2024/05/13

VOL.14寄稿者&作品紹介37 清水伸宏さん

 前号への寄稿作では、失踪した妻を探す男の心情を切なく描いた清水伸宏さん。第14号掲載の〈業務用エレベーター〉...これは、ある意味での〝自分探し〟のお話なのかな!? ワン・シチュエーション設定なのですが、主人公の「僕」は理不尽な体験を次々と被って...というか、全篇ほぼ「私」視点の展開なので登場する「僕」以外の人々にもそれなりの言い分がありそう...というか、この人たちはホントにいるの? みたいな、虚々実々摩訶不思議な一篇です。おもしろいのは、エレベーターが停まって誰かが登場すると、「僕」にとっての忌まわしい過去が必ず甦ってくること。たとえば、宅配便の業務員の目つきが実家のある新潟で暮らす弟に似てる、それで、相続で揉めた記憶が、みたいな。「僕」は年下の上司に辞表を叩きつけたばかりで気が立っているのはわかるのですが、しかし、社外の人たちに八つ当たりをしているとしか思えません。...でも、本作はその八つ当たりの原因が〈自分の問題〉であると気づかないとどういう目に遭うか、ということを描くのが主題なのかもしれず。。。清水さんの意図や、いかに。


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それにしても、「僕」と二番目に乗り合わせた飲料販売の女性(「僕」曰く“いまじゃそんな言い方したらジェンダー的にあれでしょうが、よく「〇〇おばさん」なんて呼ばれていた、あの業者”)がお気の毒です。「僕」は社内で彼女の○○を一度も買ったことがない。そんな彼女とエレベーター内で乗り合わせて、挨拶すらしないからと、離婚した妻とのトラウマまで思い出して憤慨するなんて。ああ、私、冷蔵庫に入ってるヤクルト1000を飲みたくなってきたぞ。


結末、ものすごく書きたいですが「それを言っちゃあ、おしまいよ」なので堪えます。悪態をつきまくった「僕」を、作者はどこへ導いたのか? クスリと笑わせつつも、一抹の切なさを醸し出す清水さんの作風...この感じは、小誌への初寄稿作〈定年退職のご挨拶(最終稿)〉(第11号に掲載)から一貫しているようにも思えます。ぜひ小誌を手にして、本作をどうぞお楽しみください。

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 エレベーターに乗り込んだ彼女とすぐに目が合いました。しかし、驚いたことに彼女は、お辞儀もせずに目を逸らして、階数表示に視線を向けました。一度も買ったことがないとはいえ、僕のデスクの横を毎日のようにペコペコしながら通っているわけで、僕の顔を知らないはずがありません。それなのになぜ急にシカトするのか。業務用エレベーター内では、自分のほうが偉いとでも? 
 その表情がない横顔を見ていると、今度は離婚話をいきなり切り出したときの妻の能面みたいな表情が脳裏に浮かびました。あの五年間の結婚生活はいったいなんだったのか。大学のサークル仲間だった元妻は、僕と離婚してすぐ、同じサークルの後輩だった男と再婚したそうです。


~ウィッチンケア第14号掲載〈業務用エレベーター〉より引用~



清水伸宏さん小誌バックナンバー掲載作品:〈定年退職のご挨拶(最終稿)〉(第11号)/〈つながりの先には〉(第12号)



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VOL.14寄稿者&作品紹介36 かとうちあきさん

 「野宿野郎」編集長(仮)として、横浜にある実店舗「お店のようなもの」を拠点にさまざまな活動を繰り広げているかとうちあきさん。「ウィッチンケア」には第2号からご寄稿いただいていまして...そうだ、第2号のころのかとうさんは映画「レオン」のマチルダ(懐...)みたいな髪型でしたが、前回お目にかかったさいにはヴェリーなショートで決めていましたが、最近はご無沙汰でして現在の髪型も知らずにスイマセン。。そんなかとうさんは最近(横浜市内で)お引っ越しをされたようで、今号への寄稿作は、その「生活の変化」についての一篇です。タイトルは〈A Bath of One's Own〉。そうか、お風呂の話なのか、と読み始めると、冒頭に“先日、何年ぶりかに実家を訪れたら”とあり...ふむふむ。だがっ、しかし、そこから先に進むまえに、まず“「実の家って、なんだよ~」”という疑問が呈されます。私(←発行人)は前世紀に結婚して親元を離れ、その後2013年に親元の家をリノベして同居を始めて、その家を「実家」と呼んでおりますが、しかし加藤さん曰くその言葉は、“以前は婚姻などで他家に入ったとされる人の、元の家のことを指していた”と。なので、その言葉をテキストに使うと“げんなりしちゃう”...“さりとてほかに通りのよい言葉も思いつかず、つい使ってしまうんですけれど”なのだそうであります。mmm、「実家」。言われてみればたしかにそんな意味合いを帯びているようにも思えるけれども、私も“ほかに通りのよい言葉も思い”つかんのですわ、咄嗟には。


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でっ、かとうさんの実家(←便宜上「実家」)の話なのですが、玄関を開けて居間に入っていくと、“そこには会わない年月の間分、きっちりと老いたであろう父がおり、テレビの前にごちゃっと寝そべっていました”。この御父様とかとうさんの関係性がかなり赤裸々に語られていまして、mmm、フラット目線で拝読しても御父様(おそらく昭和男児)、いまの時代はなかなか生き辛いかも、と。このあたりはぜひ、小誌を手にしてご確認ください。


そして、タイトルの〈A Bath of One's Own〉について。現在独り暮らしを満喫中のかとうさんにとって、なにより嬉しいのは“「自分だけの風呂」を手にした”ことのようです。弾むような文体でそのことについて綴るかとうさん。読み進めていくと、“そしてそして、「自分だけの風呂」のだいご味は、ずばり”...えっ!? ホント?? いや~、今作の終盤は、私的には驚愕でした。このあたりもぜひ、小誌を手にしてご確認ください。

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 それからいきなりですが、言いたいんです。「自分だけの風呂」ってすごいぞっ、て言いたい。振り返れば、十八歳でこの家を出て、風呂なし生活を十数年、風呂ありシェアハウス生活を十年近く。今回のひとり暮らしで、わたしは初めて「自分だけの風呂」を手にしたわけで、なんと長い道のりだったことでしょう。
 家に風呂があると気楽に入れてすごいんだけど、自分だけの風呂は好きなように入れるから、もっとすごい。めちゃくちゃすごい。自由度がすごい。って感動が大きすぎて、だから、いま、ごちゃなんてどうでもいいぞって状態でもあるんです。

 ~ウィッチンケア第14号掲載〈A Bath of One’s Own〉より引用~

かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品:〈台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)/〈チキンレース問題〉((第11号)/〈鼻セレブ〉(第12号)/〈おネズミ様や〉(第13号)


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VOL.14寄稿者&作品紹介35 久禮亮太さん

 昨年4月発行の「ウィッチンケア第14号」では、ご自身が書店をオープンするまでの過程を、出版界への率直な思いも交えてご寄稿くださった、目黒不動前にある「フラヌール書店」の店主・久禮亮太さん。開業に必要なおカネ、実店舗を施工するのに必要な資材など、かなり具体的に踏み込んだ...いわば〈経営ハウツー〉的な要素も含んだ内容でありながら、読了後に残るのは「...なんだか、ちょっとジーンとしちゃったよ」みたいな、名コラムに心を揺さぶられたような感覚。筆者のお人柄や、お店が目指す書店としての在り方が伝わってくる一篇だったからだと思います。いやぁ、最近はついに「無人本屋」なるものまで世の中に登場するようになって...拙宅の近所では「無人冷凍餃子店」というのができては潰れていますが、本と餃子の売り方が同じになった2024年。今度久禮さんにお目にかかったら、どう思うのか伺ってみたい気がしてきましたが...それはともかく、久禮さんの小誌今号への寄稿作は〈フラヌール書店一年目の日々〉。タイトル通りの日記風な展開ですが、実店舗ならではでの、お客様等との交流の様子が描かれていて、これがとってもおもしろいのです!


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【四月一四日(金)】のエピソードは、読んでいてスリル満点。“アラブ風の顔立ちをした十代に見える青年”が来店して、店主にスマホを見せる。そこには“Jugendgedenken, Hesse”との文字が...それを解読して、ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』(草思社文庫)を出してきて青年に渡せる店主様の博学さにびっくりしますが、その青年はさらに、今度は“Hesse”という作者名(ヒント)もない、ドイツ語の作品名だけのスマホ画面を...この結末は、ぜひ小誌を手に取ってご確認くださいね。


お客様との話の他にも、たとえば出版社の人や書店に関わる知人、またご近所のPTA関係者など、とにかくお店を開いているといろんな人がやってきては多種多様な相談を持ちかけて、それらに対応しながら自問自答する久禮さんの姿が描かれています。ときには“あー!! と声が出そうにな”る(実際は無言...)ような著名作家が、不意に出没することもあるのだそう。みなさま、ぜひ目黒に行くさいは、フラヌール書店さんに立ち寄ってみてください! 小誌もBN含め、お取り扱いいただいております(←ちゃっかり宣伝)。

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八月四日(金) ペブルズ・ブックスの頃から通ってくれているお客様で友人のギタリストSさんが来店。彼はギターが仕事で本が趣味、私は本が仕事でギターが趣味。他者のニーズに応えることと自分の好きなことを追求することのバランスについて、二つの共通する分野でお互いに反転したアプローチをとっていることが面白くて、いつもおしゃべりが尽きない。仕事で大切にしていることは、暗黙知を言語化して再現性を持たせること。趣味で大切にしていることは、「下手の横好き」を全開にして人前に出ていくこと。そんなふうに二人で一致した。

 ~ウィッチンケア第14号掲載〈フラヌール書店一年目の日々〉より引用~

久禮亮太さん小誌バックナンバー掲載作品:〈鈴木さんのこと〉(第6号)/〈フラヌール書店ができるまで〉(第13号)


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2024/05/12

VOL.14寄稿者&作品紹介34 美馬亜貴子さん

 初寄稿の第6号以来、つねに憑依型というか、「物語に必要な人物に成り切り」スタイルというか、つまり私小説的な主人公を登場させることなく作品をご寄稿くださっている美馬亜貴子さん。なにしろ最初に受け取った〈ワカコさんの窓〉が還暦を迎えた独身女性のお話だったし...私はお原稿を拝読しながら、つい「美馬さん探し」をしちゃったりもするのですが、これまでだと第11号に掲載された〈コレクティヴ・メランコリー〉の“中島美音子”に、ちょっと片鱗が見えたかな。それはともかく、第14号掲載の〈拈華微笑 ~Nengemisho~〉は、失語症気味で“孤独な独身中年男性”の「僕」と、“ネパールから来た技能実習生のぐるん君”との交流をメインに描いた作品です。「僕」曰く“そこには〝育児〞と〝介護〞くらい違う、本質的な誤謬がある”という、「どっちが早く日本語を喋れるようになるか競争」を勤務先のコンビニエンス・ストアでやることになっちゃって、という、なかなかエキセントリックな座組でのストーリー。作中では「僕」が学習塾講師であることがさらりと記されていて、なるほど「僕」の言葉へのこだわりからして、きっと国語の先生だな、と想像できたりもします。


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会話を重ねているうちに、お互いのことがわかってくる。そして、結果として当初の競争の目的も達成されていく。こんな競争に意味はないよ、と当初考えていた「僕」が、“意味なんてどうでもいい”と心変わりしていく過程がおもしろいです。そして作中では黒幕的な存在である、「僕」の中高時代の同級生にして店の経営者「ユウジ」。この人がなかなかの切れ者で、「僕」のことをよく理解しつつ、(やや荒っぽいけど)ちゃんと心配していたんだなと感じさせます。


...しかし、最近のニュースに接していると、本作の「ぐるん君」のように日本にやってくる人なんて、いずれいなくなってしまうんじゃないか...むしろ日本の若者が「よりよい条件」を求めて近隣の国へ出かけていくことが増えたりするんじゃないか、なんて思えて、なんっちゅうか本中華(←古!)。それはともかく、本作ではエンディングの「僕」と「ぐるん君」の関係の変化に心温まります。みなさまぜひ、小誌を手に取って、2人の競争の結末をお楽しみください。

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 お互いに必死だし、レベルも同じくらいなのでちょうどいい│最初のうちはそう思っていた。しかしぐるん君は日々のお客さんとのふれあいの中で、めきめきと日本語を上達させていったのだ。元々コンビニ業務に関係のある言葉はネパールで習得していたというものの、客に「封書の切手ください」と言われて即座に「84円ですね。貼っていきますか?」と返していたのには驚いた。ある日などは新発売のカレーをめぐって客と話をしているところに出くわしたのだが、辛いのが苦手だという客に、ぐるん君は「カレーは辛くないとおいしくないでしょう」と、二重否定を駆使して話すまでに成長していたのである。すごい。しかしこれはまずい。僕は「このままでは負けてしまう」と焦った。

 ~ウィッチンケア第14号掲載〈拈華微笑 ~Nengemisho~〉より引用~

美馬亜貴子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈ワカコさんの窓〉(第5号)/〈二十一世紀鋼鉄の女〉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈MとNの間〉(第7号)/〈ダーティー・ハリー・シンドローム〉(第8号)/〈パッション・マニアックス〉(第9号)/〈表顕のプリズナー〉(第10号)/〈コレクティヴ・メランコリー〉((第11号)/〈きょうのおしごと〉(第12号)/〈スウィート・ビター・キャンディ〉(第13号)



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VOL.14寄稿者&作品紹介33 吉田亮人さん

 「ウィッチンケア」には第5号からご寄稿くださっている写真家の吉田亮人さん。コロナ禍が明けて、また世界を股に掛けての仕事に奔走なさっているようです。思い返せば、第11号(2021年4月刊行)への掲載作〈対象〉のような、写真についてある意味哲学的に論考した吉田さんの文章もおもしろいのですが、今作〈そこに立つ〉は取材旅行の躍動感とそこでのエピソードが、「ステイホーム」を推奨されていたあの頃じゃ決して経験できないもので、ああ時代がまた変わったのだな、と実感しながら拝読しました。韓国...近年はショッピングビルなどを覗くと、ワンフロア丸々韓流グッズの売り場だったりすることもあって驚いちゃうし、私(←発行人)もBTSの「Dynamite」とNewJeansの「OMG」「Ditto」はApple MusicでDLして聴いていたりするのですが...いやそういう話ではなくて...吉田さんの作品で取り上げられているのはザ・フォーク・クルセダーズの楽曲として世に知られている「イムジン河」です。フォークルは、リアルタイムに「帰って来たヨッパライ」が流行っていたころの記憶がかろうじてあって、同じころにザ・ダーツの「ケメ子の歌」というのも流行ってて、両曲とも〝おもしろい歌〟だとしか思っていなかった(小学校低学年ですから)。でっ、そのフォークルなんですが、Wikipedeiaには“1967年、アルバム『ハレンチ』を音源として、フォークルの歌がラジオでさかんに取り上げられるようになった。京都では『イムジン河』、神戸では『帰って来たヨッパライ』が頻繁にラジオで流されるようになった”との記述があり...そうか、京都では初期からよくオンエアされていたのか。。私の認識では、「平凡」「明星」(芸能本)の付録の歌本には載っているけど、テレビラジオでは聞けない曲、だったな。


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韓国の非武装地帯に赴いた吉田さんは、本物のイムジン河を見て、ふと「イムジン河 水清く とうとうと流る♪」というメロディが口をついた、と語ります。すると、その旅でのガイドさんが“「その曲は何ですか?」と尋ねてきた”のだと。それに対する吉田さんの説明...私は映画「パッチギ!」を未見だし、マスメディアで同曲が流れているのを聞いたこともなかったので、むしろ吉田さんのように、私より若い世代のほうがよく知っているのかもしれない、と不思議な感覚でした。


作品終盤に登場する北朝鮮の監視塔、そして白い花と蝶の話。“書いてしまえばそれまでだが、決してそういうことでもない”という、吉田さんの胸中を覆った言葉にできない感情が印象的です。タイトルの〈そこに立つ〉は「現場に立ってみる」という意味と「その現場でこそ沸き立つものがある」のダブルミーニングかな。ぜひ小誌を手にして、吉田さんの現場での思いに寄り添ってみてください。
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 我々取材チームを案内してくれる現地ガイドの方が、車窓越しの眼下に広がる大河を指差して説明してくれた。我々はどうやらイムジン河を渡る巨大な橋の上を走っているようだった。
 陽光が川面に反射してキラキラ光っている。その両岸を黄金色に染まった稲穂畑が埋めつくしている。
 つい70年程前この場所が焦土と化していたなどとは想像もつかないほどその光景はとても美しく、平和そのものだった。

 
 ~ウィッチンケア第14号掲載〈そこに立つ〉より引用~

吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品:〈始まりの旅〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈写真で食っていくということ〉(第6号)/〈写真家の存在〉(第7号)/〈写真集を作ること〉(第8号)/〈荒木さんのこと〉(第9号)/〈カメラと眼〉(第10号)/〈対象〉(第11号)/〈撮ることも書くことも〉(第12号)/〈写真集をつくる〉(第13号)
 
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2024/05/11

VOL.14寄稿者&作品紹介32 柳瀬博一さん

当たった! しかも早かった!! ...ええと、なんで感嘆符を付けて騒がしくしているのかというと、柳瀬博一さんの最新の著書『カワセミ都市トーキョー: 「幻の鳥」はなぜ高級住宅街で暮らすのか』が今年1月に刊行されたこと、について。じつは前号への寄稿作の紹介で私(←発行人)は、以下のように書いていたのです。“柳瀬さんの第13号への寄稿作は「カワセミ都市トーキョー 序論」。ちなみに柳瀬さんの初寄稿作(Witchenkare Vol.5)のタイトルは「16号線は日本人である。序論」(...これは近い将来、カワセミを介した都市論/東京論のような本を上梓するための、予告なのでしょうか?)”。...それで、思わず一人盛り上がりを...スイマセン。同書の書評は(私の知る限りでも)朝日新聞毎日新聞東京新聞など多数。NHKのラジオ深夜便では、小誌のお取り扱い店でもある本屋titleの辻山良雄さんが2月に紹介しています。ちなみにアマゾンのレビューは...★★★★★がほとんど。カワセミを介した都市論、と多くの評者が捉えているようで、私もそのように拝読しましたが、個人的にはタイトルの付け方も、改めて秀逸だなぁ、と感じ入っています。「都市」を挟んだ左右のカタカナが絶妙のバランスで、しかもポップな響き。鳥の本でもお堅い都市論でもないよ、と未知の読者にも呼びかけているようで...。さて、そんな柳瀬さんの今号への寄稿作〈湧水と緑地と生物多様性 ~「カワセミ都市トーキョー」の基盤〉は、御著書『カワセミ都市~』からさらに先へと踏み出すための一篇、のように感じました。

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本作に頻出するキーワードのひとつは「小流域(地形)」。“旧石器時代以降、東京都心部に進出した人類は「圧倒的に暮らしやすい一等地」として、都内の小流域源流部に居を定め、縄文、弥生、古墳、戦国時代とずっと「勝ち組」が暮らしてきた”との一文を前提として、筆者はカワセミを介しつつ、かつての「死の川」から復活した、1990年代以降の都内の河川に着目します。なかでも妙正寺川についての記述が詳細ですが、じつは小誌今号、荻原魚雷さんがタイトルもズバリの「妙正寺川」という作品をご寄稿くださっていまして、こういうシンクロニシティ、発行人としてぜひ読者に楽しんでもらいたいです。


終盤では港区の“再開発の緑化”について語られますが、シンクロニシティということでは、じつは中野純さんの今号への寄稿作「うるさいがうるさい」とも論調が通じ合うところがありまして...未来へのSOS、という点で。なんにしても、柳瀬さんはきっと、次作の構想がすでにあるのだと思います。SNS各所への投稿などから察するに、都市再開発に関する構造的ななにかを視野に捉えた...もしまた当たったら、遠くない将来にぜひ「!」「!!」をたくさん使って紹介させてください!





 そんな妙正寺川にもカワセミのカップルがいる。毎年必ず子育てを行っている。水中の生き物をとって暮らすカワセミが、なぜ魚のいないこの川で暮らせるのか。
 この川にはカワセミの餌が大量にいる。中国産のシナヌマエビだ。主に釣り餌用に輸入された外来種で、いったん生き物がいなくなったこの川で、珪藻を食べながら大量に繁殖している。妙正寺川のカワセミは、このシナヌマエビをひたすら食べ続けて、子育てを行う。
 川のすぐ傍には、湧水由来の池がある緑地、哲学堂公園が並んでいる。モツゴやメダカが暮らしており、カワセミはこちらも縄張りにしている。哲学堂公園には、ツミやオオタカも飛来する。冒頭の緑地や哲学堂公園のように、都心の都市河川が削ってできた崖線沿いの湧水のある緑地や公園は、源流部であるがゆえに、高度成長期の公害や汚染から逃れることができた。 


~ウィッチンケア第14号掲載〈湧水と緑地と生物多様性 ~「カワセミ都市トーキョー」の基盤~〉より引用~




柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品:16号線は日本人である。序論 (第5号)/〈ぼくの「がっこう」小網代の谷〉(第6号)/〈国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と〉(第7号)/〈国道16号線をつくったのは、太田道灌である。〉(第8号)/〈南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。〉(第9号)/〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉(第10号)/〈富士山と古墳と国道16号線〉(第11号)/2つの本屋さんがある2つの街の小さなお話〉(第12号)/〈カワセミ都市トーキョー 序論〉(第13号)



 

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VOL.14寄稿者&作品紹介31 野村佑香さん

前号に掲載した〈おしごと 〜Love Myself〜〉では、「チャイドル」としてメディアでブームを起こした少女時代〜現在に至るまでの心境の変化について、率直に綴った野村佑香さん。第14号への寄稿作では、10年前に船旅で訪れた地中海の国々について、2024年の視点で振り返っています。今号、旅(そしてマイクロ旅ともいえる散歩)についての寄稿作が多く、私(←発行人)としては各々が記す旅先情報も然ることながら、「移動における視点/attitude」にお人柄が滲んでいるなぁと興味深く拝読したのですが、そのなかでも野村さんの旅は一番広範囲で、しかも、私がかつて立ち寄ったことのある町も掠っていたりして──近年は寄る年波(と円安)のせいで「ああオレはこの先一生日本国内から抜け出せなさそう」感強し──柄にもなくノスタルジックな気分にもなってしまいました。とくに、野村さんが“月が美しい夜”を過ごした(でもアクシデントにも見舞われた...)マルセイユ。。。私は1日しか滞在できなかったんですけれども、ああ、若かりし頃観た映画『ボルサリーノ』でロッコ(アラン・ドロン)とフランソワ(ジャン=ポール・ベルモンド)が夢を追いかけた町...って独りごちてスイマセン。でも、こんな気分にしてくださった野村さんに、改めて感謝です!

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野村さんの船旅はマルセイユ(仏)から、スペインのバルセロナへ。実物のサグラダ・ファミリアを見ての野村さんの感想が、これは写真や映像では到底抱けないなぁ、とリアルに伝わってきました。“これだけ生命を感じる建物に初めて出会った。ガウディさんは地球上のすべてを建築物にしようとしているから、これだけ時間かかっちゃうんだ”と。...しかし、ほんとうに2年後に完成するのかな、Sagrada Família。


マジョルカ島...サン・ミゲル教会の、湧き水の修復作業についての逸話が胸を打ちます。キリスト教とイスラム教の歴史は2024年の世界情勢とも直結していて、おそらく野村さんも執筆時に、平和への思いが心中にあったのではと想像します。そして旅は、バレンシア〜マラガへと。印象的なのは作品終盤で野村さんが“だが、常に対岸のイスラム世界を感じ続けながらの旅だった”と書いていること。地中海っていうと、私なんかはつい「イタリアが長靴で出っ張ってる欧州の海」と考えがちですが...そうだよなぁ、地中海目線になれば、そうだよなぁ...ということで、みなさまにおかれましては、ぜひ野村さんの旅行記とともに、彼の地の成り立ちについて思いを馳せていただければ嬉しく存じます。

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この旅番組のシリーズの最初の旅はイタリアだったが、アラブの方々の知恵を聞いていると、「発祥」「この場所といえば」といった私の知識の大元を知ることができた。自分の固定概念が揺らぐような心地だ。ジェラートはアラブの方々が作ったのが最初だ、とイタリア・シチリアで学び、パエリア発祥のバレンシアではお米やオレンジなどの果物はアラブの人たちが持ち込んだものだ、ということを教えていただいた(農家さんが今でも使用している灌漑用水システムもアラブの方々の知恵だ)。また、中世の貴族のような絹で作られた伝統衣装のドレス(有名な火祭りで人々が着る)を着させていただき、テンション爆上がりだったのだが、その絹の文化を持ち込んだのもアラブの人である。持ち込まれたものを、受け入れ発展させ広めるヨーロッパの方々も凄い。ただ、こうして旅してその国の「文化」というものも歴史とともに体系的に見ることが大事なのだということを学んだ。海と同じ様に世界が繋がっていると、実感する。


 ~ウィッチンケア第14号掲載〈地中海の詩〉より引用~


 野村佑香さん小誌バックナンバー掲載作品:〈今日もどこかの空の下〉(第6号)/〈物語のヒツヨウ〉(第7号)/〈32歳のラプソディ イン マタニティ〉(第8号)/〈二人の娘〉(第10号)/〈渦中のマザー〉(第12号)/〈おしごと ~Love Myself~〉(第13号)


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Vol.14 Coming! 20240401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare