2011/04/28

WTK2寄稿者紹介04(高橋美夕紀さん)

高橋美夕紀さんとはいまっぽいカフェでお茶を飲みながら打ち合わせをしました。

高橋さんとは数年前、テレビ番組を本にするさい一緒に仕事をしました(賑やかな番組で人気者も多数輩出したけれど、いまは終了)。そのころ高橋さんは並行して映画「そして、ひと粒のひかり」のノベライズも執筆中、と、長〜い会議の合間の休憩タイムに雑談で知って、ああ、私もノベライズはいくつか、みたいな感じになって...、それが縁で私は高橋さんの著書「KOOLS」を読んでみたのです。

「KOOLS」とは女性ソフトボールチームの名前で、「Kiss Only One Lady〜この世に<ただひとりの存在であるあなた>を愛する」〜という意味(作品内では<>部分に傍点あり)。青春群像小説、と言ってもいいのかな...とにかくキャラ立ちした女性がたくさん登場します。みんな、よく食べる、飲む、そして、喋る! だから快活なスポ根ドラマのような楽しみかたでも読めてしまうわけですが、しかし、物語を動かしている作者の視線はつねに逡巡している、というか「ものごとを言葉で決めにかかる」ことを一貫して避け、慎重に腑分けしながら意味を探っているようです。そのうえで運命、という言葉に辿り着く場面が何度か出てきて、私は登場人物が「これは運命である」と是認するかどうかを描いた箇所に、そのつどはっとしました。

「わたしたちがお互いを求め合うように創ったのも、神様だよ。それが神のいたずらだとしても、わたしたちはそれを受け入れるしかない。それは、神様のせいじゃなくて、わたしたちの運命だよ」(「KOOLS」P116より引用)、あるいは「解決なんてない。/どんなに話し合っても、答えはない。/でも、これは、わたしたちなりのひとつの運命なのだ。/すべての人にある運命と同じく、わたしたちの運命としてあるものなのだ。/それは、あきらめではなく。生きていく上での制限ではなく。良いでも、悪いでもなく、ただここにある運命なのだ、とわたしは思う。」(同P314より引用)。

高橋さんが寄稿してくれた「赤いコート」でも、やはり「逡巡の視線」が印象的でした。「ウリセンバーで働く」と報告するナオトの話を聞いた主人公が、安易に自分の思いを言葉にせず、「それは、ひとりひとりに聞いてみないとわからない」と考え込むシーン、とか。...でも、高橋さんの作品って、やっぱり登場人物がよく食べて、よく飲むなぁ〜。それと、作品内のトイレットペーパーにまつわる考察には、原稿を受けとったときに、本気で笑い転げてしまいました!

「ナオトが看病してたんだろ?」
 中田さんが箸の先でつくねをつつきながら言った。続いて、話題の安藤さんが軽い調子で私を茶化した。
「仲いいよなー。付き合ってんの?」
 みんなの視線が自分に注がれたその途端、私の顔がかーっと熱くなった。
 私は、自分でもびっくりした。赤面症気味であることは知っていた。けれどそれがこんなところで突然発症してしまうとは予想だにしなかった。
 全員が「えっ」という顔をしたのがわかった。しかしそれは一瞬で、「まあ、年頃だし、それも自由だよ」的な大人の対応で流してくれたのだった。みんな個人主義なのだ。私は一層恥ずかしくなり「ちょっとトイレ」と言って、耳まで赤くしながら席を立った。
 トイレの個室で、私は自分を呪って太ももを叩いた。なぜ、あんなタイミングで顔に血を昇らせてしまったのだ。あれじゃあ肯定したも同じだ。絶対に絶対に、みんな、私たちがそういう関係だと信じたに違いない。あの部屋でいかがわしいことをしていると想像しているに違いないのだ。そんなんじゃないのに。私たちの関係はそんなものじゃないのに。
 何も反論できなかったが、あの場で慌てて否定してもきっと同じことだった。まさか「ナオトはゲイだから」と説明するわけにもいかない。
 なんでさらっと流すことができなかったんだろう。私は自分がふがいなくて情けなくて仕方なかった。ナオトに「ごめん」と謝りたかった。
 顔の火照りを沈めるために、私は何度も何度もトイレの洗面所で顔をすすいだ。

〜「Witchenkare vol.2」P64より引用〜

Vol.14 Coming! 20240401

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