は多くないんだけどね。ただインテリには家庭内において言わば免疫みたいなものがある。父と兄が東大(ケッ!)だし。だから話すのには慣れているんだろうね」
またもやキミが言った。
「高森さんの仕事のいいところは、けっしてインテリには作れない本を作れるというところ。あまりにも激しい思い込みが暴走した時でも言ってることは間違ってないんですよね。ちょっと極端ではあるけど本質的。私は、自分がそういうタイプじゃないので、ちょっと尊敬してるんです」
僕はそんなに話し込んだこともないのに、キミが僕のことをかなり理解していることにちょっと驚いた。しかしまあ理解されるというのは悪くない。それだけ関心をもってくれているということだから、やっぱり嬉しいものだ。
僕は事務所備え付けのCDラジカセでジャーマン・トランスをかけた。僕も鶴田もジャーマンが好きなのだ。ジャム&スプーン、スヴェン・バース、コズミックベイビー……。
「これはなんて言う音楽なんですか?」キミが僕に聞いてきた。積極的に興味を示す表情をしていた。
「ジャーマン・トランスって言って、ゴア・トランスが出てくるちょっと前にヨーロッパのレイブ・パーティなんかでかかっていたものなんだ。基本的にはボーカルの無い4つ打ちのダンスミユージックなんだけど、ハイハット音の泣き音色が心の琴線に触れてジーンとくるのがたまらない快感なんだ。みもふたも無い言い方をすると、LSDを摂取して踊ることを前提とした音楽だね。これはちょっと分かりづらいだろうけど、ジャーマン・トランスの曲は〈まがっている〉んだ。LSDが入っていると、その〈まがり〉にシンクロして脳をもってかれて大変なことになるんだよ」
〜「Witchenkare vol.2」P152〜153より引用〜
吉永さんの著書「自殺されちゃった僕」は数年前に単行本で手に入れ一晩で読了...その後、文庫版も買い直し。というのも、文庫版に新たに加えられた解説(あとがき)は精神科医の春日武彦氏が書いているのですが、私はかつてこれほど著者を酷評している文章が同載された本を他に知らない。そこまで言うなら解説なんて引き受けなきゃいいのに、というのが最初に私の抱いた印象、でもいまでは同載されていることがこの本の...mmm、言葉選びが難しい...“魅力”のような気もしたりして。幻冬舎アウトロー文庫の編集者のセンス、恐るべし!
「本書の原稿のダイジェスト版をある出版社の女性編集者に見せたことがある。/彼女は『私は早紀さんを知りません。そういう他人の立場から言うと、この原稿に書かれている早紀さんを好きにはなれないですね。オヤジに依存しバブルに踊り、生きにくくなったら死んじゃう。はっきり言って同情できません』/そう、冷静に見れば早紀はとてもわがままだった。/でも、彼女がわがままであっても、僕の愛は変わらないのだ。どんなに自分勝手であっても、僕には『かわいい早紀ちゃん』なのだ。女性編集者が冷静でいられるのは『愛』がないからだ。」(「自殺されちゃった僕」文庫版P168〜P169より引用)
上記部分について、春日氏の解説は「わたしも女性編集者と同意見」としたうえで、「ここで愛を持ち出してしまったら、もはや『ああそうですか』としか答えようがないではないか。まともな物書きであったなら、愛などという身も蓋もない言葉は持ち出すまい。」と...。しかし、私は「自殺されちゃった僕」のなかのこの文章にやられてしまったのです。吉永さんって、きっとむかし観た「ラスト・オブ・モヒカン」のホークアイ(ダニエル・デイ=ルイス)みたいな男にちがいない! それで、吉永さんの友人であるWitchenkare vol.2寄稿者・木村重樹さんに熱烈アピールしまして...それで、ドライカレー。
吉永さんが寄稿してくれた「ジオイド」は、ご自身初の書き下ろし小説。「もし小説書くなら石田衣良みたいなのね、って知り合いの編集者にはまえから言われてたんだけど...」なんて言っていた吉永さんから送られてきた原稿を、私はちょうど定期検診だったので病院の待合室で読みました。出がけにプリントアウトしたA4横書きの文字を追いながら、ちょっと、ドキドキした...これが文才ってものなのか、と。そしていまは、この物語の続編がたまらなく読みたい気持ちです〜。
「ちょっと話変わりますけど私、高森さんのタイトルとかリードのつけ方が好きなの。例えば、この間編集してた快感特集のムックの中で『おもらしの快楽』ってあったでしょ。あそこでサブタイトルに『ときにはあきらめちゃえ!』ってつけるなんていいなと思ったの」
キミの言葉に僕は少し気恥ずかしさを覚えた。ふと鶴田を見るとジョイントを巻きながらにやにやしている。僕は少し照れながら言った。
「鶴田には異論があるようだよ」
「まあ、一口に本っていっても傾向はさまざまだし、俺と高森が作る本はまったく別物だからな。比べられないよ」
「どうせ偏差値が違うっていうんだろ。そう言えばみどりさんは、鶴田と同じ会社なんですよね。どうですか、彼、ちゃんと働いていますか?」僕は言った。
「そうなんです。先輩なんですよ。でも彼って社内では変わり者なんですよ。あんまり会社にもいないし」
僕は、頷いた。
「そりゃあそうでしょ。インテリのくせに僕なんかと遊んでいるようじゃね。そう言えば今日の面子は、僕以外はみんなインテリだね。ハナにかけないから別にいいんだけどさ」
すかさずキミが言った。
「そういう高森さんだって、ぶってないだけで独自の感性のひらめきには感心してるんですよ」
「あんまり理解者は多くないんだけどね。ただインテリには家庭内において言わば免疫みたいなものがある。父と兄が東大(ケッ!)だし。だから話すのには慣れているんだろうね」
またもやキミが言った。
「高森さんの仕事のいいところは、けっしてインテリには作れない本を作れるというところ。あまりにも激しい思い込みが暴走した時でも言ってることは間違ってないんですよね。ちょっと極端ではあるけど本質的。私は、自分がそういうタイプじゃないので、ちょっと尊敬してるんです」
僕はそんなに話し込んだこともないのに、キミが僕のことをかなり理解していることにちょっと驚いた。しかしまあ理解されるというのは悪くない。それだけ関心をもってくれているということだから、やっぱり嬉しいものだ。
僕は事務所備え付けのCDラジカセでジャーマン・トランスをかけた。僕も鶴田もジャーマンが好きなのだ。ジャム&スプーン、スヴェン・バース、コズミックベイビー……。
「これはなんて言う音楽なんですか?」キミが僕に聞いてきた。積極的に興味を示す表情をしていた。
「ジャーマン・トランスって言って、ゴア・トランスが出てくるちょっと前にヨーロッパのレイブ・パーティなんかでかかっていたものなんだ。基本的にはボーカルの無い4つ打ちのダンスミユージックなんだけど、ハイハット音の泣き音色が心の琴線に触れてジーンとくるのがたまらない快感なんだ。みもふたも無い言い方をすると、LSDを摂取して踊ることを前提とした音楽だね。これはちょっと分かりづらいだろうけど、ジャーマン・トランスの曲は〈まがっている〉んだ。LSDが入っていると、その〈まがり〉にシンクロして脳をもってかれて大変なことになるんだよ」
〜「Witchenkare vol.2」P152〜153より引用〜
2011/05/21
WTK2寄稿者紹介11(野上郁哉さん)
野上郁哉さんとは音楽っぽいカフェでお茶を飲みながら打ち合わせをしました。
野上さんとは昨年の秋に「ミニコミが語り合う会」(現在は「リトルプレスの会」)の集いで知り合いました。同会の金安顕一さん(中南米マガジン)、渡瀬基樹さん(漫画批評)から、まだ1号ぽっきりしか発行していなかったウィツチンケアも「参加しませんか?」と誘っていただきまして、それで、丸腰で出かけた宴の席で出会いました...会ってすぐ、音楽話。あっというまに時間が経ってました。
野上さんは「Oar」(おあー、と発音)という音楽雑誌の編集長。事前に同誌のブログを覗くと、これ、いったいどんな人がつくってるの〜!? な異国感が芬芬でして(正直、私は頭にターバンを巻いた150キロの巨漢編集長をイメージしてた、外国人であってもダズントマター)、それなのに、目の前に現れた男はまだ少年の気配を残す、スリムな青年でありまして...あっ、ここで正体を明かしてはいけないのかな? ブログのプロフィール欄には、「現在は某大学の大学院でスーフィズム(イスラーム神秘主義)の研究をしているとか、いないとか。」と記されています。
相手が音楽好きだとわかると俄然張り切っちゃう私は後日、こちらから野上さんに連絡して再会しました。寄稿依頼のはずが、また音楽話〜CDの貸し借りにCD-R送付、という展開...。そして時は流れてWitchenkare vol.2の締め切り日、届いた原稿はまさに野上さんらしいものでした。「野上さんらしい」とは、詩的リズムの文体がすでに確立しているというか、他者が真似したり手を入れたりしにくいというか...ええと、もっとわかりやすくたとえますと、たとえばビートルズの「Happiness is a warm gun」の後半にたたみかけるあの感じは、まあ、ポリリズムみたいな分析もできるのでしょうが、でもやっぱり「ジョン・レノンの曲だよね〜」と丸かじりしちゃうのが一番しっくりくるという...って、全然わかりやすくないじゃん!
野上さんが寄稿してくれた「天使になんてなれなかった。」は自伝的エッセイとでも言いましょうか...。「僕のこと、あんまり褒めないでくださいよ」と代々木公園での花見で会ったさいにも野上さんは笑うのですが、しかし、私がすっかり失ってしまったものを野上さんは持っているわけで、それは、若さ...そうですか、御母堂様がオレと同い年〜。
高校時代はただひたすらに音楽に明け暮れる毎日。先輩の紹介で出会った別の高校のギタリストと一発で意気投合し、オリジナルのロック・バンドを結成することになった。バンド名は「Leall(りある)」。色々な名前の候補が挙がったが、その中から彼自身が考え出した案が採用されることになった。今になって思うと、なぜ「Leall」なのかよく憶えていない。恐らく、英語のRealが元になっているのだが、感覚的にいって「Real」では字面を見たときに面白みが無いということと、GLAYのように文字ってみたいというのがあったのだろう。それからの日々の楽しかったこと。全ての自分の人生をそのバンド、及び音楽に捧げきっていた。
高校2年の春、また一つの恋をした。きっかけは友人を介してだったが、Leallのライヴを見てどうやら彼に興味を持ったらしい。連絡を取り交わすようになり、程なくして付き合うこととなったが、3ヵ月後にはフラれた。向こうから告白してきたにも拘らず、だ(苦笑)。そのときに言われた言葉は今でもよく憶えている。
「好きなのかどうか解らなくなった」
そのとき彼は一つの悟りを得た。「諦め」の悟りを。この世の中にはいくら頑張ってもダメなことがあるのだな。ダメなものはダメなのだな、と。高校2年の、なついあつ……もとい、暑い夏だった。
彼はこの経験をもとに一つの詩をものした。タイトルは『雨と苛立ち』。
〜「Witchenkare vol.2」P140〜141より引用〜
追記
野上郁哉さんは2011年7月24日に亡くなりました(下記参照)。ご冥福をお祈りします。
http://witchenkare.blogspot.com/2011_07_01_archive.html
野上さんとは昨年の秋に「ミニコミが語り合う会」(現在は「リトルプレスの会」)の集いで知り合いました。同会の金安顕一さん(中南米マガジン)、渡瀬基樹さん(漫画批評)から、まだ1号ぽっきりしか発行していなかったウィツチンケアも「参加しませんか?」と誘っていただきまして、それで、丸腰で出かけた宴の席で出会いました...会ってすぐ、音楽話。あっというまに時間が経ってました。
野上さんは「Oar」(おあー、と発音)という音楽雑誌の編集長。事前に同誌のブログを覗くと、これ、いったいどんな人がつくってるの〜!? な異国感が芬芬でして(正直、私は頭にターバンを巻いた150キロの巨漢編集長をイメージしてた、外国人であってもダズントマター)、それなのに、目の前に現れた男はまだ少年の気配を残す、スリムな青年でありまして...あっ、ここで正体を明かしてはいけないのかな? ブログのプロフィール欄には、「現在は某大学の大学院でスーフィズム(イスラーム神秘主義)の研究をしているとか、いないとか。」と記されています。
相手が音楽好きだとわかると俄然張り切っちゃう私は後日、こちらから野上さんに連絡して再会しました。寄稿依頼のはずが、また音楽話〜CDの貸し借りにCD-R送付、という展開...。そして時は流れてWitchenkare vol.2の締め切り日、届いた原稿はまさに野上さんらしいものでした。「野上さんらしい」とは、詩的リズムの文体がすでに確立しているというか、他者が真似したり手を入れたりしにくいというか...ええと、もっとわかりやすくたとえますと、たとえばビートルズの「Happiness is a warm gun」の後半にたたみかけるあの感じは、まあ、ポリリズムみたいな分析もできるのでしょうが、でもやっぱり「ジョン・レノンの曲だよね〜」と丸かじりしちゃうのが一番しっくりくるという...って、全然わかりやすくないじゃん!
野上さんが寄稿してくれた「天使になんてなれなかった。」は自伝的エッセイとでも言いましょうか...。「僕のこと、あんまり褒めないでくださいよ」と代々木公園での花見で会ったさいにも野上さんは笑うのですが、しかし、私がすっかり失ってしまったものを野上さんは持っているわけで、それは、若さ...そうですか、御母堂様がオレと同い年〜。
高校時代はただひたすらに音楽に明け暮れる毎日。先輩の紹介で出会った別の高校のギタリストと一発で意気投合し、オリジナルのロック・バンドを結成することになった。バンド名は「Leall(りある)」。色々な名前の候補が挙がったが、その中から彼自身が考え出した案が採用されることになった。今になって思うと、なぜ「Leall」なのかよく憶えていない。恐らく、英語のRealが元になっているのだが、感覚的にいって「Real」では字面を見たときに面白みが無いということと、GLAYのように文字ってみたいというのがあったのだろう。それからの日々の楽しかったこと。全ての自分の人生をそのバンド、及び音楽に捧げきっていた。
高校2年の春、また一つの恋をした。きっかけは友人を介してだったが、Leallのライヴを見てどうやら彼に興味を持ったらしい。連絡を取り交わすようになり、程なくして付き合うこととなったが、3ヵ月後にはフラれた。向こうから告白してきたにも拘らず、だ(苦笑)。そのときに言われた言葉は今でもよく憶えている。
「好きなのかどうか解らなくなった」
そのとき彼は一つの悟りを得た。「諦め」の悟りを。この世の中にはいくら頑張ってもダメなことがあるのだな。ダメなものはダメなのだな、と。高校2年の、なついあつ……もとい、暑い夏だった。
彼はこの経験をもとに一つの詩をものした。タイトルは『雨と苛立ち』。
〜「Witchenkare vol.2」P140〜141より引用〜
追記
野上郁哉さんは2011年7月24日に亡くなりました(下記参照)。ご冥福をお祈りします。
http://witchenkare.blogspot.com/2011_07_01_archive.html
2011/05/18
WTK2寄稿者紹介10(浅生ハルミンさん)
浅生ハルミンさんとはマルゲリータ(ピッツァ)を食べながら打ち合わせをしました。
今号でも書き下ろし小説で、できればいままで書いたことのないようなテーマで...そんな私の依頼に、浅生さんは見目麗しくYESの返事をくださいました。ハルミンさんといえば世の中では猫、読書、最近ではこけし? ええ、ウチでもそれらのテーマで書いてもらえれば、ついでに作画なんかもお願いしてみると、ウチの媒体PRや売り上げにも...、とは考えないのがWitchenkareなのであります!
すでに仕事として成立しているものは、それに相応しい舞台で発表されるべき。小誌は実験的に種を蒔いてみるような、未来への試しの場に使ってもらいたい。ちょっとまえの流行りことばで言うといかにも「持ってる」って感じの浅生さんですが、ねえ、じつはまだまだ持ってるでしょ!? それをチラッと見せてみてくださいよ、とそんな思いで無理なお願いごとをしてみたのです。そして、もし芽が出て莟がほころびそうになったら、きっとまたそれに相応しい舞台が、どこかに用意されるはず...。そういえば、いつだったか「桂馬が効いてますね」と浅生さんに話したことがあったなぁ。いや、私は将棋、こどものころちょっとやっただけで全然下手くそなんですが、うまいやつになにげに桂馬で王手されて、逃げたらその桂馬が(あの独特の動きで)金に成ってさらに追い詰められて、「...参りました」と。
今回の作品を読んでドキッとした人がいたら、もう一度浅生さんのイラストを見てみるといいのかも。あのぱっと見ほんわかした画風は、ものすごく精緻に構図を捉えています。対人関係でもしっかり透かしてるんだなぁ、相手の外見も内面も。そのうえで、いつも気さくで聞き上手で奔放トークでも返り血を浴びなさそうな雰囲気なのは、つまり「ちゃんとした大人」ってことですNE。
浅生さんが寄稿してくれた「ひそかなリボン」を、ご自身はブログで「黒いです。」と書いています。たしかにね...。あっ、でも私は「暗闇の向こうを目指す再生の物語」と読んだな。そして、ブログの同記事内で紹介されている、「すばる」5月号掲載の「記憶をなくす」という紀行文は、私がいままで読んだ浅生さんの作品で一番好きかもしれない、すばらしいものでした。
好笛から連絡をとらなければ陽治から電話がかかってくることはなかった。しばらく会っていない時間が過ぎて、ある日、好笛は陽治が個展を開くことを人づてに知った。最終日に雑踏を抜けて会場に急いだ。陽治が姿を見せて、「好笛しゃん。よくお越しくださいました。帰りに夕ご飯でも食べません?」と誘ってきて、久しぶりに食事をした。駅から少し離れたところにある、小さなカウンターがあって小綺麗な盛りつけが得意な料理店を好笛は選んだ。個展のお祝いだからご馳走すると言って。
「好笛しゃん、お仕事順調ですか?」
「はい、順調です。昨日も徹夜で大変だったぁ」
「あなたのようなお仕事は、お金をもらってなんぼですから」
好笛は何も云わず小皿にすだちを絞った。わたしにとってのお金の意味は、あなたにとっての自分を助けてくれる人と同じよ。銀行口座に振り込まれるか、こんにちはって歩いてくるかの違いよ、と好笛は口に出さずに抗った。
「あなたと僕は似ているんですよ。僕はあなたと話していると緊張する。人を怖れているところがあるんですよ。僕たちふたりとも受け身ですから。一緒にいても何も面白くないんです」
陽治は態度の悪い生徒を諭す生活指導の教師のような口調で言った。
「そうですね。似てますね」
もうわたしの成績はついちゃったんだ。わたしは不合格だったんだと好笛はうつむいた。このひとは自分と似ているひとは嫌いらしい。そう思った途端、陽治のことが墓石のように見えた。好笛がお手洗いに行っている間に会計はすでに済ませられていて、そのことも好笛には淋しく感じられた。
最寄りの駅まで歩くうちに、陽治はまとめるように話した。「今日会えてよかったです。もうこれで僕もお仕事から卒業ですね。本当にありがとうございました。僕も不器用なたちで、終わらないと次に進めないですから」
陽治は好笛に握手を求めた。握手をしたらもう終わりだ。好笛はゆっくりと、まるで朝顔の蔓が一晩で成長する映像のスローモーションのように、ゆっくりと右手を差し出した。夜空のむこうで誰かを乗せた飛行機がゴーッという音をたてて通り過ぎていった。そして好笛はひとりになった。
〜「Witchenkare vol.2」P130〜131より引用〜
今号でも書き下ろし小説で、できればいままで書いたことのないようなテーマで...そんな私の依頼に、浅生さんは見目麗しくYESの返事をくださいました。ハルミンさんといえば世の中では猫、読書、最近ではこけし? ええ、ウチでもそれらのテーマで書いてもらえれば、ついでに作画なんかもお願いしてみると、ウチの媒体PRや売り上げにも...、とは考えないのがWitchenkareなのであります!
すでに仕事として成立しているものは、それに相応しい舞台で発表されるべき。小誌は実験的に種を蒔いてみるような、未来への試しの場に使ってもらいたい。ちょっとまえの流行りことばで言うといかにも「持ってる」って感じの浅生さんですが、ねえ、じつはまだまだ持ってるでしょ!? それをチラッと見せてみてくださいよ、とそんな思いで無理なお願いごとをしてみたのです。そして、もし芽が出て莟がほころびそうになったら、きっとまたそれに相応しい舞台が、どこかに用意されるはず...。そういえば、いつだったか「桂馬が効いてますね」と浅生さんに話したことがあったなぁ。いや、私は将棋、こどものころちょっとやっただけで全然下手くそなんですが、うまいやつになにげに桂馬で王手されて、逃げたらその桂馬が(あの独特の動きで)金に成ってさらに追い詰められて、「...参りました」と。
今回の作品を読んでドキッとした人がいたら、もう一度浅生さんのイラストを見てみるといいのかも。あのぱっと見ほんわかした画風は、ものすごく精緻に構図を捉えています。対人関係でもしっかり透かしてるんだなぁ、相手の外見も内面も。そのうえで、いつも気さくで聞き上手で奔放トークでも返り血を浴びなさそうな雰囲気なのは、つまり「ちゃんとした大人」ってことですNE。
浅生さんが寄稿してくれた「ひそかなリボン」を、ご自身はブログで「黒いです。」と書いています。たしかにね...。あっ、でも私は「暗闇の向こうを目指す再生の物語」と読んだな。そして、ブログの同記事内で紹介されている、「すばる」5月号掲載の「記憶をなくす」という紀行文は、私がいままで読んだ浅生さんの作品で一番好きかもしれない、すばらしいものでした。
好笛から連絡をとらなければ陽治から電話がかかってくることはなかった。しばらく会っていない時間が過ぎて、ある日、好笛は陽治が個展を開くことを人づてに知った。最終日に雑踏を抜けて会場に急いだ。陽治が姿を見せて、「好笛しゃん。よくお越しくださいました。帰りに夕ご飯でも食べません?」と誘ってきて、久しぶりに食事をした。駅から少し離れたところにある、小さなカウンターがあって小綺麗な盛りつけが得意な料理店を好笛は選んだ。個展のお祝いだからご馳走すると言って。
「好笛しゃん、お仕事順調ですか?」
「はい、順調です。昨日も徹夜で大変だったぁ」
「あなたのようなお仕事は、お金をもらってなんぼですから」
好笛は何も云わず小皿にすだちを絞った。わたしにとってのお金の意味は、あなたにとっての自分を助けてくれる人と同じよ。銀行口座に振り込まれるか、こんにちはって歩いてくるかの違いよ、と好笛は口に出さずに抗った。
「あなたと僕は似ているんですよ。僕はあなたと話していると緊張する。人を怖れているところがあるんですよ。僕たちふたりとも受け身ですから。一緒にいても何も面白くないんです」
陽治は態度の悪い生徒を諭す生活指導の教師のような口調で言った。
「そうですね。似てますね」
もうわたしの成績はついちゃったんだ。わたしは不合格だったんだと好笛はうつむいた。このひとは自分と似ているひとは嫌いらしい。そう思った途端、陽治のことが墓石のように見えた。好笛がお手洗いに行っている間に会計はすでに済ませられていて、そのことも好笛には淋しく感じられた。
最寄りの駅まで歩くうちに、陽治はまとめるように話した。「今日会えてよかったです。もうこれで僕もお仕事から卒業ですね。本当にありがとうございました。僕も不器用なたちで、終わらないと次に進めないですから」
陽治は好笛に握手を求めた。握手をしたらもう終わりだ。好笛はゆっくりと、まるで朝顔の蔓が一晩で成長する映像のスローモーションのように、ゆっくりと右手を差し出した。夜空のむこうで誰かを乗せた飛行機がゴーッという音をたてて通り過ぎていった。そして好笛はひとりになった。
〜「Witchenkare vol.2」P130〜131より引用〜
Vol.16 Coming! 20260401
- yoichijerry
- yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare